経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きる意味

私は幼少期に父親からは暴力を振るわれ、母親からは「産むんじゃなかった」「疫病神」などと言われて育ちました。
褒められた記憶もないです。
そのせいかずっと生きてていいのか。生きている意味ってなに。
誰かに必要とされてなければ、生きてる意味はないと思うようになりました。

私は人見知りで内気な性格だったので
学校にも馴染めず不登校になりました。
もちろん、友達もいませんでした。
当時は別にそんなこと気にしてはなかったんですが、社会に出てから
生きづらさを感じるようになりました。
周りに馴染めなくて空気が読めないと思われたくないために、無理をして周りにあわせて過ごしていました。
仕事でも他人の顔色を伺いながらやっていたせいか、些細なことでミスをしたり一喜一憂してミスをするとずっとそれを引きずりました。
そんなとき、仕事中に急に動悸と冷や汗が止まらなくなり、死ぬんじゃないかと思うくらい苦しくなりました。
その後も頻繁に同じ症状が出るようになり
内科を受診し検査をしても異常なしとのことで、心療内科へ。
適応障害とパニック障害だと診断されました。
それからというもの仕事に発作が頻繁に起きてしまい、退職。
退職したあと、以前は楽しめていたことも
発作が起きるんじゃないかと不安になり楽しめなくなりました。
そこから私の人生が狂った気がします。
仕事をしないと生活ができないので
無理をして仕事をして、それでも仕事で成果を出すことで自分は生きてていいんだって言われている気がしました。
それで体の不調もメンタルの不調も無視して働いた結果、うつ病になり、自傷行為もするように。
もちろん働けなくなりました。
生きてる意味がわからなくなりました。
楽しみも何もない世界で
一日一日をただ何もせず自分を責めるだけの日々。
周りに相談できる人もいませんでした。
唯一、姉が理解してくれ色々とやってくれました。
そのおかげか、しばらくすると症状も落ち着き社会に復帰しました。
元々、他人を信用したり相談をしたりすることが苦手で、恋愛に意味もないものだと思っていましたが
私のうつ病のことや、自傷行為での傷を
受け入れた上で、相談できる人を見つけました。
気づけばいつの間にかその人に依存に近い状態になっていたんだと思いますが当時はその方が「居場所」を作ってくれていました。
その方に私の方からアプローチをし、何度も振られましたが、付き合って、
私の相談や、その方のことを色々話したり、
いろんな思い出を作りました。
そんな中、思うように就活がうまく行かない日々に疲れ、希死念慮が強く出て、入院をすることになりました。
恋人の負担になりたくなかったので
私の方からそのことを伝え別れを切り出すと、退院するまで待ってるという感じのことを言われて、すごく救われました。
入院中は連絡を取り合うことはなかったですが、退院後連絡をすると
ちゃんと待っててくれました。
居場所があることにものすごく安心しました。
でもそれも終わりが来るのがこの世です。
お互いの幸せのために友達に戻る。
そう言って別れました。
それから3年くらい経って今に至りますが
現在は家族としか関わりがない生活です。
社会にも適応できず、他人と関わることが怖くてほぼ引きこもり。
生活はものすごく苦しいです。
親は責めることはたまにありますが
基本的には何も言いません。
でも31歳で働けず親に食わせてもらって
病院代もなにもかも親に出してもらっている自分に罪悪感と嫌悪感を覚えます。
生活が困窮しているため
行政にも相談しましたが何もしてくれませんでした。
ただ、普通の人。周りの人みたいに生きたいだけなのに、疾患を持ってるからそれができないのかなってずっと思ってます。
死にたくなったり自傷したくなったりしても
誰かに相談をしてとネットには書かれていますが、私にはそういう人はずっと居ません。
誰かに頼る方法もわかりません。
なんのために生きてるのか。
誰のために生きたかったのか
自分はどうしたいのか。
なにもわからない。
ただ一日を苦しみながら過ごしている生活に、うんざりして疲れました。
誰かに必要とされたかった
愛されたかった。
認めてほしかった。
生きたい。けど生きてていいのかわからない。
この先もこの苦しみが続くのなら、
いっそのこともう終わりにしたい。
どうせいつか死ぬんだから
私のタイミングで終わらせてもいいんじゃない。
そんな考えを抑えつけながら
今この文章を書いてます。
乱雑で読みにくいですがすみません。

