深夜に突然書き始めたまとまりのない拙い文章で恐縮ですが、自分のためにもここに投稿させていただきたいと思います。
私は今、大学院の2年生で、来年からは新卒として働く予定です。
子どもの頃虐待をされながら育ち、不登校とか色々経験した後、大学生になりました。
勉強や進路に関しては、資格を取ったり、資格に関連するバイトをやったり、それを活かして就活をしたりと、色々問題を抱えつつも自分でも頑張ってやってきたと思います。
側から見たら、院卒で就活も問題なくいってよかったねと言われる人です。
でも、私の死にたさは消えてくれません。
むしろ増していく一方です。
何がこんなに私を死にたくさせているのかもよくわかりません。
だって、大学院を卒業したら
私を虐待していた親と金銭面も含めて完全に縁を切って他人として生きていくことができるし、
不安はあるけど院まで行って学ぶのが楽しいと思えた学問を活かせる仕事ができるし、
研鑽を積んで専門家として力をつけていけるし、
家賃補助が出るから今よりいいお部屋に住めるし、
苦学生時代よりは多少なりとも生活水準もきっとあがるだろうし
周りの人が言うようにいいことも待ってるって考えはわかるんです。
でも、私の心は全然前になんか向けてなくて。
なんか時間だけどんどん進んで私だけ取り残されていくような不安と恐怖に襲われます。
いいことあるってわかってても、
心の不健康な私が社会に出てみんなと同じように働いていけるかと問われたらものすごくものすごく不安でしかたがないし、
6年通った学校やそこで出会った人たちと別れて新しい場所で新しい人と新しいことする自信ないし、
何よりこの6年間すごくお世話になった先生と離れることが怖いです。
大学生になってからパニック発作とか拒食期と過食嘔吐を繰り返した時期とかがあって、
その根元には、子どもの頃、虐待されてた体験とか、今の家族関係とか、性被害にあった体験とか、わりと大きな問題があって。
そういう子ども頃とか問題が起きたその時に向き合わず、放置してた問題が、大学生になってから身体的だったり精神的だったりの症状として現れた私は、
あることをきっかけに大学の心理の先生にお世話になってなんとかこの6年を乗り切ってきました。
その先生は私が人生で初めて信用できると思えた大人で、人生で初めて安心できるという感覚を教えてくれた人です。
依存だって言われたらそれまでだけど、
その先生がいて、次の面談の約束があって、もし今死んだら先生との約束破っちゃうなとか
次の面談まではとりあえず生きてみて先生と話してから考えようとか
そうやって先生との次回の約束があることが、私を今日まで生かしていたなって思うんです。
でも、3月になって、私が卒業したら、先生と私の関係は終わります。
病院とかなら続けられたけど、私と先生は学校で繋がってるから私が学校から離れたら先生と私も離れます。
私は生きていける気がしません。
想像するだけで恐ろしくて自信もなくて死にたくなってしまいます。
確かに先生と出会って私は色んな過去と向き合ったり、色んな症状が前よりは良くなったりしてるけど、
それはあくまで、隣に先生がいたからで。先生との次の約束があったからで。先生が私と世界を繋いで、先生が私の明日を生きる意味になってくれてたからで。
それに、先生と過ごしたこれまでの時間、自分の過去と沢山向き合うのは、すごく必要な時間だったけど、
同時にすごく辛くて苦しい時間でもあって、
自分の見たくないものとか目を背けていたものと真っ向から向き合うのは大変だったんです。
でも、それもできたのは先生がいてくれたおかげで。
1人だったら耐えられずにもうとうの昔に死んでいたであろう私が今生きているのも先生が隣にいてくれたおかげで。
そう考えた時、これから先起こる大変なことを先生なしで乗り越えるなんて到底無理なんです。
それに、もうこれ以上生きて、こんな大変な思いしたくないって気持ちもあります。
こんな話をすると、先生は「会わなくなっても私とあなたでこれまで過ごした時間はなくならないし、あなたの中にきっと残ってるから大丈夫」といいます。
でも、これから先、先生がいない世界で、しかも環境も変わる世界で、こんな私が生きていけるわけがないと思ってしまいます。
そうすると、せめて、まだ、先生がいるうちにって、先生が近くにいてくれるうちに死んでしまいたいと思ってしまうのです。
おかしいのはわかっています。
論理的でないというのはわかっています。
でも思うことがやめられません。
今死ねば、これ以上苦しい世界を見なくてもいいんだっていう気持ちとか、
もう24年間も、親の虐待とか性被害とかパニックとか色んなもの抱えて背負って頑張って生きてきたんだから、
もう生きることから解放してほしいという気持ちが生まれてしまいます。
ここ最近は死にたい気持ちが強すぎて、
家から出られないことが多くて。
好きだった学校にも足が向かなくなって、
好きだった友達にも会いたくなくなって、
家にいても勉強も家事もできません。
どんどん私はだめになっています。
どんどん働くと程遠い私になっています。
まるで先生と離れるのを拒むために、社会に出るのを拒むために、引きこもっているかのような自分が情けなくて。
でも、情けないと自覚してもどうにも身体も心も動かなくて。
もう私はどうしたらいいかわからないです。
