(注:少し長くなります。時間がある人は読んでくれたら嬉しいです。経験談送るのは2回目だけど、重複してるから一つ目は読まなくて大丈夫です)
海外に住むメリットは沢山あるけど、それは割とみんな知ってると思うので、今回は主にデメリットについて話します。
「貴方が中学生になったら海外に引っ越すから。」って親に言われたのが、小学五年か六年の時。
いきなりのことだったし、引っ越しとか嫌だったし、しかも海外。
泣きながら嫌だって言ったけど聞いてもらえず。
で、約5年前、小六になってすぐのことだったかな。ある朝起きたら飛行機に乗せられて、海外に連れて行かれた。中学からって言ってたのに早まった理由は、なんかコロナの影響で入国するにはあのタイミングじゃないといけなかったらしくて。
しばらくして学校が始まったけど、初めはコロナのせいでオンライン授業だった。
授業をオンラインで受けること自体初めてだったし、パソコンの使い方知らないし、英語も分かんないし、初めて見る人たちしかいないのにさ。
それで学校での授業が始まって、授業は全く頭に入ってこなくて。だって、公立の小五レベルの英語なんてさ。英会話とか習ってたわけでもない。普通の小学生レベル。それがどのくらいかというと、分からないことがあって先生に聞こうとして、なんて聞いたらいいか分かんなくて、パソコンの画面指差して「what?(何?)」て聞いて笑われたくらい。「これどーゆー意味か教えて貰ってもいいですか」的なことが言いたかったんだよ。けど当時そんなの英語で知ってるわけもなく。
当然、成績は全部DかE。宿題が難しすぎてできない、どころか宿題がなんなのかすら分からない。
授業はまだそれでいいけど、休み時間の方が大変。またコロナのせいだけど、休み時間は教室にいないといけなくて。つまり、ずっと雑談の時間。簡単な挨拶くらいしかできない私が教室にいて、何を話せと?周りはみんな優しくて私に話しかけてくれたりするけど、返せないし、申し訳ないからほっといてほしくて。けどそれもなんて言ったらいいか分からない。だから廊下に避難してうろうろしてたら先生に連れ戻されて、また他の生徒のとこに連れて行かれる。仕方ないから休み時間が終わるまでトイレの個室内で待つ。暇でしかない。
その状況を親に言ったら、「じゃあ何か持ち込めばいいじゃん」って。だから、トイレの中で「そーゆーことじゃないんだけどな」って思いながら毛糸でポンポンとか作ってたな。(よく考えたら衛生的にそれはどうだったんだろ・・)
学校を休みたいって何回も親に言ったけどダメっていうから、泣いて抗議して意地でも行かなかったら、理由を問い詰められたり、色んなところ連れ回されたりした挙句、半日後には行かされたから、何回か休んだ後はそれきり休んでない。
そのくらいの時期に初めて死にたいって思った。工作用にと親から貰った✖️✖️を手にとって、これ使えば死ねるかな、なんて考えたり。
それが、海外来てから三ヶ月後くらいの時だったかな。それまでは、何かなんでも叶うなら永遠に生きたい、だなんて思ってたのに。あと、自分のことが好きとまではいかなくても、嫌いでは決してなかったのに。今は自己肯定感みたいな物は微塵もないよ。色々上手くいかなすぎて。
・・・で、それから色々あって今に至ります。今は、英語はある程度話せる。けど、きっと貴方たちが思ってる程じゃない。早口だと聞き取れない。ちゃんと英語を習ったことはそこまでないから、勘で話してる。文法とかはきっと滅茶苦茶。単語力もない。
それでも、あの時よりは楽でしょ、ってみんな思うかもね。けど、今の方が辛いかも。
今でも急に当時のこと思い出したりするし、急に日本に帰りたくなって涙が出てきたり。
あと、自傷がそろそろ完全にやめられなくなってる。あの頃は軽く引っ掻いたりするくらいだったんだけどさ。今は、自分のこと無意識に叩いたり、軽く切ったり、飲んだらいけない薬品飲んだり、後✖️✖️✖️と✖️✖️✖️したり。最後の二つは特に、可能性は低いけど間違ったら死ぬかもだしやめたいけど、よく考えれば死にたいんだし別に良いじゃんって思ってやめられない。いつも何もなくても死にたくて、長期休みの終わりには毎回死のうとする。
