経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きて、希望

19年生きてきました。自分は中3の受験で偏差値55の公立高校に自分だけ落ちました。その後、商業高校に120人中119人で1人だけ枠があり面接で合格しました。しかし、高一の10月にいじめで学校に通えなくなり、通信に編入しました。いじめは、朝登校して机の中にA4サイズの白い紙に「死ね、キモい、バカ、ガリガリ、猿」など書いてあり、今までの送ったLINEを紙に書いてありました。最初のよろしく〜から自分が送った文字全て。それを見た瞬間頭に血が上り、ここにいたら死ぬと思い恐怖と絶望でその紙はその場で捨てました。通信に編入し、高2の時帰る電車を待っている時幼馴染の女から何があった?と大声で叫んできてどう答えたらいいのか分からず、チラ見してスマホいじってました。降りる駅に着いてホームを歩いていたら、電車の中からチッと軽蔑するように言い、盗撮してきました。その幼馴染の女達は偏差値61の公立高校に合格し、自分のことを見てゴミを見る目で見下してきたんだと思います。その時怖くて何も言えず、顔も見れずに立ち去ることしかできませんでした。その後泣きながら涙を拭いて家に帰り、高校受験に失敗して高校すら中退したので恥ずかしくなり未来に希望が持てず、過呼吸になりながら自殺をして自分の存在を無かったことに、楽になりたいと思いましたが、姉が助けてくれました。その後通信を卒業して高卒で正社員の製造業に入社しましたが6ヶ月の使用期間でクビにされました。2〜3ヶ月くらいに面談で製造業は向いてないんじゃないかって言われましたが、それでも毎日職場に行っていました。その1ヶ月後に正社員の食品工場に入社しましたが、3ヶ月の使用期間で即日クビになりました。個室であなたの母親マシンガントークですよね?あなたに何ができるんですか?笑と言ってきた会社です。
辞めた社員からもブラックでやばい工場と言われていました。
辞めてから会社4ヶ月ほど経ちますが、18、19歳で2回クビにされたのでこれからの未来がとても怖いです。理不尽なパワハラなどされてきたので人間不信になり悪堕ちしかけてます。もともとはしっかり高校受験に受かっていればこんなことにはならずに、親も喜んで胸張って生きることができたんじゃないかって思ってます。今までの人生でほぼ全員から見下され正直後悔しかありません。中、高生が目に入ると涙が溢れてきます。もう1、2年生まれるのが遅かったりしたら楽しい青春を遅れていたのかな。関わる人も違ったのかな。
自分ら弱くて、不甲斐ない人です。社会不適合者な自分。
それでも胸張って生きます。どん底人生だけど、前を見て歩きます。波瀾万丈人生生き抜きます。

感想1

投稿読みました。あなたが生きてきたこの19年間、社会の残酷さを突きつけられることが多かったのだろうと思いますし、その理不尽さや孤独感があなたを苦しめるものの一つになっているように感じました。一つひとつの出来事に、どうしようもない痛みを感じたのと、それでも生きようとする強い意志が確かにあることが文章から伝わってきました。
同じ目標を目指していた仲間の中で、自分だけが高校受験に落ちてしまうという体験をしたことは想像以上にダメージを負うものでしょうし、不安も大きかったのではないかなと思います。ただでさえ“合否”によって人間性まで評価されるような社会の雰囲気の中で、それが“劣っている”というラベルを貼られるように感じられてしまうのは無理もないことだと思いました。そして、その後の学校でのいじめも、“紙に記された言葉”の生々しさには、言葉の暴力がいかに深く心を抉るかを改めて痛感させられています。それが日常の一部になってしまうような状況で、「死」を考えざるを得なかったことは決してあなたが弱いからではないよと伝えたくなりました。
就職後のことについても、社会の理不尽さがいかに若者を追い詰めるかがリアルに現れているように感じました。あなたが体験したように“使用期間”という名の不安定な立場の中で一方的に評価され、切り捨てられてしまう現実もあると思います。会社が言葉にした冷笑交じりの「あなたに何ができるの?」という問いもそれは、能力というよりかはどちらかというと人格そのものさえ否定されたように感じるもので(私はそう捉えてしまいましたが、あなたとズレがあったらすみません…)、勝手ながら私まで悔しい気持ちになってしまいました。そして、それを若い人に平気でぶつける構造がまかり通っている社会(もちろんそうではない場所もこの社会にはありますが)こそが、不適合なのではないだろうか?と思う自分がいます。
何度も折れそうになりながら、あなたはそれでも「胸張って生きます」と書いていて、その言葉には、あなたがこれまでしてきた経験を経ての“決意”のようなものを私は感じました。決して楽とは言えない道を、諦めそうになりながらも前に進もうとしているあなたは、自分の力で人生の“意味”をつかもうとしているのではないかなと感じました。
時代や環境、運としか言えないような要素が人生の質を決めてしまうことがあるのは、確かにあることだと私も生きていて思うことです。でも、だからこそ、あなたのようにこうして言葉にして、自分の痛みと向き合い、その声をあげようという人の存在はとても貴重だと私は思っています。あなたが綴ってくれた経験は、今同じように息苦しい社会の中で傷ついている誰かの「自分だけじゃないんだ」と思えるきっかけに繋がるように私は思います。
周りの振る舞いや視線などに傷ついてきた人生の中で、それでも“人として生きることを諦めない”ということに、どんな学歴や職歴にも勝る(そもそも勝ち負けではないですけどね)、あなたの地力の強さがあるのだと私は思いました。また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。

