経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

政治と経済とウィスキー

私はS家の長女でAといいます。そのとき中1で多分12歳、妹が小5、弟が3歳か4歳でした。N家のお姉ちゃんは小4だったと思います。N家の妹は小2、弟は5歳。F家のお兄ちゃんは小5、弟は5歳でした。

S家とN家とF家の3家族は仲がよく、家族ぐるみの付き合いでした。その三家の子どもたちは、総勢8人で、私が1番年長でした。三家の中でN家が1番お金持ちで、お父さんは社長さんでした。

ある日の休日の昼間、N家のお父さんが持っているウィスキーを、N家のリビングでお父さんたちが飲むことになりました。お母さんたちは、お父さんたちのお酒を作ったり、おつまみを用意するのに手が空かず、キッチンやリビングに待機することになりました。さて、私たち子ども達はどうなったと思いますか?

8人の子どもたちは、2階のダブルベッドが一つ入っているだけの部屋から降りてこないよう、お母さんたちにに命じられました。絵本もおもちゃも、ビデオも何もない部屋に軟禁されたのです。何かあったら年長の私が知らせなさいと言われ、私は見張り番にさせられました。静かにしているように言われました。

私たち子どもたちは、どうすればいいのか分からず、時を過ごしました。なにせトランプすらないのですから。軟禁が解けたのは、かなり時間が経ってからです。だいぶ経ってから部屋から降りてきてもいいと言われたと思います。おそらく、そのときには親父たちが、しこたまウィスキーを飲んで、酔っ払って満足し、子どもが邪魔にならないと判断されたときだったのでしょう。

N家のお母さんは、私に、「Aちゃんがいるからいいのよね?」と言いました。はあ?何言ってんの?子どもを軟禁して育児放棄して、親父どもに高い酒飲まして、中1に七人も幼児もいるのに子守させて、馬鹿じゃない?

私は後で自分の父親に聞きました。

「ウィスキー飲んで何するの?」

。。。私にはウィスキーなんて苦い不味いもの飲んで何がしたかったのか分からなかったからです。すると父はこう答えました。

「政治とか経済の話をするんや」

へえ、政治とか経済とか、大変ですね。そんな難しい話するなら、子どもを軟禁しないとできないのかもしれませんね。

私は今49歳ですが、うちの親も、N家やF家のおじさん、おばさんも、子どもを虐待したことで、逮捕までされなくても、町内で吊し上げにあってほしいです。なんで政治と経済とウィスキーのせいで部屋に閉じ込められなきゃいけないの?酒臭い親父たちのために、なんで子どもが犠牲にならなきゃいけないの?

あーあ、さぞ高いウィスキーだったんだろうなあ。私は今でも政治と経済とウィスキーが大嫌いです。

感想1

あなたの経験談を読ませていただきました。「政治と経済とウィスキー」という要素はこのエピソードの象徴的なものとしてあなたの記憶の中に焼きつくように残っているのだろうと感じました。また、文章全体の描写から、あなたが視覚的なイメージも含めて鮮明に記憶しているのかなと思いました。

「さて、私たち子ども達はどうなったと思いますか?」といった語り口調は語り部のような感じ、あるいは童話の文章のようで、とても印象的だと感じました。あなたがこの頃の記憶を何度も自分の中に反芻せざるを得なくて、その中で練り上げられた言葉なのかなぁと想像しました。それはAという幼い頃のあなたやきょうだい、N家のこどもたちを少し俯瞰するような口調でもあるのかなと思いました。

「はあ?何言ってんの?子どもを軟禁して育児放棄して、親父どもに高い酒飲まして、中1に七人も幼児もいるのに子守させて、馬鹿じゃない?」といった部分は、現在のあなたがその過去を振り返った時の感覚だと思うのですが、それはこども時代には言い返すことも、怒ることもままならなかったあなたに加勢して、擁護するような力強い言葉だと私は感じました。当時はたとえば「育児放棄」という言葉も知らなかったかもしれない、こどものあなたを、大人になったあなたが振り返りながら支えているようなイメージを持ちました。
だからといって、過去の記憶が解決するわけでもないし、今でも許せない思いを深く抱き続けていることも強く感じました。
「なんで政治と経済とウィスキーのせいで部屋に閉じ込められなきゃいけないの?酒臭い親父たちのために、なんで子どもが犠牲にならなきゃいけないの?」という問い……というか問題提起はもっともだと思いますし、とても大きな、それなのにそのとき見過ごされてしまった問題だと思いました。

