おんなじ状況心境にある人に届いたらうれしいな。きっとあなたと同じ気持ちだよと。同じ気持ちだからといって、共感したからといって、大きな何かが解決するとは思わないけれど。
今自分は高校3年の受験生です。つらいです。中学のとき、私は自分でもけっこう真面目な方だと思ってたし周りからもそう思われていたと思います。勉強ができました、中学の時は。その成績のまま進学校の部類の高校に入学しました。高一の頃はまあ中学の勢いのまま頑張れました。だけど、高二になってから減速し、勉強しなくなっていきました。何が苦しいって消えたくなるかって、成績のこともあるけれど、自分ががんばれないことです。もう家に帰ったらずーっと動画ばっかり見て、寝落ちして、休みの日もダラダラ過ごして、夕方になると、ああ、という虚無感といったらいいのか、自分を責める気持ち、消えたい気持ち、誰かに殺して欲しい気持ち、そんな負の気持ちに溢れます。学校だと寝ることもなくきちんと授業は受けてるし、休み時間も効率的に過ごしてきっとそこそこがんばってる子に先生からも友達からも見えていると思います。でも実際自分はそんなんじゃないんだと、叫びたくなります。今はこんな不真面目野郎だけどほんとは勉強がんばりたいんです。受験成功させて国公立に受かりたいんです。というか受かる。受かる以外の未来が分からないのもあるけれど。がんばれない週末や夜を過ごした後学校に行って、クラスメートが昨日勉強どのくらいした、頑張った、そういう会話をしているのを聞くと心から嫌になります。がんばらなきゃと焦っているのに、あの家での態度はなんなんだろうと思います。勉強を好きだと思ってたんですが、その中学、高一の私はたぶん人に先生に褒めてもらいたかったんだなあ、クラスメートからすごいねと言ってもらいたかったんだなあ、そういう目を向けられたかったんだなあ、自己肯定感を得たかったんだなあと、振り返ってある時気づきました。とはいえ勉強を嫌いになりきったわけではありません。楽しく感じる時もあります。だけど、やる気は出ない。スクリーンばっかり見てしまう、そういう状況です。
早く早く早く早く早く受験成功させて、卒業したい。たくさん自分の好きな本を読んで、気になる映画アニメを見て、大学生ちゃんとやって、大好きな友達と出掛けたりして、暮らす。そんな生活が早く来て欲しい。自分を責めるとか、片付かないタスクとか、もうさよならしたい。つらいですいやです受験生。それでも受かりたい。
最後にこの文章を読んだ受験生さんが、受験に必ず成功することを願って。あなたのことは何も知らないけれど、応援しています。
自分もその成功する一人になるよう、弱い己と上手く付き合って、戦っていきます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
勉強や受験
感想2
投稿ありがとうございます。
「頑張りたいけど頑張れない」という感覚について考えながら読みました。私自身も同じような気持ちで過ごしていた学生時代があり、その当時のことも振り返ってみると、「自分はもっと頑張れるはずなのに」という自分への期待のようなものがあったのかなと感じます。
投稿者さんの中にも、似たような気持ちがあったりするだろうか…と想像しています。
私が読んでいて一番感じたことは、投稿者さんにとって自分のアイデンティティは「勉強をきちんと頑張れること」なのかなということでした。自分のことを肯定できる要素であり、同時に他者からも肯定される理由があると自分が思えることを、アイデンティティと呼ぶそうです。投稿者さんは中学時代、「真面目で勉強ができる」と自分のことを表していましたが、それが高校2年生~現在にかけて少しずつ「そうではなくなって」きたのかなと思うと、自分のことを認められない感覚がどんどん強くなっているのかなとイメージしました。あくまでイメージですが、世界が「頑張れている理想的な自分」と「頑張れていない自分」とで二分化されて、ひたすら自分を責めるしか道がない感じというか…。
(少し大きな主語で話をしてしまいますが)これは投稿者さんだけでなく、今の社会の「受験」に対する風潮が創り出していることでもあるのかなとも感じています。受験生(受験期)というと「時間も体力もとにかく勉強に投じる」「寝る間や遊ぶ間も惜しんでやる」みたいなイメージが先行します(実際にそのくらいやる人もいるでしょうし、難関突破のためにはという捉え方もあるのでしょう)。しかし大人が四六時中働いているわけではないように、受験生もまた勉強以外のことがあり、「やらなきゃいけない」ではなく「やりたいこと」をする時間や、ボーっとする時間など、いろんな要素でできているはずで…だから当然、何もしたくない日もあると思います(これは普段何かに取り組んでいるかどうかに関わらずだと思います)。
そういう当たり前のはずのことを全部すっ飛ばして「とにかく頑張れ」と言われ、「勉強する」ことしか選択肢を与えないのが、受験の怖いところだなあ…と私は思います。そういう世界で過ごしていると、勉強や成績を通してしか、自分の存在や感情を肯定できなくなるだろうなと。そのくらい追い込んでやることが悪いとは思いませんが、自分のための手段の一つである受験が、誰もが絶対通過しないといけないもの、乗り越えてこそ、みたいな風潮は、本末転倒に思える私がいます。
