経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

幸せは誰のため?

私の幸せな生活がいつ崩壊したのか、明確ではありません。物心ついた時から壊れていたのか、今も本当は幸せなのか、ASD由来の失感情症傾向からか判断することができません。

「自分は両親が離婚したのが悲しかったから離婚はしない」と言っていた母親が離婚したのは中学2年生の頃だったと思います。多分、父の不倫が原因でした。私は咄嗟に「お母さんがそれで辛くなくなるならそれでいいよ」と言いました。姉は混乱し泣いて呻いていました。その当時は母が24時間交代制の仕事に就いていて、三日に一度母以外の人が家事をしなければならなりませんでした。母だけが働き者で他の家族は怠惰だったので、父と姉と私で家事をなんとなく押し付け合いますが、結局は一番年下で力を持たない私がいろいろすることが多かったように思います。私は、授業と部活と塾と体育祭の朝練放課後練と家事のバランスが取れなくなり、学校で私の教科書が切り裂かれたことがダメ押しになって不登校になりました。
不登校になると、より一層「学校を休んでいるからできるはず」と家事は私の担当になりました。機嫌の悪い姉に「なんで学校行かんの」と追い詰められたこともあります。家に帰ってきた母の、家の状態が自分の求める基準の状態になっていないことに関する苛立ちは私に強くぶつけられることが多かったです。

私は人に甘えたくて、ネットに依存するようになりました。明け方までずっと誰かとコミュニケーションをとって通話をしました。性をアピールすれば、たくさんの男の人が私と話してくれました。その男の人のうちの一人と、ホテルで会うことになりました。その人は、ツルッと禿げていて、結婚指輪をしていました。私はただ触れ合いたかっただけなのに、ホテルの部屋にカメラが設置されました。するつもりがなかったキスをされ、性行為をすることになりました。膣に殺精子剤だと言われたぬるぬるした何かを塗られました。コンドームはつけないでしようとしていることがわかり、私は何度か「痛い」と言って相手を制止しました。「嫌だ」と言わなかったのは、私が姉の要求を拒むと「なんでそんなに優しさがないの」「そんなだから友達ができない」と怒鳴られていたからです。優しさに欠けた悪い存在にはなりたくなかったので、「嫌だ」と言わない癖がつきました。ホテルを出ると、禿げ男は「交通費」と言って五千円を渡しました。私が使った交通費は数百円だったので、私は「実際は、私は五千円で買われたんだ。私はたった五千円ぽっちで買われる安い女なんだ」と思いました。帰りの電車に乗った時点で、その禿げ男は私のことをブロックしていました。生理が遅れて妊娠の可能性を考えていた時、トイレで必死に情報を集めながら、これは親に内緒でネットの人に会った罰なんだと自分を納得させました。言いつけを破ると罰が下るのは、論理的にも倫理的にも正当なのかもしれないと思いました。

私は安い女になったので、どんどん自分を切り売りしました。自分のことをいい子だと思いたくて、生理的に受け付けない人とか嫌いな人と付き合ったり性行為をしました。中学二年生の時点でASDの診断が出ていて、人の気持ちがわからないというレッテルを貼られた私は、その奉仕活動に精を出しました。女の人に愛されたいけど愛されない人たちに、無償で愛を与える私は優しいかもしれないと考えました。

不登校だった私は、公立の志望校に受かる自信がありませんでした。しかし、偏差値の低い共学の学校に行くと、男子に注目されやすく構われやすい性質が女子との関係の悪化に繋がり孤立しそうだと思ったので、私学の女子校を志望しました。「高校を卒業した後の進学費用を出さなくていいなら、私学を志望してもいい」と言われ、女子校に通いました。
高校を卒業する前、当時の恋人と結婚しようとしたら、親に「学費は出すから進学して」と言われたので専門学校に行きました。制作物の制作費用を普通のバイトで賄いながら学校に通うのは難しかったので、性風俗の仕事をしました。これまではボランティアでやっていたことがお金になるなんて、ラッキーだなと思いました。

