経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人に相談して批判された経験がトラウマです
一つ目のきっかけは、母親との出来事です。
私が幼少期の頃から現在まで、自分の悩みやできない事を相談すると、母から「そんなこともできないの、バカだね」と言われたり、
逆に自分の力でできた事を伝えると、「そんなこと1人でやってもらわないと困るよ〜」と言われてきました。
傷つきました。
私がどんなに些細な事を伝えても、批判的な意見を言う母親に、いつしか何も相談しなくなりました。
恐らく私は、喜びも辛さも、母親にも受け止めてもらいたい、感想を共有したいのだと思います。なので、母親に相談しないという事は、辛くもあり、自分が傷つかないように自分を守る手段でもあると思っています。辛いですが。
二つ目のきっかけは、私が以前勤めていた職場での出来事です。
その職場では、上司が暴言を吐いたり、社長と部長が言い合っていたり、挨拶をしても無視されたり…と、自分にとってなかなか辛い環境であったため、精神的になんとか耐えてる日々が続きました。
そこで、信頼していた先輩に、勇気を出して「私はここでの人間関係が辛いです」と相談したところ、「ここは昔から人に挨拶をしない風土があるから、上に何を言っても変わらないよ。諦めな」とか、「辞めたいなら早く辞めて」と言われ、心がボキボキッと折れました。もうここで働きたいとは思えない、この私の心は修復できないと感じました。
上司に退職届を渡した時も「ここでの人間関係で嫌になるなんて、俺からしたらバカバカしいね。君が辞めて次の職場に行ってもまたすぐに辞めることになるよ」と、かなり上目遣いな目線で言われました。自分の悩みは通用しないんだと、ひどくショックでした。
私は働く上で(というか健全に生きる上で)、良好な人間関係が1番大切だと考えていましたが、この私の考えは普通ではないのでしょうか?母親のように、「そんなことできて当たり前」と言う大人が普通なのでしょうか?上司が言ったように、人間関係によるストレスが理由で退職するなんておかしい、子供じみた考えなのでしょうか?
現在は、就職支援機関のサポートを受け、少しずつ再就職の準備をしているところですが、
これまでの経験から、人に相談する事に恐怖を感じるようになり、相手がどんな人であっても、気軽な気持ちでは相談できなくなりました。
また、今後働く場所でも同じような目に遭ってしまうのではないかと、働く事にも恐怖を感じています。
死にたいという気持ちも、週に2日くらいのペースでやってきます。
そんな私でも、いろいろ美味しいもの食べたいし、好きな文房具とか買いたいし…と、幸いなことにまだ死にきれない理由もあって、生きています。
これからの人生、「生きるために働く」とか、「家族を大切にするために何かする」という価値観は持てそうにないですが、なんとか生きていけるようにしたいです。
感想2
投稿ありがとうございました。
「良好な人間関係って、なんだろう…」と考えながら、読ませていただきました。
投稿者さんが書いてくださったように、私も健全に生きる上で人間関係は最重要だと感じています。社会で生きる上で、そして仕事として誰かからお金をもらう以上は、人間関係はつきもので、同時に「良好であるに越したことはない」と思うからです。
一方で、「良好」ってなんだろう?と思う私もいます。これはすごく人によって解釈が異なるような…。雑談や仕事外での付き合いも「仲良し」なことを指す人もいれば、波風を立てず最低限の業務的なコミュニケーションが取れていれば良好だと捉える人もいそうです。
そんなふうにぐるぐる考えているうちにふと、目に見えない「人間関係の良し悪し」や「自分にとっての”良さ”」を感じ取りやすいのが、もしかしたら「相談をする」という行為なのかもしれない、と推測しました(報連相という言葉もあるくらいなので、職場の人間関係と相談は切り離せない要素という気もします)。
相談相手に自分の心の内を話してみて、そこに対するリアクションが返ってくる。「そもそも聞いてくれない」という場合も含めて、「相手が自分をどう取り扱ってくれるか?」がすごく表れる場面という感じがします。
そして、「相談をされた側」の反応には、往々にしてその人の「姿勢」みたいなものが表れるのではないかなと。たとえば、投稿者さんの悩みについて共感はしなかったとしても、それを「そのくらいで悩むな」と返すのか、「あなたはそう思うんだね」と返すのかでは、全く取り扱い方が違うと思います。どちらが良い悪いというのは断言できませんが、少なくとも「自分がその悩みをどう感じるか」や「自分が相手にどうしてほしいか」などの「相談された側」の意見が色濃く出ているのは前者だと感じます。意見やアドバイスを求めて相談することもあるとは思いますが、それを「相談する側」が受け止めるにはまず、「この人(相談相手)が自分を見てくれている」という安心を感じられることが前提なのかなと私はイメージしました。
なので、投稿者さんの悩みが子供じみているか・普通ではないのか、という以前に、母親さんや元先輩とのやりとり(相談)の場面そのものがまず「安心」な場ではなかったように思いますし、相談行為自体が怖いのも無理はないと、力強く伝えたくなりました。
私自身、母親や上司への相談で「聞こうとしてもらえない」「悩んでいること自体を否定された」という思いを重ねてきて、そのトラウマは自分の人間関係の作り方や感じ方、職業選択にまで大いに影響を及ぼしている自覚があるので、なおさらそういった仮説が立つのかもしれません。一人で抱えきれない荷物がある時、そのうえでさらに「安心な相談の場」を見つけるのはかなりしんどいことだと実体験をふまえても思いますが、まずは「安全に外に出せる場」として、この死にトリが何かの助けになればいいなと、勝手ながら願っています。
