経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分で自分の人生の責任を取ることへの恐怖

正義感が強い
理想が高い
自分への期待値が高い

これらはすべて、自他ともに認める私の特徴である

私は現在、就職活動中で、地方国公立大学に通う大学4年生である。
先日、母と電話をして就職の話になった。
地元の地方銀行に勤めることになりそうだ、ということを伝えた

「じゃあ、○○(私)もママと一緒に介護要員になるんだね」母はそう言った。
言われた瞬間、頭をガーンと殴られたようなショックを受けた。

まさか介護要員と言われるとは思わなかった。
私が地元に戻って就職をすることに対して、「介護要員として祖母の介護を手伝う人員が増えた」という感想を言われて、ショックを受けた

ショックで泣いてしまったが、母は、「冗談に決まってるじゃん。いちいち真に受けないで」と言った。私は「そんなことを言われると思ってなかった」「嘘でもそんなことは言わないでほしかった」と伝えた。

地方では、男尊女卑的な風潮が強い。私は大学でジェンダー論を学んでおり、女性に「ケア」役割を期待するような社会規範が存在し、地方ほどその傾向が高いこと、それにより不利な状況に追い込まれるのが、主に女性であることなど、女性問題に敏感である分、母の発言を「真に受けて」ショックを受けた。

実家の状況
・母は50歳、建設系の企業で経理として勤めているが、毎日夜10時まで働いている。心身共にすり減っている様子が伝わり、気の毒
・妹は高校2年生。自律神経系の病気を抱えている。朝起きることが苦手。
・祖母は70代後半、腰の圧迫骨折のため、自力で歩くことができず、入退院を繰り返している。介護状態となっていたが、現在は施設で療養中。母は、祖母の介護で精神的にも肉艇的にも参っている様子。

母は、大学進学を機に県外に出た私を、そのまま県外で就職するものだと思っていたらしい。(大学は地元から電車で4時間の距離、私は現在一人暮らしをしている)
先ほどの電話の話に戻るが、地元で就職することが確定しそうだと母に連絡をすると、「この閉塞的な地元で就職するんだ。そしたら、そのあんたの考えも改めないとやっていけないよ」と言われた。

「あんたの考え」とは、地方で顕著な男尊女卑的な風潮に対する憤り、未だに女性がお茶くみをしているという母の職場に対して「それはおかしい・価値観が古い」と、母に主張した時のことを指すと私は理解している。

電話越しに「どうして私の考えを改めないといけないのか、私は絶対に改めない」(私の考えを改める必要はなく、この社会が変わるべきだと私は思っているため)と伝えた。

しかし、地方で働き、地方で暮らし、地方で生きていくということの現実や母親との価値観の違いをまざまざと突きつけられ、地元で働くという選択やこれまでの意思決定、そのプロセスのすべてが間違いだったのではないかと、これまで無意識的に押さえつけていた不安や「誰かに肯定されたい」という欲求が溢れ、ネガティブな感情が日々押し寄せてくる。

地元では、大学2年生から今まで、約2年間お付き合いをしている人が一足先に就職している。その人は、遠距離中の今でも私の心の支えとなっている。この人がいるからこそ、地元への就職を前向きに考えられている理由の一つである。

しかし、「この人がいなくなったら、私は何のために地元で働くのか」と思ってしまう。他人に執着し、依存している自分はダメなのではないかと思う。

仕事でやりたいことが無く、企業の福利厚生・休暇日数という条件と、パートナーと一緒になりたいという自己の欲求を満たすために、自分なりに出した「地元に就職」という結論。

自問自答を重ね、自分なりに納得しようと努めてきたが
「せっかく県外に出て、地元から離れられる機会なのにもったいない」
「わざわざ選択肢の少ない地元を選ぶなんて愚かだ」
直接そう言われたわけではないのに、自分の中にある「他者のまなざし」が強くて、自分の判断・決断が間違っていたのではないかと思ってしまう。
将来、自分も親の介護や地元の選択肢の少なさ、窮屈さに不満を覚えながら、死んでいく未来を想像してしまい、幸せになれないのではないかと不安がよぎる。

かといって、東京で働きたい欲求は無く、八方ふさがり感が否めない。
地元で親と距離を取りながら、パートナーと心穏やかに暮らすことが私の理想である。

これから私はどのような決断をすればよいのか。人生に正解や確実さなんて無いというのは分かっているが、誰かに自分の選択を肯定してほしいと思ってしまう。
なぜ私は一人で判断し、決断することができないのだろう。

自分で自分を否定することを辞めたい。

私は自分で自分を充たすことのできる大人になりたい。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
藁にもすがる思いで書きました。本当に私は弱くて脆い人間です。

