経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

軽度知的障害者発見

あるカウンセリングで知的障害の話をして知的障害検査、性格検査を受けた結果(軽度知的障害)の結果が出ました。生まれてからこれまで私は生きづらさをずっと感じて生きてきました。親の愛情もなくただただ出来たから生まれた子供だと思っていて小学校も中学校もずっといじめを受けていて④ぬことをずっと感じていて。まともに仕事も出来ず(当たり前です。知的障害だから。)ニートをずっと送り、どうにかアルバイトをしてやっと大好きな音楽、映画のレンタルビデオ店に正社員として離婚した旦那と知り合いました。生まれてからずっと知的障害者だったと感じ、子供も生まれ家事、育児もまともに出来ず。今は子供にほだされてB型作業所に行ってはいますが人間関係に嫌気がさして。人間失格、社会不適切後者なんだと。生きてる資格はないのだと思っています。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
障がいがあると分かったのは、ある程度年齢を重ねてからのことだったのかなと想像しました。ずっとつらくて仕方なかった「生きづらさ」の理由にたどり着いた反面、自分を否定したくなる気持ちをより確かにしてしまう出来事でもあったのかな、と想像しました。結果が出たときのあなたの気持ちは、なかなかに複雑だったのではないかなと感じています。(あなたの気持ちと違ったことを書いていたら、すみません)
書いてくれた言葉一つ一つをかみしめるように読みながら、あなたが苦しい中をなんとか生き延びてきたことを感じました。その道のりは過酷で、何度も心が折れかけたのではないかと思います。そのことをただただ受け止めたいなと、今はそんな思いでいます。
またよかったらお話を聞かせて下さい。

感想2

自分のことが一番難しい。人のことはなんとなく見えるけど、自分は見えない。それはなんでなんでしょうね。自分は見られないから当然か。自分がなんとなく見えたとしても、それを認めるのもとても難しい。人間はとても未熟な状態で生まれるからどうしても親の影響を大きく受けてしまうし、それに人生を左右されてしまうけど、大人になるにつれて少しずつ自分を分かっていく中で、自分で自分を癒したり、自分を分かってあげられるようにもなっていくのかなと思います。とても少しずつだけど。
あなたの文章を読んで、あなたも自分の生きづらさが分からないままに、でも一生懸命に目の前のことを頑張ってきたのではないかなと想像しました。どんなに日々が難しくとも、それがどんな結果であろうと、日々をあなたとして生きたことは尊いとわたしは思います。生まれてきたことにどんな意味があるかは分からないし、苦しみも楽しみも味わうのだけど、手応えを感じることができるのは生きているからなので、自分の手応えをこうやって言葉にしたり、誰かに話してみることはとても大事なことなんだろうなと思いました。私も誰かに自分のこと少しでも話してみようと思いました。

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