お返事
感想をお送りいただき、ありがとうございます。
長文で書いてくださり、驚きました。
それと同時に、私の経験談に真摯に向き合ってくださったのだろうなと感じ、
優しい言葉をかけていただけてとても嬉しいです。
励みになりましたので、感想を読んで思ったことを返信します。
これまで、人間関係が原因で退職したことは、
私が未熟だっただけなんじゃないかという疑問が消えずにいたのですが、
私は間違った選択をしてないことに気付かされました。
また、相談することの難しさも改めて実感しました。
私が精神疾患で体調を崩してから、
相談しなきゃ良かったと感じることが増えたので、
これからは自分で相談する人を選んでいこうと思いました。
今後、どこかで働く中で、
この人なら安心できるなと思える人がいたら嬉しいし、
そういう人に出会えるはずだと、自分を信じてあげたいと思いました。
余談ですが、経験談をお送りした後日、
サポステを通じて職業体験ができることになり、体験先へ見学に行ってきました。
そこの職場の人たちと会った時に、
その人たちから何か言われた訳ではないのですが、人に恐怖を感じてしまい、
ハキハキと喋れませんでした。
そして、恐怖を感じた自分を少し責めてしまいました。
感想にも書いてくださったように、
やはり私の過去のトラウマが、働くことや人間関係に大きく影響しているようです。
でもそうなっているのは自分だけじゃないと感想を読んで知ることができ、
とても勇気づけられました。
今の私は、ありがたいことに就職支援機関や病院、死にトリなど、
安全に吐き出せる場の存在を知っています。
これからも頼りながら、少しでも気持ちが楽になればと思っています。
今回、感想をお送りいただいたように、
私の経験談を掲載していただくことで、
誰かにとって慰めや勇気に繋がれば嬉しいです。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
投稿者さんの「働くうえで一番大事だと考えていること」に強く共感し、思わず首を激しく縦に振りました。それについて、「働くうえで」一番大切だと私自身も感じていますが、同時に「生きていくうえで」も一番大切なのではないか?と、最近は感じています。そう感じているがゆえに、心を休める時間が少しばかりも取れない環境にいた投稿者さんにとって、とてもとてもつらい出来事だったんじゃないかと、私にはそう感じ取れました。
「そんなこと」という言葉は、相手を傷つけるには十分すぎる言葉だと思っています。当人が本気で悩んでいる出来事に対して「そんなこと」で片づけたり、当人が喜びを感じているのに否定的な言葉を投げかけたりすることは、とても残酷な事のように思えてなりません。
また「そんなことできて当たり前」という言葉にも少し引っ掛かりを感じました。「誰かにとっての当たり前は、その他にとっての当たり前ではない」と私は思っているので、なにかできるようになったことやできたことがあったら、私だったら褒めてほしいなぁって思いました。
お仕事でもかなり大変な環境に身を置かれていたんだと感じ、読んでいる私も心がざわざわして休まりません。書かれていることの中でも、「諦めな」「辞めたいなら早く辞めて」が、文面だけでも心に槍を向けられているような恐怖に近いものを感じ、印象的でした。
「諦めな」に関しては、もちろん言い方、語気が強いと負荷の大きい言葉になりえますが、言い方次第では「あの人ら全然変わんないよ。返事しないくせに挨拶しなくなると怒ってくるだろうし、嫌だよねそういうの」みたいな感じで少量、ごく少量の善意が感じられるようにも思えました。ですが今回の「諦めな」は、伝え方からみても少し攻撃的だな、という印象を受けました。「辞めたいなら早く辞めて」は明らかに攻撃の意図が伝わる言い回しのように感じ、投稿者さんが信頼を置いている方からの発言となるとかなり心のダメージは大きかったんじゃないかと思います。
「次の職場に行ってもすぐにやめることになる」に関しては、前置き(ここでの人間関係で嫌になるなんてばかばかしいなど)があったため、嫌味を含んだ言い回しだと想像しました。転職の理由が人間関係だと特に、この言葉は凶器になり得ると感じました。投稿者さんは「次の職場ではうまくいくかなぁ」という不安がつきまとう中で勇気を出して相談されたのかなと勝手に考えていたのですが、もしそうなら、投稿者さんにとってはその不安を助長する望まない言葉なのだろうと思ったし、会社にとっては「次の職場で今より悪い環境になるよりここにいた方がいいのかな」と思わせる、人材を留める都合のいい言葉だとも思いました。
冒頭でも軽くお話しましたが、私も働くうえで人間関係が一番大切だと感じています。仮に環境以外がよくて環境だけがよろしくない場所で勤務しても、ストレスで少しずつ心の負荷が蓄積してしまうと感じているからです。「普通」かどうかは、個人が持つ思考軸によって大きく異なるものだと思っているので私には判別しかねますが、人間関係によるストレスで退職することがおかしいなんて少しも思わないし、子どもじみた考えだとも思いません。
自分の為に精一杯時間を使って心を休ませることも大切なのかなぁって思います。やりたいことをやりたい時にやって、食べたいものを食べたいときに食べる、そんな一日があってもいいと思います。
吐き出す場所が見つからなかったり、ふと誰でもいいから話したいと思えた時は、またここに書きに来てもいいのかなって思います。
改めて、経験談への投稿、ありがとうございました。