経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

この先が不安

54歳独身。高齢の父親と2人で暮らしています。
病気に悩んでいます。
私は10年くらい前に本態性振戦というペンやお箸などを持つと手が震えてしまう病を発症しました。その持病も今まではうまく付き合ってきたのですが、去年、仕事中に相手先でフォークリフトにひかれてしまい、頭を強打。足首骨折する労災事故があり、同時に糖尿病を発症しました。9カ月休みました。
会社復帰はしましたが、配置転換や給料減額、休日増加などの嫌がらせ??じみた退職勧奨を受け,周りの同僚の視線も冷たかったので、とても居づらくなり20年勤めた会社を退職しました。離職表には自己都合と書いてあったので監督署とハローワークで事情説明をして、会社都合扱いで処理してもらいました。問題は
仕事探しです。履歴書を書くのにも手が震えてしまい
1枚書くのにも時間がかかってしまいます。おまけに糖尿病もありますし、病気の事は黙っていくつか受けましたが、不採用に終わっています。今も探しています
それともう一点。高齢の父親の事と家のことです。
高齢の父親も私と同じ持病もあります。家のローンも
あと4年ほどあるので、私の事や父親や家の事をすべてひっくるめて市役所に相談に行ったのですが、とりあってもらえませんでした。

感想1

病気の発症も事故(かなり大きな事故でしたね…)もあなたにとってコントロールしようもなく、生活が大きく変わってしまったアクシデントだったことのだと思います。特に労災事故や糖尿病の発症は日常生活のあらゆることに影響しそうです。復帰するためにリハビリなど並々ならぬ努力をされたことでしょう。復職を目指して頑張ったにも関わらず、会社に居づらかったのは、残念だったというか悔しかったのではないでしょうか。(他にもっと違う感情を抱かれたのかもしれません)
生活を立て直そうと相談に行った結果、取り合ってもらえずに役所の窓口を背にして帰るあなたの姿を想像すると、何とも言えない気持ちになりました。なかなか思うように職につけずに、生活の見通しも立たないというのに、一緒に考えてくれる人がいないのなら不安は大きくなるばかりですね。お住まいの地域には「自立相談窓口」というところがあって、生活に関するどんな相談でも受けるところです。地域によってそれぞれですが、市役所や社会福祉協議会やNPOなどが窓口を設けています。あなたが相談に行かれた市役所もその窓口でしょうか…。(それとも生活保護を担当する窓口でしょうか)どうしても市役所の窓口は、「世帯」として収入や生活費をみるので、個人が抱えている不安や状況にまで耳を傾けられない場合もあると聞いたことがあります。あなたが通院している病院に「医療相談室」があれば、ソーシャルワーカーさんにお話してみるのもいいかもしれません。あなたが何とかしようと前を向いていることが伝わってきましたし、頼れるところにつながって欲しいです。
今回、経験として書いてくれたことは、社会に起こっている現実を明らかにすることにつながっています。50代は仕事や健康、介護など人生の分岐点がいくつもありますよね。私も同世代なので、身に染みつつ応援するような気持ちでこの感想を書いています。
大変な状況にもかかわらず投稿してもらい、ありがとうございます。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。これまで積み重ねてこられた年月の中で、どれほど多くの困難と向き合いながら生きてこられたのかを感じました。長年勤めてこられた仕事、病と付き合いながらの日々、そして家族と家のこと…どれも簡単に言葉で済ませられるようなものではなく、生活の中での重みが伝わってきます。
本態性振戦(初めて聞いた病名だったので調べさせてもらいました)という恐らく目に見えにくく、理解されにくい病を抱えて10年、それを「うまく付き合ってきた」と表現されているあたりに、どれだけ努力や工夫をされてきたのだろうと考えずにはいられませんでした。そして、事故による大怪我と糖尿病の発症、それに伴う長期休職の末、復帰後の職場での扱い…理不尽さに勝手ながら何とも言葉にしがたい憤りを抱いてしまう自分がいます。それでも退職勧奨を受けながらも、離職表の不適切な扱いにきちんと対応した様子には、納得できないものに対して自ら動く強さと、社会制度へのある種の諦めや疲労もあるように私は感じ取りました。
履歴書を書くのに震える手と向き合いながら、黙って病気を抱えたまま面接に臨んでいる現状も、障がいや病気を持つ人たちが、就職活動という最初の「門」にすらまともに立てない社会の冷たさが表現されているなと思います。「病気のことを言わない方が採用に近づく」という現実がある一方で、言わなければ続けていくのが難しいという矛盾、この制度と現実のすき間に置き去りにされるような状況が、日本の労働環境の課題であると突き付けられたような感覚になっています。
加えて、同じ病を抱えるお父さんの暮らし、そしてローンの残る家のこと、生活の先行きに不安が募る中で、市役所に助けを求めても取り合ってもらえなかったという経験は、制度の網の目からこぼれ落ちる人が今も数多くいること、こうした状況を抱える人にとっての「相談窓口」がいかに形式的になってしまっているのか、改めて痛感させたられました。どうにか何かしらの支援に繋がってほしいとは思いますが、お父さんが高齢で同じ病を抱えていることからも、お住まいの地域にある、地域包括支援センターという介護や医療、福祉など様々な面から高齢者を支えるための総合相談窓口で、家族の悩みも聞いてくれるかとは思うので、相談することへのハードルは上がっているかもしれませんが、もしよければ必要に応じて検討してみてほしいなと思いました。
文章の中に静かに抱く怒りや悲しみが込められているように感じ、それは社会が今後変わっていくべき方向を指し示しているように私は感じました。決して一人の「我慢」や「自己責任」に回収されるべき話ではなく、もっと広く社会で考えられるべきことだと強く感じています。死にトリも社会資源の一つとして何ができそうか引き続き考えていきたいと思いました。また何かあなたの役に立つようでしたらいつでも死にトリを訪れてください。

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