もう疲れてしまいました。
いくら側から見た「いいこと」が未来に待っていたとしても
先生のいない世界に飛び込む恐怖や不安と闘う今も、飛び込んでから踏ん張る未来も、苦しすぎて辛すぎて、痛くて。
もう死ぬことでそういう色んなものから解放されたいんです。
感想1
あなたがこれまでどれほどの苦しみを抱えながら生きてきたのか、そしてそれを乗り越えるためにどれほど必死に頑張ってきたのか…そんなことを考えながら読ませてもらいました。投稿から少し日は経ちましたがどのように過ごされているのかも気になっています。(あまり状況は変わらないかもしれませんが…)
虐待を受けながら育ち、不登校を経験しながらも大学進学し院まで進み、資格を取得して就職も決めたこと、その過程はどれひとつとして簡単なものではなかったと思います。それを成し遂げたことで外からは一見「成功している人」として映っているかもしれませんが、その裏には計り知れない痛みや孤独があったのではないかと想像しますし、そもそも「生き延びること」そのものと向き合い続けた時間もあったのではないかと私は思いました。その「生き延びること」を支えてくれた存在が「先生」で、そして「先生との次の約束」もあなたにとって大きいものだったことが伝わってきます。先生の存在があなたの安心に繋がっていたのでしょうし、未来を生きる理由になっていたのだと思うので、離れることになる今、あなたの生きる意味そのものが揺るがされてしまっている現状は死ぬことで解放されたいと思ってしまうのも無理はないと思いました。あなたの感じている苦しさは単に「先生と離れるのが怖い」だけではなく、「先生がいないことでまた元の暗闇に戻ってしまうのではないか」という恐怖心もあるのではないかと私は感じています。先生がいてくれたからこそ、苦しみや痛みを伴いながらも自分の過去と向き合えたしギリギリのところで踏みとどまれていたのでしょうね…。でも、その先生がいなくなったら?これから先、どうやって生きていけばいいのか?その答えが見つからなくて、ただただ「先生が近くにいてくれるうちに死んでしまいたい」と思ってしまうのかもしれません。これは、依存ではなく、“安全基地を失うことへの不安”なのだと私は思います。人は誰しも、安心できる存在が必要です。あなたにとって、それが先生だったけれど、学校という枠組みの中にある関係だったから、卒業したら終わってしまう…それは、まるで“最後の命綱を切られる”ような感覚なのではないでしょうか。本来であれば先生との関係が終わるのではなく、新しい形として支えとなるものが続いていく道があるべきはずですが、枠を外れてしまうと途切れてしまうことが多いですし個人の問題ではなく社会の支援含めてシステムそのものの課題があるな…と改めてあなたの文章を読んで考えさせられています。
あなたが今、家から出られず、学校にも足が向かず、何もできなくなっているのは、「先生と離れる未来に耐えられない」というある意味、正しい心の防衛反応なのかもしれないなとも思いました。これまで生きるために踏ん張ってきた分、もうこれ以上耐えることができないという限界のサインなのかもしれません。
でも、あなたはここまで「自分の過去と向き合う」という、容易とは言えない道を進んきて、家族との関係性、性被害、パニック発作、拒食と過食嘔吐などこれらを抱えながら、それでも「先生がいるから」と生きてきたのは事実だと思います。そして、今、その先生がいなくなろうとしている現状、それなら、新しい「支え」を探すことが、今のあなたにとって必要なのではないかなと私は感じました。(すぐには難しいかもしれませんがあなたのペースで少しずつでも…)
先生との関係は「終わる」のではなく、「次を探す」ための一歩として捉えることはできないかなと…。 例えばですが別のカウンセリングなどのサポートが新しい「安心」を作る手助けになるかもしれないですし、もしくは、こうして投稿してくれたようにこれまでの自分の経験を誰かに伝えることで「自分の言葉が誰かの支えになる」という感覚を持つことができるかもしれないなとも思ったのです。新しい人との関係によって、「まだやっていないことをやってみる」という約束だったり。何かしらの「次の約束」ができたら、「あともう少し生きてみようかな」と思えることに繋がる可能性も全くないなんてことはないのではないかと思ったりもしました。
ここに綴られた思いは、「もうこれ以上1人で苦しみたくない」という心の叫びにも聞こえます。あなたの苦しみがどれほどのものか、完全に理解することは難しいですが、ここまで生き延びてきたあなたの人生が、ただ苦しみだけのものだったとは、勝手ではあるのですが私は思いたくないなという気持ちがあります。ただ、乗り越えられる(乗り越えてきた)力があるからこそ、その力で自分が押しつぶされてしまうこともありそうだなとも思いながら、これまでの経験から、エネルギーが消耗しきっているところはあるのではないかと思うので、一旦考えることをすべてやめる時間をつくるとか少しでも心休まる時間を確保してほしいと強く思ってしまっています。
もし、あなたにとって何か役に立ちそうでしたら、いつでも死にトリに声を届けてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。