私は生物学的には男性として生まれたけれど、内面は別の性だったと思う。
子供の頃から男性特有の距離感の近さに嫌悪感を感じていた。
ボディタッチの多いコミュニケーションの取り方が好きじゃなかったし乱雑な言葉遣いも嫌いだった。
言語より力を重視する風潮を感じていてとても違和感や生きずらさを感じていた。
異性との関わりは落ち着けたけれど、ただ友達でいたかっただけなのに恋愛へ発展できてしまう関係だったから大体長くは続かなかった。
(その気もないのに仲良くするなとか)
いつからか割り切って男性を演じるようになった。多分幼少期の頃から。だから心の中で男性性の自分がすくすくと自我を育てていって、本来の自分の性といがみ合う関係が出来てた。(「女物なんて集めちゃダメだよ!」と訴えかけてくるような事があった)その心の中での葛藤が起こると頭が重くなって何時間もベットにつっぷしたままになった。
今は少しずつ性別違和を感じている人がいる事が広まってきたけれど、少なくとも私の住んでいる地域ではその理解がある人と出会ったことはない。
だから外で本来の自分を表現できないことが少しだけ悲しい。
ただ、ネットでは私を私として表現することが出来て嬉しかった。
私が築き上げられた数少ないネットでの友人は性に対して見識があったので、
「子供の頃にピンク色の物を持っていたら『おんなみてー!笑』とバカにされたのが嫌だったから避けてたけど、誰に見せる訳でもないから誕生日だしピンクのセーター買っちゃった」
と呟いてみたら
「凄い似合うと思う!ピンクってやさしい気持ちになれるしいいよね!」
と言ってくれて涙が出るほど嬉しかった。
ある人には性別に違和感があることを伝えたら
「○○ちゃんは男性とか女性とか当てはまる感じしなかったから全然変じゃないと思った!」
って言ってくれてこれまた涙が溢れ出た。
私は少数だけど理解のある人に出会えて恵まれてるなあとしみじみ思った。
私はこれからも外では男性性モードに入って本来の自分を表現することはないと思うけれど、自宅で誰にも何も言われることの無い環境でくらいは本来の自分を表現していいよねって思う。
男性としての体の成長(薄毛や髭)(私は特にその要素が強い…はあ…)には未だに嫌悪感を覚えていて、鏡を見る度落ち込む事が多くて全部を肯定したり受け入れたりすることは未だに出来てないから、私はこれからも悩み続けると思う。
けどせめて、嫌いなものは嫌いなものとして、好きなものまでは否定せず生きていきたいなと思った。
感想1
多様性が叫ばれる世の中でも、理解と共感はまだまだ追いついていない現状をどれだけの人が危惧しているんだろうかとじぶんなりに考えました。
男性だからこう、女性だからこう、といった決めつけや価値観が理解、共感を鈍らせ遅らせているようにも思ってしまいます。さも世の中には男女しかいないような決めつけもしかり。多種多様な人間がいる以上、多種多様な性があって良いはず、認められて良いはずだと思います。自分の中にある性の不一致、違和感で苦しむ、誰かの何気ない一言に傷つき悲しむことが少しでも減らせるような学びが多くの人に必要だと感じます。
あなたが周りに気を遣い、自分の感情を押し殺しながら折り合いをつけてきた時間はとても苦しく、大変だったであろうと想像します。本当の苦しみ、悲しみは書き切れないほど多かったようにも思います。
そんな中でも理解があり、表面上じゃなく中身を見てくれる、感じてくれる存在に出会えてることはすごく良かったなと読んでてホッとしました。
法律や専門家の人?が議論、討論しているような難しいことは解りませんが、私の中で「その人が自認する性でいいじゃないか」と思っています。どれだけ深く長い時間をかけたとしても、他者が決める、守らせることでは無く、本人が感じている性が元来の性別なのだからと。
私自身、ピンクの上着やシャツを好んで着ます。幼い頃からでも、性別は関係なく自分が好きな色を選ぶ自由が当たり前であることを大人が保障してあげられることも大切なのかなと個人的に思います。
あなたは、あなたのまま自分の感じる性に誇りを持って人生を歩んでいいんだ、胸をはって自分の性を掲げて良いんだという私の思いを書かせていただきました。
ありのままの自分でいられる社会、性別に違和感を持たない、持たれない世の中になって欲しいと心から思います。
投稿ありがとうございました。