経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

クラスに上手く馴染めない

学校で新しいクラスになって、今までそんなに仲良くしたことがなかった人とも付き合いを持たなければならなくなりました。
でも、私はなんだか感覚のようなものが違うらしくて、これといった仲良い子が見つかりませんでした。
同じ班になったら「最悪、無理」とひそひそ言われます。移動教室や、体育の2人組を作るときはいつも1人です。理科の実験の準備は4人班の中で私1人だけで行います。何か聞いても、返事が返ってくることはあまりありません。手を振られて振り返したら、くすくす笑われます。
もうクラスのグループ内にも混ざれなくて、昼休みは、他のクラスの友達についていくしかなくなっています。
もうどうしようもなくなって、本当につらくて、生きていけない、と思います。
学校にも行きたくない。でも、行かなくちゃいけない。
親とはとても仲がいいという訳でもないので、こんなこと相談できません。
精神科にも行けず、WEBのアプリで軽く問診してみたら、躁うつ病の可能性がある、とでました。
思い当たる節はあったので、なんだかすんなりと受け入れられました。
でも、何も変わらなくて、今ではもう、平日の朝になると吐き気がします。
学校にもう行きたくないんです。

感想1

投稿読ませていただきました。クラス替え、今思えば学生時代の大きな出来事だったなと
読みながらふと自分の学生時代のことを思い出しました。
読んでいて投稿者さんの今の辛い状況がひしひしと伝わってきました。
文章の中の「考えや思考のようなのもが皆とは少し違うらしくて」のところが私自身の中で
少しひっかかりました。なのでなぜひっかかったのか、考えてみました。そもそも思考や考えって人それぞれ違うのが、私は当たり前だと思っていたり。だから投稿者さんが周りの人と、考えや思考が違うことはごく自然なことだと私は思いました。
クラスの人からの言葉や言動はとても投稿者さんを傷つけるものばかりで、今の投稿者さんの心情を想像してみるととても胸が苦しくなりました。自分の学生時代を思い返すと、
私はクラスに馴染めず、孤立していたことがあり、クラスメイトとの関係は学校へ行きたい、行きたくない、に大きな影響を及ぼしていたと思います。またご両親との関係性を書いてくださっていましたが、身近な人に相談が出来ない状況もまた投稿者さんを苦しめる一因だと読んでいて感じました。
私の話になってしまいますが、私は「クラスとはたまたま同じ年に生まれた子たちが、ただ集められた箱であり、クラスメイト₌友達ではない。」みたいな言葉を聞いたことがあり、それに少し救われた経験があります。これは私個人の考えなのですがクラスってたまたま同じ年に生まれ、住んでる地域が近いとか、学力が近いとか、ただそれだけで集められた集団で、そこに馴染めないのはその人がおかしい、とか変わってるとかではないと私は思っています。
自分の学生時代を思い出してみると、学校と家庭が全ててそこのどちらにも居場所を見いだせない私は、生きていたくないと思っていていました。なので投稿者さんの文章には勝手ながら共感できる部分があり頷きながら読んでいました。
今の時代、学校へ行くことが全てじゃないと私は思います。でも学校に行かない選択肢を取ることに対しての社会の圧力は未だに強く感じることがあるので、そうは行っても行かない手段を取ることは勇気がいるな、と思ったりする自分もいて、書きながら葛藤しています。
投稿ありがとうございました。
またいつでもしんどい時には経験談をよければ書いてみてください。またお話をきいてみたいです。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。今、感じている孤独感や絶望感など抱いている苦しみが切実に伝わってきました。
「皆とは少し違うらしくて」と書かれていた部分が印象的で、自分でも明確には言い表せない“違和感”のようなものを抱えているのではないかなと感じ、それは時として、他者との距離感や関係性に大きく影響してしまうものだよなと思いました。特に学校という場所は、同調圧力が強く、少しでも“ズレている”と見なされてしまうと、そこにいるだけで居場所を失ってしまうこともあるよなと私自身も学生時代を振り返り感じることです。けれどそれは、あなたの考えや思考が間違っているとか、劣っているということでは決してないですし、ただ、今いる場と相性が合っていないことが大きいのではないかなと感じました。とはいえ、自分の存在ごと否定されてしまうように感じてしまうものでしょうし、何とももどかしさを抱いてしまいました。
集団の中で“仲間に入れない”という経験は、自己否定の感情が強まりますし、それが続くと、生きていること自体がつらくなってくるのも無理はないと思います。それでも、「学校に行かなくちゃいけない」と自分を奮い立たせようとしてしまうのは、周囲の無理解さであったり「学校に行くべき」という社会的な価値観(無言の圧力っていうのでしょうかね…)があなたをそう思わせているのではないかなと考えていました。でも心と身体がもう悲鳴をあげているなら、それに耳を傾けることも、必要だと私は思いますし(これは私が無理をし続けてつぶれてしまった経験があるから余計に思うことではあるのですが…)、平日の朝に吐き気がするというのは、あなたの身体が「この環境は限界です」と教えてくれているサインの一つなのかもしれません。
本当は、もっと気軽に、安心して、誰かに相談できる仕組みがあればいいのになと思います。学校や家庭という「身近な支え」が上手く機能していない時、それに代わるサポートの場がなかなか見つからない社会の仕組みも、課題であると私は感じます。「助けを求める」という行動がとてもハードルの高いものなんだという認識が、もっとこの社会に広がっていけば…とも改めて感じています。
投稿から日が経ち、きっと学校に行きたくないと思いながらも通い続けているのではないかなと想像しています。なかなか休むことが許されない環境なのかなと思いますし、じゃあどうすればいいのかとすぐには答えることのできない自分がいて、心苦しいのが正直なところです。ただ、あなたの「学校に行きたくない」という気持ちは何も間違ってはいないし、私はあなたのその気持ちを尊重したい(受け止めたい)と思ったということをお伝えしたいです。そう簡単なことじゃないとは思うのですが、あなたがこの先少しでも誰かと同じ形でなくても、自分のペースで、自分の感覚で生きられたらな…と。そしてそれらを許される社会になってほしいとも心から思いました。もしまた気持ちを外に出したくなった時は、いつでも死にトリを訪れてほしいです。

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