私は人の悪口を言った。そのことを友達は正義感の強い子に告げた。おかげか私は今その子たちにとって悪者だ。
ただ、悪者にも思うところがある。まず、告げたその子も悪口を言っていたのにな、ということだ。これを正義感のある子に言おうか悩んだが、信じてもらえなさそうだし、何よりそのこと同じことをするのは情けないかと思ってやめた。ただ、その子に対して悲しみや怒りは抑えられなかった。今まで悪口を行ってきた人にどうして一回だけ悪口を言った私が注意されなきゃいけないのかわからなかった。ただひたすらに悲しかった。
今まで被害を受ける側だったからわからなかったけど、悪者は悪者なりに苦しい。自己嫌悪で存在を消したくなる。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
悪者の苦悩
感想2
自分の非は認識しつつも、「でもそれだけじゃないんだよなぁ」と思う人間関係における生々しい苦悩や煩わしさのようなものを感じていました。
個人的には介入してもらうことが頭によぎりつつも、あくまで「当事者間の問題」として一歩引いた投稿者さんの立ち振る舞いは(相手に悪口を言ってしまったとしても)誠実なように私には思えました。
ただ、相手は(言われたことで傷ついたのはもちろん想像しますが)自分と投稿者さん以外に相談なり判断なりをもちかけて、結果、一方的に投稿者さんだけが悪者にされる状況になっているのは、これまで投稿者さんが向けられてきた言葉のことを鑑みてもだいぶアンフェアに感じたのが正直なところでした。
もちろん当事者同士で整理しきれない部分も人間関係においては多いと思います。ですが、そこに「正義感」という名のもとに、お互いの行いや主張をしっかりと聞こうとせずにどちらかに偏重してしまっていることにはいささか疑問が残ってしまいます。。。
投稿者さんにもわるいところはあったのかもしれません。ですが、それが全てとは私にはどうしても思えませんし、相手が、周囲が、環境が悪いことも世の中にはたくさんあると思うので、「自分が悪い」と全てを受け止めなくてもいいように勝手ながらに思いました。
投稿ありがとうございました。
お返事
どなたも私に寄り添った回答でとても心が軽くなりました。結局、それから皆そのことを忘れたのかあまり気にしていないようで、私としてもそれがいいかなといったところです。でも、こんな悪者の身にもなって親身に考えてくれた皆さんには感謝でしかないです。私はいてもいいんだと改めて思えました。本当にありがとうございます。
感想1
私は、正義感ってたまに怖いなって思います。
悪口を言っている人は、悪意がある。自分が悪いことをしている自覚があるのです。
正義は、自分の行いが善いものだと信じて疑わない時があり、私はそれが怖いです。
どんな物事にも良い面も悪い面もあって、「表裏一体」だと思っています。
その子も悪口を言っていたのにな、と思いつつ、情けないと思ってそれを言わなかったこと…それは正しいことなのか、私にはわからないのですが、賢い行いだと私は思いました。
どんな行為の向こう側にも、誰かが存在しているということを考えながら生きていくと、見える世界が広がる気がしています。