投稿者さんの中には、受験を乗り越えた先で叶えたい生活があるように感じました。それは手段としての受験を超えて、投稿者さん自身の希望なのだと思います。勝手かもしれませんが、一度自分にとっての「理想の生活」をやってみるのはどうだろうか?と思ったりもしました(好きな作品を見て、友人と出かけて…など)。周りがピリピリしたり、周囲の意向があったりもするかもしれませんが、誰よりも投稿者さん自身の、自分の中にある願いを大切に過ごしてもらえたらいいなと感じています。
お返事
感想いただきありがとうございます。いただいた文を読みながら泣いてしまいました。自分の思いを書き出し、誰かに読んでもらうことは初めてで、誰かに自分の事を聞いてもらえるのはこんなにホッとするんだと思いました。どんな大学に受かりたいのか、どうして国公立を志望しているのか、色々聞いてみたいと書かれており、ああ自分の事を聞きたいと言ってもらえるのはすごく安心するというか、嬉しいのだなとも思いました。自分の考え方や思っていた事が、丁寧に言語化されており、自分と同じ目線で考えてくれる人がいることに、安心感のようなもの(私の言葉では表せないですが)を感じました、ありがとうございます。
少しだけ返信の中にあったことについてお話しさせていただくと、国公立を志望しているのは学費が私立より安く収まるからという理由で、両親に多くを払ってもらう以上あまり負担をかけたくないという思いにあります。大学の学部は生物系や化学系を志望する形になるとは思いますが、正直自分がその辺の話題に興味関心を持ちきれていないという不安があり、自分はその学部に入って、何がしたいんだと、分からなくなっています。とにかく国公立大学に受かっていたい、そういう気持ちが大きいのだと思います。
また、文中にあった、手段の一つである受験、に自分は苦しみすぎているんだと気づきました。自分のしたい事はまだクリアでないのに、したい事が確定しているかのように、それを達成するための手段を準備しようとしていて、順序が逆というか、心がモヤモヤしている原因の一つなのかもと思いました。
私の中には確かに、今、大学在学時、大人になった時、それぞれのタイミングでのこういう生活をしていたいなあという理想の生活があって、その中にはちゃんと勉強してる自分や毎日を楽しんでいる自分も、将来の生活の中だったらしっかりお金を稼いでる自分もいるのですが、今の私は勉強もちゃんとできていないし、将来お金をしっかり稼げる自分になれるのかも分からないようで、心がぐずついている感覚です。だけども、いただいた文の最後の言葉のように、できる範囲で自分の理想の生活に近い生活をしたいです。正直、また季節がすすみ、あまり変わっていない自分に焦り、周りと比べて嫌になったり何にもしたくなくなったり泣いたり、心の余裕がなくなっている毎日なのですが、やっぱり大学には受かっていたい思いはあって、心が不安定なばかりです。けど、少しずつ、なるべくポジティブに考えるようにして、自分の思いや問題から逃げずにちゃんと向き合って、時には折れることもあるかもだけど、いい明日を作れるよう生きていきます。来年このサイトに大学受かることができましたと報告したいです。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
私は現役の受験生ではなく、かつて受験を経験した者なので「あの時しんどかったな」とか、「自分はこんなことを思っていたかもしれないなぁ…」と、勝手に自分の経験と重ねて文章を読ませていただきました。
あなたは、頑張れない自分に苦しさを感じているのですね。勉強を頑張りたい気持ちはあるのに、なかなか行動が追いつかない…そんなもどかしさを抱えているのかな、と想像していました。(もし違っていたらごめんなさい)
文章の要所要所に「受験を成功させたい」という思いがちりばめられていたので、「どんな大学に受かりたいんだろう…」「どうして国公立を志望しているのだろう…」と、いろいろ聞いてみたい思いになっています。中学生や高校一年生の頃に勉強していたのは「褒めてもらいたかった」「自己肯定感を得たかった」からと書いてくださっていましたが、その思いは今もどこかにあるのでしょうか…。(私だったら「周りの期待に応えなければ」というプレッシャーのようなものを感じてしまうかも…と思ったので、あなたの中にある受験への気持ちを、もう少し聞いてみたいと感じていました)
高校受験や大学受験に取り組むことは、長い時間をかけて勉強と向き合い続けることだと思います。あなたの「受験を成功させたい」という気持ちを陰ながら応援したい自分がいる一方で、「頑張れない日もあっていいのかも」と伝えたくなる自分もいます。これはあくまで私の感じ方にはなってしまうのですが、長い間勉強と向き合うには体力も必要になってくると思っています。なかなかやる気が出なかったり、ついスマホを見てゴロゴロしてしまう時は、もしかしたら”体力のゲージをためている時間”なのかも…と思っていました。(そうした勉強から少し距離を置く時間も、勉強と向き合うための大切な作業の1つなのかも…と勝手ながら考えていました。)
人それぞれ勉強の取り組み方や頑張りかたの方向性は違うと私は思っています。あなたのペースで(…というのも難しいかもしれませんが、)どうか取り組んでいってほしいと思いました。