友達も親も優しいし、いじめとかも今はないし、そういう意味では恵まれてると思う。ただ、友達に中国人が多くて何言ってんのか分かんないのと、日本語が第一言語の女子が学年にいないのと。親が、学校に行くこと、良い成績を取ること、良い大学に入ること、結婚+出産すること、・・・とかを割と強く求めること、とかで疲れるくらい。
後、あの頃は、日本に帰ったら全部解決すると思ってたんだよ。だからあの時死ななかったわけで。けど、私は中学と高校を日本で行ってないわけ。漢字の書きは小学生レベルで止まってる。敬語も話せない(だからこれをタメ口?で書いてる)。多分私の第一言語は、日本語90%、英語8%、中国語2%みたいな感じだと思う。それで伝わる人はほぼいないわけで。あと、日本史とか今の日本での流行りとか全く知らないしね。(まあそれは元々疎かったけど。)
色々書いたけど、多分みんないまいちピンときてないだろうな。当たり前だけど、私と全く同じ経験をした人はいないわけじゃん。だから、誰に話したって、完全に分かってくれる人はいない。それが仕方ないとは分かっていながらも、そのせいで色々言われるのがたまに辛い。
例えば「海外に住むのは良い経験だよ。あなたを羨ましいと思う人は沢山いる。」とかね。
まあ、そう思うのも分からなくはない。英語が話せれば受験や就職に有利だったりするし、誰もが経験できることじゃないのも知ってる。けど、その代わりに失ったものが多すぎて、そんな言葉が全く響かない。とゆーか羨ましいんなら代わってよ。私は日本で中学生、高校生になる事をどれ程望んでいたか。小5までは、私もみんなと同じように、当たり前に日本で進学できると思ってたからね。私も周りの皆と同じ中学入って、部活とかやって、日本の制服着て、・・そーゆーことが普通に叶うと信じて疑ってなかったから。正直今でも、このままここで頑張ってれば、いつか何事もなかったように日本の中学校に通わせてもらえるんじゃないか、なんて何処かで思ってる。勿論無理だけど。
後、「けど数学は世界共通じゃん」とか。
じゃあ、数学の文章題を英語で一問でも解いてから言って。
「身振り手振りである程度はなんとかなるでしょ」とか。
じゃあ貴方今日一日、一言も話さず生活してよ。勿論筆談とかも無しで。
「なんでまだそんなこと言ってるの。5年も海外にいれば慣れるし英語も話せるようになるでしょ」なんてさ。
そりゃー、自分の意志でここに来るか、せめて前日とかには知らされるか、来る前に少しでも英語を学ばせてくれていればね。私は未だに受け入れられてないよ。親のこと少し(正直、滅茶苦茶)恨んでるよ。全部なかったことにしたくて、けどそんなことできないから、親も一緒に連れていけばあっちでみんなで幸せになれるかな、なんて考えたり。(本気じゃないです、多分。親のことが嫌いなわけでもないですし。それにもし本気で考えるようになったらその時に一人で死ぬからきっと大丈夫です。)
英語だって、そりゃあ、話せはするよ?日常会話くらいはできるよ?けど、学校で早口で先生の話を聞きながら、スライドには沢山文字が書いてあって、それをノートに写さなきゃならないんだよ?英語でいちいち読んでたら間に合わないから、まず翻訳して、その後必要なところを探して、それを英語で書く。
この前、科学のテストで分からない単語あって、「lubricant」だったかな。終わった後に調べたら、潤滑剤だった。知らないよ、そんなの。習うわけないじゃん。「(something which makes it easy to slide/slip)」みたいに横に書いといてよ。普通の日本人の方がまだ、そーゆー日常会話に必要ない専門用語とか文法とかは知ってるかもね。
あ、あと、何が困るかって、万一この経験談を私の知り合いが読んだら絶対私だって分かることかな。(見なかったことにしといてくれると助かります!)
