経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ずっと私って私じゃない

私は死にたいというより消えたいと考えています。前までずっと気分が落ち込むと死にたいと考えていました。ですが最近になって他人の中にある私の存在や物理的な存在すらスッと失くなりたいと考え始めました。そう、初めから無かったことになりたいのです。私を愛してくれた人たちからも失くして欲しいのです。どっか架空の世界で、誰もいない世界でひっそりと暮らしたい。自分の幸せだけ考えて、ただ欲望に従って生活したい。
ただそんなことすらも考える余裕もないぐらい自分のことを気持ち悪く思ってきています。現実と理想とのギャップに苦しみ、生きていることさえ悔しいと思ってしまう。生きるべき人に生命を譲るべきだとも思います。ただこんなことを思った数日後にはヘラヘラして、なんとなく生きてるんです。

私は病院に行く勇気すら出ないです。カウンセラーに相談する勇気もない。友人からは何度も病院へ行くことを勧められました。ただ親が近くにいる内は行けないと思います。相談することもないです。言ってしまったらそんなの気のせいだとか、病院へ行くほどではない、異常者なの?という言葉をかけられそうなのです。理解されないと思います。今まで勇気を出して言ったことは、本当に理解されずに流されてきたし、批判されてきました。もしかしたら今は話を聞いてくれるのかもしれません、ですが自分を否定されたような日から、いつまでもアップデートされずに親を認識しています。そのくせ顔に出していると気にかけてくるので本当の私は両親ですら知りません。いつもにこにこ楽しそうに、本当の私が出ないように過ごしています。両親は私のことを愛してくれていると理解しています。ですがきっと本当の私を曝け出せば、異常者扱いは免れないと思います。自分を隠すことは私にとって珍しいことではないので、隠すことを辛いと思ったことはありません。それよりもめんどくさいとかだるいとか思われるほうが辛いです。

私はずっと過去に囚われています。ずっと引きずっています。小学生の時何かが切れたあの時からずっとです。小学生の時に楽しかったことや、ましてや思い出をカケラしか思い出せないです。思い出せるものといえば、ずっとされてきたこと、辛かったこと、まだ狭い世界しか知らないのに死にたかったこと、私の存在が人の邪魔してることぐらいです。ずっと暗い記憶です。なので人間には生まれ変わりたくないです。やり直したいだなんて1ミリも思いませんし、それは今も変わりません。本当の私はずっと暗い人間なんです。でも暗さなんて人間関係に置いて必要ないんです、むしろ邪魔です。私のネガティブが人を不快にさせることもありました。
でも根本から明るくなろうと最近頑張ってました。ポジティブにだんだんなれるようになってきたんです。周りからも変わったって気づかれるほどです。ですがどうですか、今日ここに書き込んでいます。私の心は奥深くに沈み、ただひたすらに自分に気持ち悪さを感じる。諦めたわけじゃないけど、改めて自分には何か欠けているものが
あると実感させられました。

1人暗い部屋の中ベッドの上でこれを書いています。疲れてしまいました、心も体も。私は学生なのでたった1日ぐらいしか休めないですが、とにかく動けそうにないし、人に溶け込めそうにないので、1日だけ、学校をお休みしようと思います。今更寝れないですし…

今日初めてこの場所を見つけて書き込みました。今の私にとってここが1番楽でいられる場所です。これからもこの場所を利用させてもらおうと思います。これを読んでくれたあなたの気持ちが少しでも楽になるように祈っています。ここまで読んでいただきありがとうございます。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。そして死にトリを見つけ、繋がってくれたこと嬉しく思います。
あなたの文章を読んでいて、「消えたい」という願いが、単純に死を望むこととはまた違った質の苦しみがあるのだろうと想像しています。それは、生きるということを終わらせる衝動というよりは、“存在そのものへの重さ”や“もうこれ以上、自分として存在し続けることがつらい”といったような深い疲れや諦めたくなるような気持ちに近いものがあるのかなと感じました。誰にも見られることなく、誰からも求められず、評価されもせず、干渉もされない場所で、自分だけの時間を過ごすこと…それが幸せと呼べるかは分からないですが、今のあなたにとっては唯一、それが少しでも安らげるイメージなのかもしれないなとも感じています。そして、「消えたい」という思いの根底の一つとしてあるのが、“理解されないこと”への絶望なのだとも感じました。特に両親との関係について書かれていた部分で愛されていると理解しているけど、本当の自分は出せない、顔に出すと気にかけてくるけれど、それは“私”ではないといったような言葉に、他人にとっての“優しさ”が、必ずしも自分にとっての“救い”になるとは限らない現実が表れているように思えました。これは、個人の性格や親子関係の問題としてではなく、もっと広く“家庭”という閉じた空間で感情を表現することの難しさだと思いますし、そしていわゆる“良い子”や“明るい子”でいることがどれだけ無言の圧力になっているかという、社会的な課題でもあるように私には映りました。ある種、家族の愛情はその形や伝え方によっては“期待”や“理想”の投影に変わってしまい、結果的に“本当の自分”を封じ込めてしまうことに繋がるものであると改めて痛感させられています。
また、「小学生のとき何かが切れた」と書かれていた部分も、過去が楽しい思い出ではなく、ひたすら苦しみの記憶として刻まれてしまっているとき、人は今やその先のことにあまり前向きに捉えられないというのか、希望を感じられなくなるものだと私は思います。個人的な気持ちの持ちようというよりかは、例えば「子ども時代をどう生きさせてもらえたか」「どんな言葉を浴びて育ったか」といった、社会全体の“子どもに対するまなざしや関わり方”が大きく影響してくるものだと思います。人間には生まれ変わりたくないと思ってしまうほどの過去を背負いながらも、「根本から明るくなろうと最近頑張ってました」と綴っていて、それは決して簡単なことではないと思いますし、ポジティブであることを“自分の義務”のようにしてしまうほどの努力だったのではないかなとも思いました。ただ、あなたの中にある「暗さ」は、ネガティブな要素だけではないと私は思いました。むしろ、「このままではいけない」と自分を変えようとしてきた過程でずっと押し込められてきたことで、残った自己の一部なのだろうと思います。その「暗さ」には、実はすごく多くの感受性や誠実さが含まれているように私は感じました。
この経験談を送ってくれた時、「1日だけ学校を休む」という決断をしたことは、とても大切な選択だと思いました。それは逃げではないですし、“自分を守る”こととして必要なことだと思います。疲れた時に、心と体を休めることを選べる力が、あなたの中に確かに存在しているのですから、決して無力ではないと私は感じます。(偉そうに聞こえてしまったらすみません…)
投稿から日が経ち、あなたがどのように過ごしているか気になりながら、この感想を書いています。その日によって気持ちに波があるかもしれませんが、心落ち着かせられる時間を一日の中で少しでも確保してほしいな…と思いました。また良ければいつでもあなたの感じていること、思っていることを聞かせてほしいです。お待ちしています。

