経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

分からないけど、自分からのSOS

今、高校3年生です。
分からないけど、死にたい、消えたい、全部終わりたい、胸が痛い、息が苦しい、眠れない、頭が痛い、1ヶ月くらい続く微熱の状態がある。
こんな風な症状があらわれるというか、状態になったのは高校3年生の春、ゴールデンウィーク明けくらいだった気がする。 
自分でもどうしてこうなったのかを具体的に言葉で言い表すのは難しいと思う。
受験勉強へのプレッシャーを日々感じていくなかで苦しくなったのかなとか。
忙しい勉強の合間に、学校内外のボランティア活動を行って疲れたのかなとか。
色々と考えた。
しかし、勉強は好きで、学校の授業や学校の友達に会うことは楽しい。
だから、毎日学校には行くし、勉強もする。
それでもどこか空っぽのような気がする。

そんな日々を過ごしていたなかでも、
親には心配をかけたくなかった。
だから、何も言えないままでいた。
だけど、この辛い気持ちを1人で抱え込むのは苦しかった。
ゆえに、この気持ちを初めてこぼしたのは担任の先生だった。
普通に真剣に聞いてくれて心配してくれていたと思う。
でも、担任の先生のことをほとんど知らなくて、初めましてから1、2ヶ月しか経ってない人に全幅の信頼を置くことはできなかった。
その時に一応、2ヶ月先のSCとの面談の予約だけ済ませた。
また、1年生のときから、ずっとお世話になっているある数学の先生にも相談をしてみた。その先生も同様に心配してくれていたと思う。
いつも、その先生と話している時は、心から笑えていたけど、いつのまにか、次第に笑えなくなっていた。
きっと、知らず知らずのうちに自分を追い込んでしまっているのだろう。
日に日に苦しくなっている自分は、きっと休みたい、助けてとSOSを出しているのかもしれない。
それでも、第一志望の大学を合格するために最後まで諦めたくないという思いは、死にたいくらい辛いという気持ちと大差ない。
だから、頑張りたい。
でも、周りの先生から命や健康の方が大切だと聞いたことは間違っていないから、本当にしんどい時は、休めるようになっていきたい。
この先、SCの方と話すことでなにかが変われば良いと思う。
そして、ちゃんとこの気持ちを親にも伝えられるようになりたい。
今は、すごく辛くて、何もないのに勝手に涙が溢れてくるけど、将来に希望を持っていたい。
これから、どうなるかは分からないけど、高校を卒業した時に笑えていることを願いたい。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございます。
あなたが今、受験生として日々を過ごしていること、そしてそのなかで感じているしんどい気持ちが、文章のひとつひとつから伝わってきました。
読んでいてまず思ったことは、あなたが自分をよく見ている人だということです。とても冷静に、そして正直に、どうしようもなくしんどい気持ちを綴ってくださったのだと感じました。だからこそ…と言えるかは分かりませんが、自分のことをよく見ているからこそのしんどさがあるのだと勝手ながら思っていました。「これがあったからしんどいのかな」とか「この時からしんどくなったな」と整理はできても、心にある”死にたいくらいの辛い気持ち”はなかなか整理できない、変えられない…その歯がゆさに、さらに辛い気持ちになるのかもしれないと私は思っていました。

高校3年生の夏という時期。受験を控えたプレッシャーの中で、周囲も「受験モード」に入っている頃なのでしょうか。「忙しい勉強の合間に」と書いてくださっていたので、あなたが日々勉強に多くの時間を割いている姿を想像しています。
大学受験は人生全体で見れば一部分にすぎない、とはよく言われますが、実際その渦中にいるときは、周囲の雰囲気(受験モード)や自分の思い描く理想との違いによって、大きなプレッシャーを感じざるを得なかったり、気づかないうちに心を追い込んでしまうような環境になることもあると感じます。(あなたと同じ状況とは言えないかもしれませんが、私自身が当時「落ちたらどうしよう」「絶対に合格しなければならない」と強い不安を抱えていたことを思い出しました。)