感想1

経験談への投稿ありがとうございました。
私も過去に数年間仕事の関係で地方に暮らしていたことがあります。ちなみにかなり田舎でした。職場でも、普段の生活でも、男尊女卑の考え方をちらほらと感じることがあり、苦しい気持ちになったのを思い出しました。
大学でジェンダーを学ばれて、よりその意識やアンテナが高いあなたがそのような環境に行くことは勝手ながら心配する気持ちにもなりました。それはあなた自身も同じように感じているからこそ、悩み苦しんでいるのですよね。
ただ、あなたの大事にしたいことややりたいことを「男尊女卑」の考え方や社会によって阻害されるのは納得いかないという強い気持ちが私の中に沸き起こりました。
「地元で親と距離を取りながら、パートナーと心穏やかに暮らすこと」というあなたの理想はだれにも邪魔をされるべきではないし、理想を実現していくのを応援したいという気持ちです。

私が地方に暮らしていたときは、男尊女卑の考え方に染まらない人もいました。実際に男尊女卑の発言がでた場面で「それはおかしいです」と言っている人の姿を見たことが何度かあります。そのような人たちの存在に私は勇気づけられたり、励まされたことがありました。
そのような人があなたの暮らす地域に必ずいると断言はできないのですが、必ずいないとも言い切れない気がしています。
だれもいなかったとしても、男尊女卑の考え方に疑問を持つあなたの生き方が過去の私のようにだれかを勇気づけたり励ましているかもしれません。

「なぜ私は一人で判断し、決断することができないのだろう。自分で自分を否定することを辞めたい。」という言葉が印象的でした。共感し、思わずうんうんと強くうなずいている自分がいました。
私はよく自分に対して「なぜ私はこんなこともできないのだろう」という強い否定の矢印を向けてしまうことがあります。できない自分を許せない気持ちがつい出てきてしまうのです。
あなたの文章を読んでいて、もしかするとあなたの中にも似たような気持ちが出てきているのではないかなと思いました。
こんな自分が言えることでもないのですが、ふと客観的な立場に立ってみると、一人で決断できないことはダメなことなのかな?と思いました。むしろだれかに意見を聞いてみたり、迷いながらだれかと考えていくことでこれまでの自分の中になかった答えが見つかるかもしれないと思ったのです。
そして、決断は何度だって変えていいものだと思います。「やっぱりこの選択は違った」となれば、新たな選択肢を考えていくのも人生のおもしろさだったりするのかもと思いました。
あなたが迷い葛藤し選んだ決断は、未来の自分を支える力になってくれるような気がしています。応援しています。

感想2

地方でうまれ育った・女性として過ごしてきたもの(そして大学進学を機に地元を出て違う社会を知ったもの)として、思わず首が取れそうなほど大きくうなずきながら読ませてもらいました。

地方でうまれ育った分、その男尊女卑的な風潮をこどものときから感じて来たのではないだろうか、と思います。大学ではジェンダー論を学び、女性問題に対してアンテナがたち、またお母さんの発言に対してご自身の意見や気持ちを伝えておられることなどから、考え・言語化することをされてきたのだろうなと感じました。
その中で近しい関係であるお母さんから介護要員や考えを改めないといけないという言葉をかけられることへの苦しさや、自分自身の選択が間違っていたのではないかと思わざるを得ない状況への失望感や腹立たしさもあるのでは、と想像しています。

「一緒に介護要員になるんだね」ということばは、いくら後から冗談だと言われてもとてもショックだと思いますし、私だったらお母さんとの心理的距離はかなり遠ざかる(信用問題に関わる)なと思いました。
ただこれはもしかすると、という勝手な私の想像ですが、お母さんは心身ともにすり減っていて、あなたが県外にいる状況がうらやましかったのかもしれません。お母さんの発言はとてもショッキングなものでかばうことは出来ませんし、お母さんのことばを受けとめないといけないとは全く思いませんが、男尊女卑社会がお母さんの発言をうみだした、とも考えられるなあと思いました。(とはいえ、介護要員発言や男尊女卑に迎合するような発言には勝手ながら腹立たしく思っているのですけれども。)

またタイトルに書いている「自分で自分の人生の責任を取ることへの恐怖」ということばも近しいものを感じているのかもと思っていて、正解が知りたいし、何なら選んだ先の未来を知ってきっちり確実に選んでいきたい、と思うことは私も本当によくあります。ですが本当にこれでよいのか、他の選択肢があるのではと悩むのは個人の決断能力のせいでもないと思うのです。社会の中で効率よく「正解」を叩き出すことがよしとされる風潮が助長しているところもあると思いますし、社会的に「間違っている」とされることの多さもあると思います。また今回の就職、というものを取り上げてみれば、そもそも今の就職の仕組みに限界があるのではないかと個人的には感じていて、大学に入学してがんばって単位をとって、早ければ大学2年生くらいから就職のことを考え始めて、3年~4年には自分の将来を見据えて就職をきめて、というのが大卒の正規ルートになっていること自体がそもそもなんてゆとりがない仕組みなのだろうと思っています。

