私は3人姉弟の真ん中、小さい頃からお金に困る貧困家庭で育ちました。両親はお見合い結婚で自営業。景気がいい時はよかった仲は、バブルが弾けて商売がうまくいかなくなると、両親は毎日喧嘩してアルコール依存症になった父は母にDV。お金がなくても優しくて一緒に寝るのが大好きだった父が、怖くてたまりませんでした。母も次第に家にいる事が少なくなり、ひどい家庭環境でした。食べるご飯もなくカップラーメン1つだけ机に置かれて、姉弟3人で分けて食べたりもしました。常に周りの人や両親の顔色を伺い、自分が話したい事やしたい事も我慢していました。
そんな家庭内別居と離婚寸前だった両親でしたが、父が真冬の寒い朝、仕事中に一人倒れ脳溢血で他界。悲しみにくれる暇もなく、3人の小学生を抱えた母は赤字だらけの自営業をすぐに廃棄し一人で手続きに追われ、パート等で毎日必死で働き、私達を3人姉弟育ててくれました。今思うと、両親と楽しくおしゃべりした記憶はありません。
そんな家庭環境で育った為か、私は内気で自己肯定感が低すぎる性格に育ちました。小学生から短大まで、友達は1人か2人、周りからは性格が変わってると言われ常にいじめの対象になりました。常に1人ぽつんと机に座って黙っているか寝ているか勉強をしているふりをしていました。しゃべりかけてくれたら、ヘラヘラ笑う私に面白がられました。何の特技もなく、頭も性格も顔も目も鼻も歯並びも耳も悪くて体力もなく色んな病気にもかかり、手術や入院も数え切れないほどしました。
お金がないと分かっていたので、お小遣いももらえず洋服や文具類は誰かのおさがり。でも、母は一生懸命働いて体をけずってお金もないのに、姉は防衛大学校、私は短大、弟は専門学校まで通わせてくれました。姉と弟は人並みに頭も良く、学費が軽減されたり免除される対象で、一人親の母には助かる存在だったと思います。でも、私は私立高校、私立短大。得になりたい職業や夢もなく、一応学歴としてなんとなく卒業し、一定の資格も取りましたが、社会にでたらあまり役に立たない資格はかりでした。
社会人になり、ただひたすらに仕事を頑張らなきゃと思い、真面目に働きました。ですが、やはり私は普通の人とは違う、周りから浮いている事に気付かされ、劣等感や自己肯定感は更に低くなりました。
姉は結婚して子育て中、弟も実家を出て独り立ちしています。なのに私はまだ親のスネかじり…。10年続けた仕事も退職し転職した会社も10年近く頑張って働いて、1年前に退職しました。
退職の理由は、ブラック企業だった会社によるもので、精神科通いになり半年休職して会社の規定で退職しました。
今は傷病手当と貯金を切り崩してなんとか生きています。脳神経内科も通院。精神科の通院も続けていて、主治医からは『適応障害からくる抑うつ状態』との診断を受けています。抗うつ剤は毎朝3錠、安定剤や睡眠導入剤や痙攣を抑える脳の薬も服用しています。抗うつ剤が効いているのか分かりませんが、毎日夜が来て朝が来るのが辛いです。働く事もできず、もうすぐ2年、、いつまでこんな毎日が続くのか不安しかありません。体調は不安定で3日間寝込んだり元気になったり…。同居している母はパートで毎日仕事してるのに、私は何で。母には『早く元気になってもとに戻ってね!』と言われるのも、姉や弟に心配かけるのも、プレッシャーで更に気分が落ち込む毎日。私は鬱病なんだろうと思います。でも主治医からはそこまではないと否定されました。
自殺未遂も今まで4回しました。最近では、今年の2月母には「出かける」と言って、自殺を図りました。でもやっぱりできなかった。『私が死んだら母が1人になる…』と頭によぎり勇気が出ませんでした。
昔から体力もなく外出したら風邪やコロナに感染し、捻挫や骨折も何回も繰り返して、帯状疱疹にもなり、、、。
若い頃大好きだった事も、30歳過ぎた頃から楽しめなくなり興味もなくなりました。TVも見たくなくなり何にも楽しめなくて、ただ生きている屍みたいです。傷病手当もあと半年しかもらえない、その後はどう生活するの?高齢の母の介護も必ずやってくる、私にできるの?また自殺を図り、母も殺してしまうんじゃないか…。私は独身、将来1人孤独死まっしぐら、、と考えてしまいます。