・・・なんて色々書いてたら長くなったね。最後に一つ(?)だけ。
もし貴方に子供がいるなら、その子が学校を休みたいって言ったら、取り敢えず一日休ませてあげてください。普段そんなこと言わないのに、「もう生きてたくない」みたいなこと言ってたら、あと、「通院したい」とか言ってたら、笑い飛ばしたりしないで。「そんなもん」「みんなそうだから」みたいな言葉は求めてません。子供に、親の期待通りになれないんなら死んだ方がマシだって思わせないで。何か子供にとって大きな変化をもたらす決断をするんなら、その前によく考えて。間違っても、「子供をバイリンガルにさせたい」みたいな安直な理由だけで選ばないで。
長くなってごめんなさい。読んでくださってありがとうございました。
感想1
再び投稿ありがとうございます。こうして自身の経験を元にした思いを発信することで、少なからずあなたの中で気持ちが整理されたり、何か変化があったりするのかなと(あればいいなという思いも込めて…)考えていました。あなたの文章を読んでいると、言葉の奥にたたずむ「問い」のようなものを私は感じました。なぜ自分の思いは聞いてもらえなかったのか、なぜ周囲はわかってくれないのか、なぜ自分ばかりが耐えなければいけなかったのか…直接的にそう書かれているわけではないですが、行間にあるその問いが、読み進めるうちにじわじわと広がっていくような感覚になりました。
“海外生活”という言葉は、しばしばポジティブなイメージで語られますよね。英語力の習得、グローバルな視野、多文化理解など…。確かにそれらの価値は否定できるものではないですが、その裏で、個人、特に子どもがどれだけのものを犠牲にしているかは、あまり語られることがないなと私は感じています。あなたの文章は、その“見えにくい代償”にスポットを当てていて、その問題を改めて考えさせられるものだと感じました。
「毛糸でポンポン作ってた」「話せることがないからトイレの個室で待つ」などの描写は、一見すると淡々としているように見えますが、その背景には言葉にしきれない疎外感や、取り残されるような感覚があるのだろうと感じます。それは単に“言葉が通じない”ことだけではなく、“存在がうまく認識されない”ことへの苦しさに近いのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
また、「日本に帰れば全部解決すると思ってた」という一文に表れている希望と、その後に続く「受け入れられなかった現実」は、移動(転勤などによる転校など)や帰国を伴う生活に共通する課題でもあるのではないかと考えていました。私の身近には海外生活をしていた(いる)人はいないので、感覚的に分かるものではないですし、あくまであなたの抱く気持ちは想像することしかできないのですが、海外住みであること(あるいは帰国子女であること)が、特別視されたり、偏見を持たれたり、あるいは逆に“恵まれている”と思われたりする中で、自分の立ち位置をどこにも定められないまま時間が過ぎていくのは何とも理不尽なことだなと感じますし、これは構造的な問題でもあり、当事者一人ひとりにだけその解決を委ねてはいけないもののように私は思います。
「羨ましいなら代わってよ」という言葉には、すべての感情が詰まっているように感じました。他者からの無理解、経験の表面だけを切り取られる悔しさ、それを言い返すこともできずにため込んできた思い…それでもなお、あなたはその記憶を「書く」ことによって、他者と共有しようとしている、そのことに、私はあなたの中にある強さを感じました。自傷の話も含まれていましたが、それを過度に表現することなく、自分の中の矛盾や感情を淡々と記述している姿勢には、とてもリアルな切実さを感じました。社会的に“良くないこと”とされる行為を、ただ否定するのではなく、自分の感覚として「死ぬかもだしやめたい」と思っているというその揺れの中に、人間らしい葛藤がにじみ出ているように私は思いました。
「私は未だに受け入れられてないよ。」という言葉も、ある意味ですごく正直で、誠実な表現だと思います。変わらなければならない、成長しなければならない、過去を乗り越えなければならない…そうした目には見えない圧力に対して、“そう簡単にはいかないんだ”という風に表現できる(そう書かれているわけではないですが私はあなたがそのように感じていると捉えました)こと自体が、すでにある種の意思表示なのかもしれません。
一人の経験談として読むだけでなく、同様の環境で声を上げられなかった多くの人々の経験と重なるものが含まれていると思いますし、だからこそ、こうして言葉にしてくれたことには、大きな意味があると私は思います。社会として、こうした声をどう受け止めるか、そしてどう支えていけるのかが、問われているように感じました。最後に書かれていた文章も、海外での生活で死にたいと思うほどに苦悩してきたあなただからこそ伝えられるメッセージだとも思いました。また何か伝えたいことなどあれば、死にトリに届けてほしいです。