経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

3人家族

DV…まさか自分がDVの当事者になるなんて思わなかった。私の中でDVはドラマの世界だと思ってた。
なんとなくDVぽいと感じるようになったのは子どもが産まれてからだった。夫は私が子どもと実家に行く事を嫌がったり、子どもの育児を私と親がやることを嫌がった。ある日大声で怒鳴られた。怖かった。こんなに怖い人だったのか、結婚して本性を出したのか、何かそんな風に感じた。冷静になって話し合いをすると、実家で引きこもりの姉と娘が遊ぶのが嫌らしい、私の両親だけなら良いらしい。その後も夫は時々キレて大声を出したり、物を投げたりすることがあった。子どもが1歳位だったり、子どもが寝た後だったりで、子どもの目の前で物を投げることはなかった。今回、きっかけはささいなことだったと思う、私が「いつもなんでも相談しないで決めるよね!」と怒って娘を連れて家を出ようとしてしまった。夫はキレて、椅子を投げたり暴れて、髪を引っ張られた。ついに、娘の前で起こしてしまった。娘5歳…
夫だけが悪いんじゃなく、私も悪いところあり、お互いのことだ、これまでもキレた後冷静になって話し合いをしてきた。
その中で、実家との関係だったり、私が気をつけるようになったこともある。
たくさん、あるんだけど、なんと書けばいいのか。
とりあえず、伝えたいのは、暴力はだめだということ。心を病んでしまう。私は3年前から不安症になった。今回娘、嘔吐した。「怖かった」「思い出しちゃった、あのこと」と言ったり、ぼーっとしたり。私もザワザワしたり眠れなかったり。娘を産んでしまったこと後悔した、娘にこんな思いをさせてしまって。でも娘がいると私は頑張れる。一緒に気持ちを受け止めて、パズルして集中して忘れたり。お父ちゃんだけが悪いんじゃなくてお母ちゃんも悪かったんだよ、でも暴力はだめだね、説明した。娘「お父ちゃんもう怒らないでよ」「お母ちゃん、お父ちゃんを怒らせないでよ」そう言った。
穏やかな人と結婚しなかったことを後悔した。
また、夫とは冷静になって話し合いたいと考えている。夫には感謝もあるし、良い面もある。私たちはこの子をこれから、どんな子になろうとも育てていかなければならない。
話し合いのきっかけが暴力なのが、つらい。

感想1

「当事者」という言葉の響きの強さと、イメージしづらさみたいなものを考えました。DVを受けることになって「まさか」というのは本当にもっともの感覚だと思います。私は父親によるDVのある家庭で一人娘として育ち、成人してからは、一緒に暮らしていた自分のパートナーから暴力・暴言を受けたこともあるので、どうしてもそれらの自分の経験とも重ねてしまいつつ、あなたの体験を読ませていただいています。
あなたが恐怖と同時に当惑を感じながら、それでもお子さんのことを考えながらどうすべきか考えてきたことが伝わってきました。「穏やかな人と結婚しなかったことを後悔した」と書いてありましたが、それはあなたのせいではないと思いました。

「夫だけが悪いんじゃなく」「夫には感謝もあるし、良い面もある」というのも間違いではないのかもしれませんが、個人的にはDVをする人が「良い面」があるのは普通だし、人間関係で0と100に分けることができないのも普通だと思いました。
ただ、人間が多面的な存在である中で、そのうちのどれか一つの顔でしかないとしても、それが他者に暴力や暴言や支配の形をとってしまうなら、それだけでもう問題だし、危機的なことだと私は感じます。
「怒らせる」方が悪いという論理や「家族のことは家族でなんとかすべき」というような規範意識は世の中に蔓延っているものですが、それ自体が世の中の暴力的な構造問題だと私は感じています。だから、改めてあなたは悪くないし、あなたもお子さんも逃げていいと個人的には感じています。とくにあなた自身や娘さんにもさまざまな影響が現れている状況なら、どうか、あなたたちに安全な場所にいられてほしい……と思ってしまいます。といっても、逃げるといったってどうしたらいいかわからないこともありそうだなぁと思います。
個人的な話ですが、私の母も今は父からは離れて暮らしているのですが、私が10代の頃までは「あなたに父が必要だと思って、離婚できないと思っていた」というふうに話していました。子育てを1人でするのはとても大変ということは事実あると思うのですが、それは父親の存在がどうこうというより、社会の中で家族が孤立しやすく、助けを求められる場所が不足しているという問題だと私は思っています。
あなたが話し合おうと考え、子どものことを必死に考えていることがひしひしと伝わってくる中で、逃げていいなんて無責任なことばかり書いてすみません。あなたの心や考え、選択はひとつも否定したくないのですが、そういう考え方もあるかも……と思って、あえていろいろ書いてみました。
内容的に自分に重なる部分も多くて、勝手に投影してしまっている部分もあるかな、とも思っています。それも含めて、あなたを窮屈にしてしまっていたら申し訳ないです。
あなたと娘さんの心と身体が穏やかにいられることを心から願っています。投稿してくれてありがとうございます。またよかったら、いつでも死にトリに言葉を寄せてください。待っています。