人に保護されているという感覚が希薄だった私は、高校生の頃から恋人とは別に「大人になっても結婚できなかったら、結婚してあげる」と言ってくれる人をたくさん集めていました。そうしたら、私が働けなくて路頭に迷ってもなんとかなりそうに思えたからです。だんだん、人の自由を縛るモノガミーよりも自由を尊重するポリアモリーの方が道徳的に優れているのではないかと考えるようになりました。死ぬまでずっと続く一対一の夫婦が作る幸せな家庭像こそが間違いだとしたら、子供の安定した生活を壊し姉を泣かせ追い詰めた両親が道徳的には許されるので、それも私にとって都合が良かったです。両親がデキ婚だったので、姉は「自分さえいなければ母は自由に生きていけたはずだ」と自分を責めたりしていました。でも、ポリアモリーを支持すれば、両親が悪いわけじゃなくて、姉にそういう一対一の愛情がずっと続く家族の絆という幻想を見せた社会構造が悪いということになるので、親と一緒に暮らす上でちょうど良かったんです。
そうしているうちに、私はだんだん、好きになった人との恋愛を破局させることにこだわるようになりました。私が別れを告げるのではなく、相手に尽くしたり合わせたりしながらも相手から別れたいと言わせることに執着しました。「どんなに頑張っても、関係性は壊れる」と自分を納得させれば、より一層両親は潔白になるような気がしました。

それを友人に話すと、友人は「あなたは他者との関係の間にだけ存在していて、あなた自身というのはないんだね」と言われました。性的な関係だけでなく社会的活動にも私の空白は表れていました。ASDの特性ゆえか、不正義に敏感だったので、私は人からいろんな話をしてもらう方でした。その中で、「あなたのような理解者がこの世に生まれてきたことが希望」と言う人たちが現れたというだけで、反差別活動をどんなに苦しくても続けることが私が自分に対して交わした約束だと語ったりしていたので、そういうのもあると思います。それを見て、「あなた自身の幸せはどうするのか」と言ってくる人たちもいますが、そういう人の言葉は少し鬱陶しく感じています。

私はどうも、幸せにはなりたくないみたいです。いろんな人が「幸せになってね」と言うので、私は幸せを目指さないといけないんですが、それは私が心を押し殺しながら歩く道のようにも思えます

感想1

自分を納得させてくれる思考を見つけようと、「○○と考えればこうなる」と進んでいく様子に、ASDの私はあなたのASD傾向を感じながら経験談を読みました。ASDであることが共通しているからといって、あなたのことをわかるなんて言えないですが、語り口や物事の眺め方には、勝手ながら近しいものを感じています。

両親の離婚という出来事は、原因が父の不倫であっただろうことと、姉の動揺も含めて、あなたのそれまで信じてたものを揺らがしたのではないか…と私は想像しました。そして家事を押しつけられ、不登校になり、母親の感情の向けられ先になり・・・と、自分の気持ちに向き合っていたらやっていけない状態になったとき、自分を主人公にする道から、誰かの人生のよき登場人物として求められる道に、人生の舵を切り替えたのかなと私は感じました。また、それは「切り替えた」というよりは「切り替えざるを得なかった」というような、生存戦略に近いものだったのではないかと私は思っています。
そしてその切り替えにあたって、
・何かに貢献すること(求められることがわかりやすくなるし、肯定や居場所も得られる)
・親を悪者にしないこと(親への負の感情をおさえて、自分のパフォーマンスをなるべく安定させる)
の2点が重要な項目になったのかなと私は読み取りました。

私は女性ですが、人に甘えたい気持ちやどこにもぶつけられない感情を発散するために、性(自分が女であること)を使って男を釣るのはとても手っ取り早いよな…と、麻薬に手を出したいような思いで考えることは結構あります。ジェンダーの問題を知ってからはそれが搾取構造だとはわかっているし、危険な目に遭う可能性も知っているし、何かがすり減るだろうこともわかるのに・・・。なぜその方法に惹かれてしまうのか?と自分に向き合うと、もう心とか手間とかを搾取されてるんだからそれが体でも変わらないじゃんとか、個性のある一人の人間として生きるのきついからシンプルに誰かに求められる人生にしてしまいたいとか、死にたいし自分を嫌いなのにまともな人のふりして足掻くのがめんどいとか、そういった言葉が浮かびました。
性についてあなたの生きてきた世界と私の世界とはかなり違うと思いますが、性愛が自分のためのものではなく、奉仕やビジネスや自分の倫理を試すための何かになっているような感じは、勝手ながらわかる気がしました。