感想1

ずっと、自分の中にしまってあった苦しさを整理するように綴ったことが伝わってきました。タイトルの「生きる意味」は言葉通りでは生きていく意味を指しますが、あなたが見つけたいと願うものはちょっと違うのかもしれないと感じました。生きる意味がほしいと願う気持ちということではなく、その何かがないとこのまま生き続けることが苦しすぎる…そんな深い哀しみや疲労感、虚無感のようなものが強くあるのだろうと思いました。生きることに苦しさを感じない人は生きる意味の存在を意識すらしないのかもしれませんかもしれません。逆に生きることが苦しければ苦しいほど、生きていく支えにしていく何かが必要なのだろうと思います。
あなたの経験談を読み、大海原を一人孤独に泳ぎ続けたストーリーが思いつきました。大きな海の上で過ごしていくことがあなたの人生だとすると、幼い時から泳ぎ方も教えてもらえず、安全なボートやライフジャケットももらえず、荒波に放り出されて頼る人もいなく、ようやく捕まった浮き輪を誰かに取り上げられたり、否定されたりして、その中でも溺れまいと必死に一人で泳いできたのだろうと想像しました。その中で偶然手に入れた小さなボートはとても心地よくこれまでの苦労も吹き飛ぶぐらいの存在感だったと思います。しかし、そのボートだけを頼りにし続ける限界にも気づいて、自ら手放す選択をして…というイメージです。ところどころ、姉や病院など、楽に泳げるよう道具を貸してくれたり、泳ぎ方を教えてくれたり、一時的に船に乗せてくれた人や支援機関のあったのかもしれませんが、基本的には自分ひとりで必死に何とか泳ぎ続けてきたのだろうと思います。そして、今、そんな自分を振り返って、何のためにこんなに必死に泳ぎ続けてきたのだろうか?と振り返り、大海原でポツンと取り残されてしまった深い孤独を感じました。とりあえず、どこに向かってどうやって進めばいいのか、それだけわかればもう少し進めるかもしれない…それが「生きる意味」という言葉に含まれたもののように私は勝手ながら受け取りました。
私はそんな深い孤独の中にいて、こうして死にトリに自分の状況を書いて送ってくれたことに大きな意味を感じます。誰が受け取ってくれるかわからないけど、モールス信号を送るような気持ちだったのかもしれません。そのモールス信号を私は受け取った気持ちです。あなたとは別の意味で、私もこの大海原でどこに向かって泳いで行ったらいいかわからない無力感があります(社会があまりに理不尽であることを感じることが多いので)。でも、こうして信号を送ってくれる人がいる限りは送ってくれた人たちの声を大切にしたいですし、その声に込められた思いや願いを一緒に考えたいと思います。
これまで一緒に考えてくれる人がいなかったと書いていましたが、これまではいなかったというだけで、そうした人につながることができたら、先が見える可能性はあると思っています。日本社会では家族の力を借りることが優先され、あなたのように過酷な子ども時代を過ごした人は自分を守ってくれなかった、虐げてきた親を頼るしかない現実を突きつけられることも多く、それは絶望以外の何物でもないことだと私は思っています。ただ、実際には家族に頼らずに自立を目指す方法は制度的にも可能ですし、実際にそうして親元から離れて自分の道を生きていく手段をとる人もいます。
経験談を読み、これまであなたが一人で必死に泳いできた力や意思とこうして誰かにその思いを伝えようとした行動の源があると私は感じています。まずはこうして気持ちを書き出してみると何か少し見えてくることもあるかもしれません。死にトリはいつでもあなたの声を待っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。長い年月をかけて蓄積された傷と疲れ、そしてどうすることもできない孤独感が伝わってきて、勝手ながら読んでいて何度も胸が締めつけられるような感覚になりました。「生きる意味」について私もよく考えては、「自分には何もないな…」と思っていて、でも「そもそも生きるのに意味は必要なのか…」とも考えることもあり、何というか本当難しいなぁと頭を巡らせていました。
「誰かに必要とされたかった」「生きたい。けど生きてていいのかわからない」、この二つの言葉が、文章全体を覆っているように感じました。あなたはその最初の土台となる「家族」という関係の中で、受け入れられることも、当たり前に認められることも叶わなかったのですね…。親による暴言や暴力は、「存在そのもの」を否定する言葉であるからこそ、その影響はいくら歳月を重ねようと心に刻まれてしまうのだと思います。
そうした環境で育ちながら、それでも社会に出て、自分の力で生きようとし、無理を重ねながら働き、さらには恋愛においても居場所を作り出し、頼ることの難しさを抱えつつも誰かとつながろうとしたことに、あなたの“生きたい”という気持ちも強く感じています。あなたは、誰かに頼ることができなかったのではなく、「頼る」ための土台を培ってこれなかった(与えられることがなかった)のだと思いますし、だからこそ、信頼できる誰かを見つけること、必要とされる経験を持つことは、あなたにとって想像以上の価値と意味を持ったのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
でも、いくら懸命に生きようとしても、社会がその努力に見合うだけの安心や支援が整っていない現実があって、これは、あなた個人の問題ではなく、もっと大きな構造の問題だなと感じます。障がいや病気を抱える人たちに向けられる制度の冷たさや、周囲の無理解、働けなければ価値がないというような空気…そういったものが、助けを求めても制度の“網目”からこぼれ落ちてしまう人をますます追い詰めているように思えてなりません。(ただ唯一理解してくれたお姉さんの存在に少しホッとしている自分がいます)
あなたが感じている罪悪感や自己嫌悪も、そういった外側からの価値観の押しつけによって育てられてきたところもあるのかなと私は感じますし、本来あなたが背負わなくていい重さなのだと思いました。「働いていないから価値がない」と感じさせられてしまう社会のほうこそ、問い直されるべきだと強く思います。
最後に書かれていた「どうせいつか死ぬんだから、私のタイミングで終わらせてもいいんじゃない」という言葉は、もう長いこと心の中で反芻されてきたものなのだと思いました。それでもその気持ちを「抑えつけながら」今日まで生き抜いてきて、痛みの中にいても折れずに踏みとどまる地力の強さがあなたにはあると私は感じました。ただ、時としてその自分の強さに押しつぶされてしまわないように、しんどくなってしまった時などはまたこうして死にトリに声を届けてほしいなと思います。

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