感想2

暗い中、ベッドの上で眠れない夜にスマホから自分の中にしまっていた気持ちを綴るあなたの姿が少し浮かんできて、書いた日から数週間経っている今はどうやって過ごしているのかな?と思いを巡らせています。あなたの経験談が気持ちだけではなく、情景も想像させるような立体的で豊かな表現だと感じたので、きっと豊かな感性を持ち主で、周囲からいろいろなことを感じ取り、気を配り、生きてきたのかもしれないと私は想像していました。感じる力が強いことは、もちろんいい側面もあるのですが、今の社会の中では必要以上に消耗したり、人知れず苦労することも多く、それだけでも他の人よりもエネルギーをたくさんつかっているように私は感じています。私はけっこう鈍いタイプの人間なので、周囲の感受性の強い人たちと話をするとその違いはずいぶんとあることを痛感しています。だから、あなたも知らないうちに、たくさんの負担を小さい頃から少しずつ少しずつためてきたのかもしれないと思いました。もしそうだったら、ずっと消えたい、自分をなかったことにしたいと思うこともまったく不思議ではなく、むしろ自然なことだろうと思います。
また、経験談の中では自分を否定する言葉がたくさんありましたが、時々、自分だけでは消化しきれなかったつらい記憶や経験についても触れられていることが私には印象的でした。その裏には、つらい経験も自分の力で乗り越えなくてはならない、誰かを頼って迷惑や負担をかけてはいけない、弱みを見せてはいけないという気持ちが強くあるのかもしれません。親に勇気をもって伝えたことを否定された経験はそう簡単に受け入れたり、切り替えたりできるものではないと思いますし、その時からアップデートされていなくても無理はないと思いました。そして、同時に親が親身に話を聴く存在に変化していることもまったくないわけではないけれど、可能性としては低そうな気がして(これは自分の経験上、そういう場合の方が多いのであくまでも個人的な意見なのですが)、あなたが病院に行きたいとか、しんどさを吐露することをためらうのは妥当なのではないかと思いました。つまり、あなたの感性が「今は親に言わない方がいい」とサインを出しているようにも思えるのです。一方、友人から病院に行くことを勧められていると書いていたので、友人にはしんどいことを理解されている様子も見えて、少しほっとしています。
小学校の頃のことをあまり覚えていないとのことですが、忘れてしまいたいぐらい、しんどいことがあったのかもしれないし、周囲の意向や期待などに神経を張り巡らせて、何かを記憶するどころじゃなく過ごしていたのかもしれないと勝手ながら想像しました。タイトルが「私って私じゃない」ですが、周囲に気づかれないようににこにこして振る舞うあなたも、消えてしまいたいと思うあなたも、自分のことが気持ち悪いと思うあなたも、こうして死にトリに書いて送ってくれるあなたも、いろいろな側面をすべてひっくるめてあなたという一人の存在だと私は感じました。こうして、普段周囲に知られないようにしている気持ちがあり、場面や場合によって姿が変わることもおかしなことではないと私は思いました。ただ、そう言われても、あなた自身がありたい姿とは違うのかもしれません。それがずっと苦しいのかもしれません。あなたの経験談からは明るく元気な姿が望ましく、悩んだり、暗くふさぎ込むことはよくないことだと思う気持ちが感じられました。そうしたメッセージが世の中にはあふれていてそれを内在化してきたのだろうと思われます。そうした固定化した価値観は確かにあり、それに苦しむ人も多いことを私も感じています。ただ、人は多面的な存在ですし、多様な存在なので、明るい人もいるし、暗い人もいるし、そもそも明るいとか暗いとか人によってとらえ方が違うよなぁと思います。同じ人が明るさと暗さを持っていることもあります。本当は明るくても暗くてもどっちでもいいはずだと私は思うのです。しかし、こうあるべきとかこっちの方がいいという風潮がメディアやインターネットなどでもたくさん流され、家庭や学校などの場面でも無言の圧力となっている現実があることを、死にトリのたくさんの経験談を見ていて思います。あなたの経験談からも子ども時代にのびのびと自分らしくいられない苦しさを感じ、「こんな世の中ではだめだ!」と大人の一人として反省モードになっています。ただ、あなたにとって死にトリは一番楽にいられるとのこと、とてもうれしく思います。また、いつでも来てください。待っています。

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