経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

彼とのお別れの仕方

わたしは人が怖くて彼とは冷たいお別れ方をした。彼は私のことをめちゃくちゃ涙した。彼が私に優しく寄り添ったとしても、他の男に寄り添われたとしても、私を一人にしてるのはわかってるはずなのにいつも反抗心に襲われる。わたしは彼のことは小さな頃から大事にしてもらってたのに裏切らなければ自由を取れなかった。自由がただ欲しくて走って、手には入れられたけど、そのせいで人が怖くなった。私は人とはうまく距離を保てていますけど、正直人が怖くて仕方ないです。唯一彼はわたしに嘘をついたことのなかった人で大事にしてくれた人であったのに、わたしは自由にただなりたくて、一人にされたくなくて、ただ周りが怖くて逃げ出してしまいました。私みたいな人を忘れて好きなことしろって彼に言ったら彼に大泣きされた。わたしはそのぐらい彼を大事にできなかったです。彼を不幸にさせた人がいるのって嫌なのも分かる。2年後、人がいないから彼に声をかけたんだけど、私のことを手放したくない気持ちでいっぱいみたいで、憎まれてるのは確定してます。わたしは彼に会うのが正直恐怖です。
会う資格などないと感じています。だから、雰囲気しか味わらないことにしています。声をかけるのは苦手だから彼と間接的に関係を進めていますが、気遣いは絶やさないです。寂しがられるけど、本心はわたしのあの別れ方について怒ってる気がするから、別れを切り出したなら最後まで貫かないとです。間接的にいる方が落ち着きます。その時に彼のメンタルを潰したのが私だから、彼に配慮したけど、彼からしたらいい迷惑でも当然だと思う。彼に凄く謝罪したい気持ちに何度も襲われるから、彼の前で涙を流さないように毎日、間接的に関わっています。彼が私に対して寂しいと思ってる気持ちと他の女にしたい気持ちがあると思うから、なんだか複雑です…。わたしは脇役でいる方が安心します。人が怖すぎて、周りを振り回してしまいましたから。わたしはわたしらしくいた方が賢明だと感じています。でも、辛い気持ちは担いで生きてるけどその方が安心する私がどこかにいます。

感想1

彼とのお別れを通して、今までの身近な人との関係について振り返っていることが窺えました。あなたが書いていた「わたしは自由にただなりたくて、一人にされたくなくて、ただ周りが怖くて逃げ出してしまいました。」という一文に色んな意味や背景が込められていると私は感じました。特に自由になりたいけれど、一人にはされたくないという、一見相反するように見える気持ちには、あなたなりの意味が隠れていそうです。本来、人は一人であっても二人であっても自由でいられるはずだけれど、あなたはそうじゃない経験(他者といると怖い思いをしたり、何かにしばられたり)をしたのかもしれません。身近な家族やパートナーがあなたを自由にさせない経験をしたのか、もしくはその逆も経験したのかもしれません。いずれにしてもきっとあなたは自分以外の他者と二人でいることは不自由であり、不安であり、恐怖なのかなって、私なりに想像しました。もしかしたら距離が近くなればなるほど、その気持ちは強まって、相手が信じられなくて、相手もそして自分のことも怖いのかもしれません。どんなに「あなたが大切だ」と言われてもその関係を壊したくなる衝動を感じるのかもしれません。
あなたらしい人との距離感があるのだと思います。あなたらしく生きることに私も賛成です。
それによって抱える辛い気持ちをあなたは自分の感情として受け入れて生きて行こうとしていることが私に伝わってきて、感想を書きながら応援したい気持ちになりました。
投稿ありがとうございました。

感想2

投稿読みました。綴られた一つひとつの言葉に含まれた葛藤や後悔、そして自責と不安が、伝わってきました。そこには、他者とのつながりを強く求めながらも、同時にそれが怖くて仕方がないという、矛盾の中で生きる苦しさが滲んでいるように感じます。「自由」と「人を大切にすること」がどうしても両立しなかったことに対する、深い悔しさと哀しみがあるのではないかなと…。
大事にされていた人を手放さないと得られなかった自由、それはきっと、他者にコントロールされていたわけではなく、自分の内側にある「怖さ」や「傷つきたくない気持ち」が、どうしても他人との距離を縮めさせてくれなかったのではないかなと私は思いました。だからこそ、自由を選んでも孤独になり、孤独を避けようとしても近づくのが怖い。その板挟みの中で、「人が怖い」という率直な言葉がとても切実に感じられました。
また、彼に対して「間接的にいる」という選択にも、あなたの繊細な優しさと自己防衛が同時に表れているように思いました。本心では彼を傷つけたことを謝りたいけれど、でも直接それを伝えるのはおそらく、自分自身がもう一度壊れてしまうかもしれないほどの痛みを伴うと感覚的にあるのではないでしょうか。そのために、そばにいるけれど、少し距離をとることで自分を守っているのではないかと感じました。でもそれは、決して無責任なことではなく、むしろこれ以上誰かを傷つけたくないという想いからの慎重な態度のように私には映りました。
「脇役でいる方が安心する」という言葉がとても印象に残り、人前に立つことよりも、誰かを遠くからそっと見守ることのほうが、あなたにとって安心で、無理のない関わり方なのでしょうかね。責められるのが当然だと思っている一方で、彼のことをずっと気にかけ、配慮を絶やさずにいる様子に、“赦し”という言葉とはまた違った形のつながりを保っているのかもしれないなと思ったりしています。
人が怖いという感覚は、決して個人の弱さや欠陥ではなく、これまで経験してきた痛みや、信頼の裏切り、無理解の積み重ねから生まれる当然の反応です。ここには書かれてはいませんでしたが、過去そうした経験をしてきたのかな?と気になった自分がいます。ただ、その「怖さ」に折り合いをつけながら、どうにか「わたしらしく」いようとする姿勢には、心の中に信念があるようで、あなたの芯の強さを私は感じました。
最後の「辛い気持ちは担いで生きてるけどその方が安心する私がどこかにいます」という一文は、きっと、無理にすべてを克服しなくてもいいという、自分への理解でもありますし、そのままで生きていくということがすでに、あなたの中の一つの答えのようにも私は考えていました。何だか一方的に私の感じたことを伝えてしまい、あなたの気持ちや伝えたかったこととズレていたらすみません…。また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてくださいね。投稿、ありがとうございました。

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