毎日辛い苦しい涙が突然流れる死にたいと思います。明日になったら、日本の戸籍から消えて私の存在がなかった事になり私が生きた証や痕跡の何もかも消えればいいのに…。と思ってしまいます。この世から消えたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
何にも楽しくない人生…辛い
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。長年にわたって積み重なった痛みと疲弊と孤独感、また「自分はなぜ生きているのか」という問いを繰り返し噛みしめるような文章のように私は感じました。ただ、「しんどい」の一言では済ませられない、もっと深くじわじわと体や心をあなたを蝕んでいるような、そんな印象も受けました。
貧困家庭、家庭内別居、DV、依存症、自殺未遂など社会の中で見て見ぬふりだとかあくまで個人の問題とされやすいものがあなたの生活と人生に容赦なく重なり、そしてあまりにも多くのことを、早すぎる年齢で引き受けすぎてしまったのだと思います。本来なら、誰かに守られたり、頼ってもいい時期に、自分の気持ちを出す余地すら与えられなかったことで、何事にも我慢することや諦めることが当たり前になっていったのではないかなと想像しています。
「私が死んだら母が1人になる」からという理由で自死を思いとどまったこと…どれほど追い詰められても、最後に思いとどまった理由が“自分を必要としてくれる存在の気配”だったことに、この社会に根強くある“女性(または子ども)に背負わされているケアの役割の押しつけ”とも無関係ではないように私は感じました。「母のために」「迷惑をかけないように」「心配させないように」と、そうやって他者の感情を先回りして生きることが習慣になってしまって、でもその習慣に染められてしまっているところもあるからこそ、ここまで自分を保ち生き抜いてこれた部分もあるのかなと…。そう考えると本来背負わなくてもいいはずの役割も、一概に否定できないところもあるのか…と何だかもどかしさを感じています。それでも、私はあなたに(あなたがしたいと思うなら別ですが)いずれくるであろう、お母さんの介護をあなたが引き受ける必要はない(福祉サービスや制度を利用することだってできます)し、無理に元気になって元に戻ろうとしなくてもいいということを伝えたくなってしまいました。
「私は普通の人とは違う」ということも書かれていましたが、「普通」の枠組み自体が、誰かの痛みを排除して成り立っている不安定なものだと改めてあなたの文章を読んで思わされました。学校でも職場でも、「普通」が当たり前として通用する場所で、少しでも外れたら「変わってる」「浮いてる」と扱われることの暴力性…それに耐えてきた年月が、“ヘラヘラ笑ってごまかす”という処世術を身につけさせてきたのに、それすらも人に笑われてしまう対象として扱われた経験は、私が思ったところでどうしようもないことかもしれませんが、何だか悔しい気持ちというのか周りの人たちに対して憤りの気持ちを抱いてしまいました。
母親が働く姿、きょうだいの中で自分だけが取り残されたような罪悪感、服薬しても思うように動けない現状、その悪循環の中で、きっと言葉にするのももしかしたら辛かったのかもしれないな…と思ったりしました。(違っていたらすみません)誰にも見せられないと思ってしまいがちな傷の奥を、こうして文章にすることは、それだけで消耗の激しい作業ですし、それでもこうして経験談を送ろうと思ったのには何か理由やきっかけがあったのかもしあれば聞いてみたいなと思いました。