ちなみに私はポリアモリーの精神の人ですが、ポリアモリーだろうとモノガミーだろうと、それが恋愛に関する話だろうと仕事や趣味だろうと、「相手の嫌がるとわかっていることを隠れてやる」のはNGだと思います。だからどの社会制度だろうと、父親はそういった何かの不誠実を働き、道徳的にあまり許容できない人になってしまう気もします…。
ただ、両親そろって愛し合って末永く、みたいな幻想を見せる社会構造には私も全面的に反対で、多様な関係性のあり方や生き方があってほしいと思っています。

幸せは、なりたいと思ってなるものなのか・・・?というのが、私はずっと疑問です。なんか今幸せかも…と感じた瞬間が私は人生で2回だけありますが(たぶん合計3時間くらい)、他は楽しかったり忙しかったりうんざりしたりもう少し頑張るかと思ったりの繰り返しで、幸せかと言われると首は縦にふれないし、幸せになりたいとも思いません。
いろんな人があなたに「幸せになってね」と言うのだとしたら、それはその人たちがあなたにそう言いたい気持ちになっただけの話で、「なんか大変そうだね」「私はあなたに良いことが訪れてほしいと思う」くらいの意味合いかも…?と私は感じたりもします。
私は目標をもつと達成したくなるので、人生について前向きな目標はもたず、死ぬまでに起こる不幸がなるべく少なくありますように…とだけ祈っています。

感想2

投稿読ませていただきました。色々な人があなたに「幸せになってね」と言うのは、不思議と違和感がありました。

もしかしたら、その人たちの言う「幸せになってね」と言う言葉の裏には、あなたを縛るような、もっと言えば今のあなたを否定するニュアンスがあるようにも感じます。鬱陶しく感じたり、心を押し殺しながら歩くように感じると言うのはそういったニュアンスを感じ取っているからかも知れません。

冒頭に書いてくれた学校や家庭環境などの経験から、あなたの中で安心感が育まれない環境だったのではないかなと思いました。話に出てくるところ、あなたが母親に言われてきたことの大半は、「条件付きの許可や命令」だったようにも感じました。「不登校なら家のことをやる、進学費用を出さなくていいなら私学もいい、学費は出すから進学して」などあなたの意見というのはもしかしたら無条件で受け入れてもらったことというのは少なかったのかも知れません。ASDを抱える、あなたの考えやこだわりを否定されたり曲げられたりすることは、人一倍苦痛が伴うことだったかも知れないとも思います。「離婚」というのもその一つだったのではないかなと感じました。

失感情症傾向とも書いてくれた通り、あなたの感情というものはほとんど文章の中で綴られていないのですが、唯一「人に甘えたくて」という言葉があなたの気持ちのように感じます。そのくらい人に甘えることに飢え、また認められることもあなたにとって不足していたことだったのではないでしょうか。ネットで性をアピールすればもしかしたらあなたが枯渇し欲していたものが一時的に満たされる感覚になれたのかも知れません。

男性とのことはあなたが未成年であったでしょうから紛れもなく性犯罪だと思うのですが、性被害というのは人に相談しづらかったり、自分を責めたりということが起こりやすい性質を持っています。人に話せないことで苦しむ人も多くいますが、あなたの場合、はっきりと文章にしたり、自分の考えを人に話せる強みがあるような気もしました。

ポリアモリーの考え方も近年よく聞きますね。私は「隠し事をせずに、関係を持つ人たちみんなが良ければいいのでは」というのが思うところですが、そこに「自由」はあるかどうかはまだ考えているところです。一人というのは他者から自由になれるけれど、一人からは自由になれないというパラドックスが存在するように、ポリアモリーにもそういった自由とも不自由とも言える何かがあるんじゃないかなと考えています。

ポリアモリーについて支持しようと思うこと、あなたが破局にこだわるということ、共通して両親や、自分を肯定したい思いがあることも感じました。きっと誰もが自分のしたことを肯定しようとするのだとも思います。

「社会全体の幸福がなければ、個人の幸福はあり得ない」私が幸せについて考えると必ず出てくる宮沢賢治の言葉です。社会全体の幸福というのは、これが本当に難しい。自分の「これだ」と思えることをいつも疑いながら、自分に今できることをするしかないのかな。ただ「性」については、誰もが正しい知識と倫理観を持って、誰も傷つくことも搾取もないように、守られて欲しいと私は思ってしまいます。

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