経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通って

自分はまだ中学生なんですけど
親に「あなたは普通に生きて!」って言われました
多分それは兄が不登校になってみんなとは違う人生の歩み方をしたからだと思います。
でも親の言葉がきっかけで「親の言う普通ってなんだろう?」って思いました。自分は「学校に行って、友達と遊んで、家族で楽しくご飯食べたりするのが普通なのかな?」と思ったので自分が思う普通を演じました。でも親は「なんで貴方も普通ができないの!?私達の教えが悪かったの!?」と言ってきました。この言葉から私は親の言いなりになった感じがします。親に「やれ」と言われたことしかやってないことを最近になって感じました。私は親に聞いてみたんです「親の言う普通って何?」そう聞くと「そんな事も分からないの!?貴方にはもう何も望まない」と言われました、自分にとっての普通と親にとっての普通が違うと気づきました。このことがあって以来私は人と関わるのが怖くなってしまいました。皆さんは普通ってなんだと思いますか?

感想1

「貴方にはもう何も望まない」と、ショッキングな言葉で自分が認められていないと傷つき悲しい気持ちになったのではと想像します。これまで自分なりに「普通」とは、なんだろうと考えたり実際に演じてみたり尋ねてみたり、「普通」に困らされながらも格闘してきたあなたに、何だか見て見ぬふりをしない力強さすら感じました。

社会情勢や生活環境、その時の年齢など様々な要因によって、実は「普通」って姿を変えるものなのかもと思ったりします。そして、「普通」の背後には「多くの人がそうしている」という無言のスーパーパワーもくっついていて、「何となく皆そうしているから」ということが、社会や自分の「普通」でいつの間にか「正しいこと」と、となっているように思います。

「自分にとっての普通と親にとっての普通が違うと気づきました。」とは、あなたにとって大変ショックで困った事態だったと思います。親と自分が別々の人格や人生ということに気づいてしまい、親子であってもテレパシーは通じないことを知ってしまったのですから。あなたが汚れた服を手洗いし始めたら、親御さんは服が伸びるからやめなさいと怒るかもしれません。汚れたスニーカーを手洗いしていたら、洗濯機が汚れなくて済むと偉いと感謝されるかもしれません。親子や他人であっても、面倒だけれどもお互いの思いを表明し話合えたらいいのになと思ったりします。(今の社会はその時間を割愛していることがとっても多い)

人と関わるのが怖いと思いつつも、自分の思いを投稿し、誰かの意見も聞いてみたいというあなた、その気持ちや行動を大切にして欲しいと感謝の気持ちとなりました。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

投稿読ました。「普通」って、あまりにも曖昧で、人によって形が違うのに、まるで一つの正解があるかのように押しつけられることがあるなと常々感じさせられます。特に家族の中で言われる「普通」は、その家の文化や、親自身の理想や不安が色濃く反映されていて、子どもにとってはとても窮屈なものになりがちだなと私は思います。
あなたはきっと「親にとっての正解」を必死に演じようとしてきたのだと思います。でも、その努力すら認めてもらえず、深く戸惑い傷を負ってしまったことが伝わってきました。中学生という年齢で、そこまで自分と親の間にあるズレを感じ取り、「親に『やれ』と言われたことしかやってないことを最近になって感じました」と振り返れる視点を持っているのは鋭い感性だと私は思いました。
今の社会は、「子どもの主体性を育てましょう」と言いながら、実際の家庭や学校の場面では、まだまだ「親の言うことを聞くのが良い子」「枠の中でちゃんとしているのが普通」という空気が残念ながらまだ根強く、そんな中で「自分で考える」「違和感を持つ」というのは、とても孤独で怖いものでもあるのだとは思いますが、大切な大きな一歩でもあると思います。
「普通ってなんだと思いますか?」という問いに、私も簡単に答えを出せないなと思ったのが正直なところです。(本当に“普通”ってなんなのでしょうね…)ただ、少なくともその問いを持てたあなたは、社会の「普通とはこうあるべき」といった価値観や誰かの「正しさ」に飲み込まれず、自分なりの感覚を大切にできる人だと私は思いました。その感覚を持ち続けながら生きることは容易なことではないとは思うのですが、また何か違和感を抱いたり、伝えたいことがある時は、いつでも死にトリに声を届けてほしいです。

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