この世にいるのが辛い、この社会が生きづらいと感じてしまう人が、自分の声を「書く」という形で発してくれることで、この社会に生きる私たち全員が見過ごしてはならなかったり、考え続けなければならない社会の課題が見えてくるものだと私は思っています。あなたの痛みを、誰かが他人事ではなく例えば共感できたり、「自分だけじゃなかったのだ」と思えるような場が、もっと必要なのだと感じました。もし、あなたが書くことで何かがほんの少しだけ軽くなることがあるなら、それを否定せずに大事にしてほしいなと私は思いました。今すぐ何かが解決するわけではないことのほうが多いとは思いますが(おそらくそれはあなたが一番よく分かっているだろうと思いながら…)、育ってきた家庭環境やそれによる今も続く影響も含めてここに書いてある思いを一人で抱えていくのは酷なことだと思うので、匿名で相談できるSNS相談やメール相談などもありますし、そういった自分の何かしらの助けになりそうなところに繋がってほしいとも思っています。容易ではないのは承知の上で、この先少しでもあなたの心が休まりますように…と願って感想とさせていただきます。また死にトリが必要に感じた時はいつでも訪れてください。お待ちしています。
感想1
経験談を読ませていただきました。あなた自身も書かれているとおり、お金のない生活の中、喧嘩やDVを身近に、あなたが幼少期から周囲を伺い、我慢し続けてきたことが感じられました。いじめやブラック企業での就労なども含め、これまでのあなたの生活であなたが安全と感じられる場所で過ごす経験はとても少なかったのではないかと思います。子どもは本当なら安全に守られて、周囲の大人に十分に頼ることができるべきなのに(本当は大人であってもそうだと思います)、それがずっと許されない環境だったのだと思います。それはあなたの責任ではまったくないのですが、周囲からはそれをあなたの問題として押し付けられたり、あなたが⚪︎⚪︎だからという理由づけをされたりすることが多かったのかなと思います。また社会の中でも自己責任論的な風潮があることもあなたの力や安全性を奪うものだったのではないかと思います。「劣等感や自己肯定感」はそういう中であなたに強く埋め込まれたものだったのかなと思いました。
母親さんの「早く元気になってもとに戻ってね!」という言葉もあなたを心配する気持ちからで、あなたが苦しくなく過ごせる状況を願っている言葉なのかなとは思うのですが、10年続けた仕事の中でもあなたがたくさん消耗してきたのではないかと思うと、ただ「もとに戻る」というだと、また消耗の日々になってしまってしんどくなってしまいそう……と思いました。
個人的には、あなたがこれまで我慢して頑張ってきた年月を思うと、もっとたくさん休んでいいのではないかと勝手に考えてしまうのですが、ただ、周囲の人たちの中でのプレッシャーや金銭的なプレッシャーもあるから「しばらくこのままでいい」ともなかなか思えないのかな、とも考えていました。
主治医の「そこまではない」という言葉も、病名がつくと不安になる人もいるから、そういう配慮の要素もあるかもしれないし、診断名というのも曖昧なものではあると思います。ここ数年で新しくよく使われるようになった病名みたいなものもあるし、精神医学はかなりまだまだこれから変化する部分でもあるのかなと思っています。
好きだったことも楽しめない中で、体調不良も精神的な不調も重なると、体力も気力もどんどんたりなくなってしまいそうです。疲れている時って休むこともうまくいかないことがあるなぁと思うのですが、あなたの場合は慢性的にたくさんのことを抱えてきていて、休んだから楽ともなかなかなりにくいところもあるのかなと思いました。私が願うのも勝手なことなのですが、あなたがちょっとでも悩みから離れて、ゆっくり穏やかな気持ちで過ごせる時間があってほしい……と思ってしまいます。
たくさんのしんどさや不安の中でこの経験談を寄せてくれてありがとうございます。消えてしまいたいという思いを書いている人にこういうふうに言うのも、いやな思いをさせてしまったら申し訳ないのですが、あなたがこうやってあなたの経験や感じていることを書いて送ってくれて、それを私が受け取って読ませてもらって……という一連の出来事の中で、あなたと少しだけでも言葉を交わすことができて私はとてもうれしく思っています。そこにいて、声を届けてくれてありがとうと言いたい気持ちになりました。もしまた気が向いたら、死にトリにきてもらえたらうれしいです。