私は人を一人殺してしまいました。
丁度1年前、私にはお腹の中に4ヶ月になる赤ちゃんが居ました。
元が生理不順気味で、妊娠直後に不正出血がありそれを生理だと思い込んでました。
つわり殆ど無くすくすくと育ってくれて気がついたら4ヶ月でした。
彼は日頃から?結婚したい、子どもが欲しいとわたしに言っていたので動揺してしまいましたが、この人とならいいかなと思ってました。
でもいざ出来たとき彼は動揺して堕してほしいと告げられました。
たくさん悲しんで沢山悩みました。
新生児のシングルマザーの過酷さ、唯一自分の居場所で拠り所にしていた職場が続けられない。
尚且つ過去のトラウマが原因でパニック発作が起きてしまうため普通の病院では産めない。
どちらを選ぶにしても遠い病院し受け入れてもらえる所が無くて
仮に産むとしても臨月になって陣痛がきた時その病院まで行けるかと考えたら到底不可能で。
沢山悩みました。
これでもかというくらいに泣きました。
彼はいっしょ考えて決めたと言ってきたけれど私はそう思っていません。
彼は私の為を建前に堕してほしい旨を伝えるのみでした。
私は決意しました。
この子の未来を奪う覚悟それから先の苦悩を受け入れたつもりでした。
実際はそんな格好よく決断したわけではありません。
収入が減って新生児を一人で育てる不安、心の拠り所していたお仕事失って大切な人も失って、赤ちゃんは愛されるけど私の心はどこで保てばいいのか分からなくて急に怖くなって中絶を決意しました。
直前まで悩んでました。
施術が始まってもまだ間に合うと悩んでました。
それでも堕胎準備は着々と進められて破水した時私の感情が一気に溢れだしてしまいました。
一緒に決めたという彼にひたすらに八つ当たりしました。
たった一人でお腹の子どもの生を感じながら死に装束を選び、棺を選び見て見ぬふりをされた事がどれだけ辛かったか、期待していた事と真逆なことを言われてじゃあ何でこんなに期待させる事を言ったの?他にも思ってた事を全て彼に伝えました。
彼は黙って居ました。
破水してから結構は早く、滞りなく終わりました。
意識を失ってしまって、起きたらまだ少し暖かいあの子が居ました。
息はしてません。
それでもりんご飴みたいな頭ですやすやと眠っているように見える我が子はとてもとても愛おしくて
お空に旅立ったようにはとても見えませんでした。
次の日彼が迎えに来て一緒に決めた家に帰りました。
最後の夜を3人ですごしました。
涙がとまりませんでした。
彼もさすがに少しは実感したのか涙していました。
骨はほんの少ししか残りませんでした。
その後、私は産後うつになりました。
関係を続けたいと言った彼とは何となく続けてました。
けれどわたしも事が邪魔になったのか、ほどなくして会える頻度が減り耐えられなくなって、衝動的に自分から別れを告げました。
その日から子どもの事も彼の事も忘れた事は1日だってありません。
気がついたら1年経とうとしてました。
1周忌をやりたくて元彼に連絡しました。
彼が流したあの時のあの涙は本物だったと思ったので声をかけました。
心のあわよくばよりを戻したいという気持ちもありました。
久しぶりの彼には彼女が居ました。
彼女にも説明しててこっちでやるからいいと言われました。
片隅にあった不安が現実になりました。
私を忘れて新しい彼女と幸せな毎日を送っている。きっと将来結婚して赤ちゃんができて産んで、
頑張ったね、産まれて来てくれてありがとう
何て言うのかなと思うととたん悲しくなりました。
お仕事も上手くいかなくて我が子の未来を自らで詰み、大切な人まで完全に失って
私は生きているのがどうでも良くなってしまいました。
早く我が子に会いに行きたい。
この世はつらい。
いまはひたすらに色んなしに方を模索しています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
中絶と後悔
感想2
強い意志をもってしたためたような文章からあなたの抱えているものの重みを感じています。そして、書き出すことでほんの少しでもその重さに変化があってほしいと思いましたが、それは読んだ私の身勝手な願いなのかもしれません。重みに変化があろうがなかろうが、あなた自身は自分の意志で、何かしらの動機をもって出来事と気持ちを綴ったのでしょう。だから、書いて送ってくれたことそのものに何かの意味があるのだろうと思います。
後悔は多くの人たちが体験することですが、あなたの後悔には自分以外の命が関係しているので、他の種類の後悔とは単純に比べることができない後悔なのだろうと想像しました。しかも、経験談に書いてくれたようにそのプロセスを自らの心身のすべてで体験したからこその実感は様々な苦しみや葛藤のもととなり、心身に刻み込まれた感情や感覚、記憶など、すべては忘れようにも簡単には忘れられないことだろうと思います。ひょっとしたら、どこか忘れたくない、忘れてはいけないという思いもあるかもしれません。そして、忘れないことによって苦しさは続くと考えると、何をどう考えても複雑に絡み合った苦しみがそこにはあると感じました。その苦しみは信じあったパートナーであっても、それを共有したり、分かち合うのは難しいかもしれません。心身をもって体験した者とそれを見聞きする者の違いがあると思うからです。こうして感想を書いている自分もまた理解をしようとしても、分かち合おうとしても、限界があると思っています。ただ、私はそもそも誰かの苦しみを理解することはできないと思っているので、ただただ静かに自分なりにできる限りの想像をすることしかできないと感じます。ただ、そうはいっても人が互いにささやかながらつながることやお互いに思いをはせることの積み重ねで、生きていることを考えると、こうして経験を分かち合うことに私自身には意味があると感じます。