最後の一文「あーあ」というところから、そういうふうに思うのも無理はないと感じました。でもそう考えている中で、そもそも経済とか政治ってすごく自分たちを取り巻いていて切り離せないなぁという気持ちにもなっていて、それが嫌いだと避けることも難しくて疲れることもあるのではないかな…と感じました。
「個人的なことは政治的なこと」という標語みたいな表現のことも思い出していました。(これは海外の人権運動の中で言われていた言葉を日本語に訳したものだそうです。)
なんというか、世の中では、政治の話ってすごく特殊な、普通の生活からは切り離されたようなことみたいに扱われている感じがしています。「政治とか経済の話をするんや」という父親さんの言葉にも、そういう「自分たちは特別なことをしている」みたいなニュアンスも感じました。
でも本当は、あなたがこうやっておかしいと思うようなことを問おうとすることも、まさに政治的なこととも言えるし、とても大事なことで、すべてつながっているはずだとも思います。もし大人がウイスキーを飲みながらするのが政治のことだと言うなら、こどもたちが閉じ込められていたことも、その中ですごした記憶とともにあなたが生きてきたことも、政治的じゃないわけがないなぁ、とぐるぐるぐるぐるしながら考えていました。
飛躍しているかもしれませんが、あなたが「あーあ」なのは、過去の記憶や、親や大人たち、だけでなく、そういうことがまかり通ってきた社会そのものに対してでもあるのかなぁと思いました。私も社会で起きる様々なことに失望や絶望や怒りの気持ちになることも多いのですが、それらを共有しながら、解決策をどうにかして見つけたいなぁと思っています。

今回は過去の出来事を振り返って書いてくださった経験談ですが、あなたの言葉の中から、その当時の状況を考えているうちに、現在のあなたがどんなふうにすごしているのかなぁと気になっています。もしよければ、またあなたの話を聞かせてもらえたらうれしいです。投稿ありがとうございました。

感想2

あまりに理不尽な扱いと、軟禁の戸惑いやストレス、見張り番を任されたプレッシャー・・・そのときのあなたは、いつになったらこれが終わるんだろう…と永遠に感じられるような待ち時間を過ごしていたのではないかと想像しました。
しかもそれが父親たちの楽しみのためで、それを甲斐甲斐しく世話して許容する母親たちがいて・・・。男性が女性を従えて当然というような社会の風潮、我慢することに慣れて子どもたちにも平気で我慢を強いてしまう女性、そういった社会の縮図がそこにあると私は感じました。だからこの話に出てくる大人たちに腹が立つ気持ちと、私もこの社会構造に許容という加担しているのではないか…いや、してるときも確実にあるだろうという危機感が同時に湧きました。例えば、権力のある男性がマウントをとるような振る舞いをしても、「もうこの人に話は通じないしな…」と私は苦笑いを隠して許容したり、自分の立場の弱さから何も言えなかったりすることがあります。そうやって大人が、自分は大丈夫だからいいかと横暴を見逃すとき、いつか誰かが大丈夫じゃない思いをすることに、小さく加担しているのかもしれない・・・この経験談を読んで、そういった感覚をじわりと抱いています。

随分と話を大きくしてしまいました。(すみません…)
大人の身勝手さをまざまざと見せつけられ、自己犠牲を強いられたシーンは、子ども心に強烈に残るものだと私は自分の経験と重ねても思います。父親たちが話していたのは政治や経済の話題ではあったかもしれないですが、それは本質的にはつまらない自慢話や酔っ払いの意味ない話だったろうと私は想像するし、そもそもどんな重大な話をするにしても、子どもを部屋に閉じ込めていい理由にはなりません。例えばシッターを頼んで、子どもたちを公園やテーマパークなどに連れていくなど、やり方はいくらでもあるはずだと思います。
その物に罪はなくても、そういった強烈な出来事があると何かを嫌いになってしまうのは私もあるのでわかります。(ちなみに私は某海外メーカーの車が嫌いです)
経験談の投稿ありがとうございました。

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