感想2

「まさか自分が」という戸惑いから始まる文章から、DVが他人事として処理されやすい社会の構造を映しているように私は感じました。ドラマの中にしか存在しないと思っていた暴力が、現実の暮らしの中で起こりうるものとして認識されたとき、そこには現実を直視する痛みと、それでもどこかでまだ信じていた「穏やかな生活」への裏切りのような感覚があったのではないでしょうか…。(違っていたらすみません)
お子さんの誕生をきっかけに浮き彫りになってきた夫さんとの関係性の軋みや、育児に関する意見の対立、実家との関係など、表面的には「すれ違い」や「価値観の違い」と表現されてしまいがちな問題にもあなたは向き合おうと努力されてきたのではないかと私は感じます。夫さんの怒りの背景にある感情や考えを理解しようとする姿勢も、その中で自身の振る舞いにも目を向け、「お互いのこと」として内省していく過程には、簡単に白黒つけられない複雑さと、長く築いてきた関係への責任感が滲んでいるように思いました。でも、その上で、「暴力はだめだ」とはっきり言葉にされているのは、とても大切なことだと感じます。暴力がもたらす影響は、身体的な被害だけではなく、精神的な安全を脅かすものです。ご自身が不安症に悩まされ、娘さんも体調に支障をきたし、恐怖を言葉にしている、そうした反応は、単なる「夫婦喧嘩」や「親の不一致」などでは説明しきれない深刻なサインだとも私は思いました。
「私も悪いところもあり、お互いのことだ」という言葉には、関係を続ける中でなんとか調整を試みてきた葛藤が感じられました。ただ、こうした「両成敗」的な考えが、暴力を実際の深刻さよりも、大したことないだろうという風に周りからもそして当事者である自分自身さえもそう思わされてしまう危険性があることもまた現実として少なくないのかなと私は考えています。暴力の責任は、暴力をふるった側にしかないですし、そこから目を逸らさずに言葉にした「暴力はだめだね」と説明したことは、娘さんへの真摯な対応だったと思う反面、その説明をせざるを得なかった重みをつい考えてしまっています…。娘さんの言う「あのこと」が何を指しているのか詳細までは分かりませんが、子どもが記憶の中に恐怖をしまい込んでいること、そしてその記憶に日常の中で触れてしまうことのしんどさには、想像を超えるものがあると思うので(私自身も幼少期のことを振り返り、感じることでもあります)、できる範囲で娘さんのケアを継続していってほしいなという気持ちにもなりました。
「話し合いのきっかけが暴力なのが、つらい」という最後の一文が、とても印象に残りました。本来、話し合いは対等な関係の中でこそ可能なものですが、暴力という強制によってつくられた「冷静さ」や「対話の時間」は、すでに関係の土台が脅かされてしまっていると思います。娘さんだけではなく、あなた自身も守られていい(守られるべき)存在です。あなたと夫さんとの関係性はこれまで築き上げてきたものもあるでしょうし、関係のない第三者があれこれ口出しするのはどうかとは思いつつ、私は娘さんのためにもそして何よりあなた自身のためにも、夫さんと離れるという選択肢も視野に入れてほしいと思うということを伝えさせてください。今後についてすぐ決められるものでもないとは思いますが、どうか一人で考えるのではなくDVに関する相談窓口や直接的な相談は抵抗あるという場合は、どんな内容の相談でもできるSNS相談やメール相談等もありますので、そういったところに繋がってほしいと思います。長々と書いてしまい、すみません。娘さんとともに今を生きるために、どんな言葉をかけるか、どう時間を過ごすかという積み重ねによって、いつか少しでも、あなたと娘さんの心に穏やかさをもたらす時間につながっていくことを、強く願っています。またいつでも気持ちを置きに死にトリに立ち寄ってもらえたらなと思います。投稿ありがとうございました。

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