感想2

死にトリを見つけて、こうして経験を綴り送ってくれた気持ちをしっかりと受け止めました。これだけ理不尽な思いをしたのにもかかわらず、最後が「生き抜きます」と締めくくられたことに複雑な気持ちがあります。もちろん、その気持ちを応援したいと思う気持ちはたくさんありますし、あなたが心を強く持とうという姿勢に敬意を抱きます。ただ、一方では「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」ともそっと声をかけたくなりました。なぜかというと、あなたは19年間本当によく生き抜いてきたと心から思いますし、たくさん傷ついてきたと思うので、回復したり、もう傷つかないような環境に身を置いてほしいと願う気持ちがあるからです。学校時代のいじめも、職場での出来事もあなたが悪いのではなく、一方的な評価や仕打ち(立派な暴力だと思います)を受ける理不尽なものです。違う人や違う職場であれば起こらなかった、もしくは学びを得たり、楽しい時間を過ごせたかもしれない時間や空間を奪われてしまったとも言えるのではないかと私は思いました。そして、そうした場から自ら脱してきたことも妥当な行動だったと思って、「よかった」と思いました。(特に職場は辞めてよかったなぁと感じました)
そんな中で姉が助けてくれたと書いてあったことにホッとしました。姉だけではなく他にもあなたのことを助けてくれた人や見守ってくれた人がいるのかもしれません。
ただ、ちょっとだけ気になったのは偏差値や学歴についての劣等感のようなものです。この社会は学力や偏差値、学歴が重視される場面がありますが、私はそうした固定化した価値観にかなり疑問を持っています。現実的に例えば高所得を得るという観点でいうと偏差値や学歴が高い方が有利である側面はあると思います。だから、低いことで周囲から馬鹿にされたり、不当な扱いを受けることもあると思います。しかし、偏差値がそれだけがそんなにいいことか?と実際に思うことがたくさんあります。それは、これまでいろいろな人たちに出会って実際に関わってみて思うことです。学歴には関係なく豊かな人生を送る人はたくさんいますし、偏差値以外の人の魅力はたくさんあると私はしみじみ思います。
「生き抜きます」と宣言したあなたに豊かな出会いがあることを願いたいです。そういう意味で死にトリに経験談を送ってくれる人たちはたくさんのつらく苦しい経験をしたからこそわかる深みや豊かさがあると私は思っています。また来てくれたら嬉しいです。

お返事

正直、感想を読むのが怖かったんですが、読んでみて「わかってくれる人がいるんだ」と少しだけ安心できました。まだ心の中には後悔や苦しさもあって、他人が持ってる自分にはないものを比べて自己嫌悪になって時々「今の現実が違っていたら…」なんて思うこともあります。でも、少しでも前を向けるように、自分のペースで進んでみたいと思いました。豊かな出会いに感謝。ありがとうございました。

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