あなたの経験を読んで私が強く願ったのは、女性が一人でも安心して産み育てる環境があってほしいということです。妊娠は生物学的な男女のペアでしか成立しませんが、育てることは必ずしも生物学的な父と母が絶対に必要ということではないと私は思います。人間社会だけが何だか特別に親を重視して、本来の子育ての意味を歪めてしまっているのかもしれないと思うこともあります。(他の国や地域では必ずしも親が子育てをしないような文化が残っているところがあるそうです)両親がそろわないといけない、生物学的な親が子どもを育てるのが普通というようなメッセージが、あなたの苦しさを生み出したという側面があると私は感じています。だから、妊娠した人が一人でも、産み育てる選択をし、社会全体が子育てをサポートすることが必要だと私は考えています。母親一人だけに子育てを負担させるのではなく、ともに子どもを育てる社会があれば、子どもを産むことへのハードルが低くなるのかもしれないと思いました。
あなたは以前職場が唯一の心の拠り所だと感じていたと書いていたことが私の印象に残っています。最後に、心の拠り所、居場所を感じて求める心があなたの中にはあることを確かに受け取ったことをお伝えしたいと思います。
感想1
読み終わってまずはじめに、「よくここまで頑張ってきたなぁ…」という気持ちになりました。今まさにしんどい状況であるということも、あなたが真剣に悩み続けてきたことも私には伝わってきました。
また、読んでいて私も息が詰まる場面がありました。読んでいる私も息が詰まるのだから、実際に経験したあなたはどんなに悲しく、心細く、不安だっただろう…と私は思いました。
私ももし妊娠したら、交際相手と結婚して子どもを育てたいと考えると思います。そういった期待を持っていたあなたにとって、彼の言葉は衝撃的だっただろうし、悲しくてしかたのない言葉なのではないかと私は思います。赤ちゃんを堕ろすか否かということで色々あった彼に彼女ができていたことも、あなたにとって相当ショックだっただろうなと思います(彼が堕ろすようあなたに言ったことやそれから起こった出来事から逃げたい…という彼の気持ちもあるかもしれませんが……私には彼の真意は分かりません)。
心の準備ができていなかったのか、私には彼の気持ちは分かりませんが、もし彼が「結婚して一緒に子どもを育てよう」と言ってくれたら、きっとその瞬間のあなたは不安もありつつ幸せを感じられたのかもしれない…と私は思いました。
あなたがほしいと思っていたけど得られなかった人やものや経験は色々あるかと思いますし、自分がそこに関与していたとしたらなおさらしんどいだろうと私は思います。その後悔や苦しさを適切に処理する方法を私も知らないな…と思いました。
そして、あなたは罪悪感を強く抱いているのかなぁ…とも私は感じました。
堕ろすことになったのはきっとあなただけのせいではないと思います。ただそれでもやり場のない大きな気持ちがあるだろうなと思います。
子どもをうむことに対して、女性の場合は自分のお腹も大きくなるし、「子どもがいる」ということを感じる場面も多いのではないかとも思います。そして、手術をしたのもあなたです。あなたはその子のいた軌跡や感覚がより感じられるからこそ、逃げられない事実としてより迫ってくることもあったのかな…とあなたの日々やその感覚について考えていました。
今のしんどくて死にたいあなたにとって、「子どもをうんだらより大きな悲しみを感じてたかも」なんていう言葉はあまり意味もないだろうな…と私は感じました。そういうふうに思っても悲しみが癒えるわけでもないだろうと私は考えますし、今が辛いからこそ、あったかもしれない幸せな未来について考えてしまうのだと私は思いました。
あなた自身のことや人生、あるいはうまれてくる子どものことを必死で考え続けたあなたの頑張り、あなたの人生を知ったということを伝えることしか、私にはできないのかもしれないと感じました。「子どものためではない」とあなたは思うかもしれませんが、自分のためだったとしても、あなたのそれは人から認められるような過程であり判断だと私は感じました。手術までの間に葛藤する過程があったこと、中絶せざるを得ない方向であったように見える環境でもがいたということをあなたの経験談から感じ取ったからです。
大切な人やものを失ってしまったあなたがせめて心穏やかに過ごせるにはどうしたら良いだろうかと、ぐるぐる考えていました。大きな悲しみ、失望…言い表せない様々な感情でいっぱいだろうと思いますし、「もうがんばれない」という気持ちを抱いているのかなぁとあなたの気持ちについていっぱい、拙いながら考えていました。「少なくともこういうふうにあなたのことを考えている人間はいるんだよ」と伝えたい気持ちになりました。
「何を思って経験談を投稿してくれたのだろう」と読んだ後に考えました。ただ自分の中に秘めておくのではなく、誰かがいる場所で誰かに伝えようとしたところに、あなたが今望んでいることやものが垣間見えるような気がしました。たった独りで背負うには重すぎるのかなと、私なりに考えていたところでした。
あなたの経験談を何度も繰り返して、噛みしめるように読ませていだたきました。あなたが必要だと感じたときに、相談や死にトリの他のコンテンツを使ってみてもいいのかも…なんて、勝手ながら思いました。しんどい中で必死に書いた経験談を投稿してくださったことに、私は尊敬の気持ちを抱きました。