また、親に心配をかけたくないという思いから、しばらく誰にも言えずにいたのですね。誰かに話したい、一人で抱えきれないと判断したこと、そして誰かに話す決断をしたことは、私には簡単な選択ではなかったように思います。担任の先生や、以前から関わりのあった先生に気持ちを打ち明けたこと。「あなたのSOS」だと私は受け取っています。
投稿から日が経ちましたが、もうスクールカウンセラーさんとの面談は終わった頃でしょうか(それとも、もうすぐ…でしょうかね)。あなたが願っている「何かが変わればいいな」という気持ちを応援したい思いでいる私もいますし、何も変わらなかったとしても、またこうして経験談を書きに来ていただけたら…と、一緒にあなたの気持ちと向き合いたいと思う私もいました。
今は、頑張り続けることが必要な環境かもしれないとも思いますが、「頑張ることを休む時間」も、あなたに作ってあげてほしいなと感じた私の気持ちも伝えさせてください。
改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

これだけ自分からのSOSに気づき、しかも複数の先生に相談できているけれど、心の底にはつらい気持ちがあるのか…それは、どういうことなのかな?と思いました。あなた自身もよくわからないし、うまく言葉にならないとは書いていましたが、私も読みながら「なぜだろう」と考えました。しかし、すぐに「理由は関係なく、つらく苦しいという今がすべてだ」と思いなおしました。私たちはうまくいかないときに理由を考えます。理由が分かれば、対策ができるからです。また、理由がわかると納得ができたり、気持ちが落ち着いたりすることもあります。その裏には理由がないとつらいとかしんどいとか休みたいと思ってはいけないという思いもあるのかもしれないと考えました。そして、逆に嬉しいときや楽しいときには「どうしてこんなに楽しいのか」と理由を考えたり、聞かれたりすることってそんなにないなぁとも思いました。理由は関係なく嬉しい楽しいを感じて受け止めます。だから、苦しい、しんどいもそのまま感じて受け止めてみるのはどうだろうと考えてみました。また、理由は時にジャッジをされます。「そんな理由で苦しいなんて」「そのいう理由があるのならわかる」という具合に理由によって良し悪しがついてくることがあります。また、自分自身が理由を納得できたりできなかったり…という自己評価もしてしまいます。今、勝手に理由の立場になって考えてみると、勝手に納得いくいい理由と納得いかないよくない理由だと言われてしまうのなら、出て行っても嫌な思いをするかもしれないから、このまま隠れていようと思うかもしれません(理由を擬人化するのはちょっと変かもしれませんが)。
そして、気持ちやその背景を明確に説明できることなんてそもそもできないような気もします。最も近い言い方やその時に何となくそう説明できた時はあるかもしれませんが、それが本当に正しいのかというとそうではない曖昧なものなのだろうとも思います。
あなたの「分からない」をめぐり、いろいろと考えてみました。文章や内容からとても真面目に礼儀正しく、相手にも気遣いをする様子が伝わってきたので、知らないうちに周囲や自分の期待や意向を汲み取り、最大限頑張ろうとエネルギーを使ってきたのかもしれないと感じたり、曖昧や中途半端はいけないなど、完璧主義なところもあるのかなぁと思い浮かべていました。親にもちゃんと伝えなくては…という思いもあるようですが、伝えるべき時には伝えられるようにも思いますし、自分からのSOSがわかってても頑張りすぎてしまうことがあるかもしれません。でも、私はそれはそれでいいのではないかと思いました。これだけ自分に向き合い、気づいているだけでもう十分で、その力があるからこそ、周囲に伝えたり、こうして死にトリに書いて送るという行動があるのだろうと思います。そんなあなたの力を私は確かに感じましたし、その力を信じてもいいと思いました。死にトリがこれからも何かの役に立ちそうなら、またいつでも来てください。

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