今の就職先を決めるまでもきっといろいろ考えたことと思います。
福利厚生や条件という働く環境が自分にあっているところで働き
パートナーと心穏やかに暮らすこと
というのが現段階のあなたのなかでの最適な選択、なのだと思います。
そこに今、後悔や迷いがあるのは地元にある男尊女卑的な風潮が大きいと思うとそれはあなたのせいではなく、後悔を「させられている」といってもいいのかもしれません。

読んでいてあなたの中で「男尊女卑社会に疑問を持つこと」と「地元に戻ること」は両立する、とおもう気持ちと、一方でその2つが相反するもののように感じる気持ちとか存在しているのかも、と思いました。どちらかを選ばないといけないことはないと思いますし、決めきらなくていいとも思っています。男尊女卑的な風潮がある地元は嫌いでも、好きな人がいる地元は好きでいいと思いますし、上に書いたように今あなたが選んだことが現段階での最適解だから、といっちゃっていいのではないかーと私は思っています。(押しつけがましかったらすみません)

この選択でよかったのか、というのは選んだ直後はわからないものかもしれませんが、考えて分析して言語化して、それを誰かと共有することで少しずつ自分の中でみえてくることもあるかもしれません。(そしてその時違ったな、って思ったら、また選び直すのでいいと個人的には思っています。)
今回の就職のことだけでなく悩むこともまたあるかもしれませんが、その時はもしよかったらまたここに書きに来ていただけたら嬉しいです。
今回はありがとうございました。

感想3

「じゃあ、○○(私)もママと一緒に介護要員になるんだね」の一言に、私もショックを受け、ショックを受けたあなたに共感して感想を読み進めていきました。
え、冗談だったの…?と戸惑い、いや冗談にしても笑えないしホラーすぎるでしょ…と思い、ジェンダー論を学んでいるというのに「なるほど」と思いました。私は社会人になってからジェンダーのことを知ったタイプで、自分の生きづらさについて色々と腑に落ちたとともに(私は女性です)、いかに自分も周りもジェンダーを知る機会がないかを痛感した、という経験があります。だから介護要員という言葉に曖昧なもやもやではなくショックを受けられるあなたは、ジェンダーについての意識化が進んでいるな…と感じていて、それはどうしてだろう?と少し気になっていたのだと思います。

地元で就職するというのは、あなたなりに出した、今の最適解なのだと私は感じました。人生で何を優先したいのか、誰と一緒に暮らしたいかなどの自分の気持ちを尊重した、地に足ついた選択だと私は思います。
地元にいることは、例えば東京にいるよりは、男尊女卑に苦しめられる機会は増えるのだろうと思います。ただ、全国どこにいっても男尊女卑の文化があるし、それに染まっている人もいれば、それに反発したり苦しんでいる人もいます。だから機会の多さ少なさの違いはあれど、男尊女卑との葛藤や闘いがあること自体は、どこにいても変わらないとも言えるのか・・・?とも思いました。(不快な思いをする機会がないのは、大学でジェンダーを勉強しているという状況くらいしかないかもしれない…?)
だからもしかしたら、地域性だけでなく、身近な人がいかに押しつけてくるか、という要素も案外大きいのではないかと私は思いました。そう考えると、地元にいる一番のリスクは母親との距離が近くなることで、逆にいえば母親を「何を言っても知らない」くらいに思えれば、違うのでしょうかね…?でも親というのは自分にとって力のある存在ですし、あなたは男尊女卑の構造がわかってしまう分、母親への憐れみのようなものもあって苦しいのかな、とも想像しています。

人生で何かを選ぶとき、パーフェクトに問題ない道はたぶんどこにもなくて、どの選択にもメリットとデメリットがあると私は感じます。(私は一応社会に出てから15年以上たち、転職したり引っ越したり挫折したり、何かを選択しては、その選択のメリットデメリットを味わってきました)
その私の経験的には、選択が正解かどうかよりも、選択した道のメリットデメリットを把握し、メリットを最大限活用しデメリットを減らすための「最適解」を探すのが、わりとおすすめかも、と思います。やってみないと正解はわからないし、正解は変わっていくし、自分が今の道で前を向けなくなったら、そこから逃げるのは「逃げ」ではなく「戦略的撤退」だとも思っています。

なんだかアドバイス過多な感想になってしまった気がします……。(合わなかったら忘れてください)
あなたが現在の自分、将来の自分、社会の理不尽な現実に向き合って、目を逸らしていないからの苦しみが今あるのかな、と私は感じています。不安なとき選択を肯定してほしいと思うのは自然な感情だし、大人になるというのは、1人で判断できるようになることではなく、「ここは誰かに肯定や応援をもらったほうがいいな」と判断して助けを借りられるようになることだとも私は思っています。だからよかったら、死にトリもまた活用してくださいね。

一覧へ戻る