過去にされてきたことが、脳に傷がついたようにずっと記憶に残り、時々自分を苦しめてきました。
劣等感、怒り、憎しみ、不安、恐怖、失望、絶望、希死念慮
それらの感情は入れ替わりながら、ずっと私の精神に住み着いていました。
それらを観察できるようになって落ち着いた今、ここで一度、過去の傷ついた出来事の棚卸しをしようと思います。楽しい記憶も多少はありますが、それを思い起こすことはとても難しいです。
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私が幼少期の頃から片親である母は夜の仕事をしていたので、当時中高生の姉が夜遊びに出ている限り、夜は1人で留守番をしていました。
5歳ぐらいのある日、当時中学生の姉は好きなアーティストの曲を歌い、何やら録音していました。すぐそばで、私は少年誌の付録の釣り竿(磁石で釣るタイプ)を作って遊んでいました。釣れたことで嬉しくなり、声に出して「釣れた!」と言ったら、録音を邪魔された姉は猛烈に怒りました。はじめは戸惑いましたが、強く非難されたということを幼心にも理解できました。
喜びが深い悲しみに変わり、自分で作った釣竿を、泣きながら自分で壊しました。
小学校入学前後のある日、高校生になった姉とその悪友が、夜の留守中に家に上がり込んで遊んでいました。まだ起きていた私を巻き込み、じゃんけんをしました。負けたら罰ゲームとして、生卵を3つイッキ飲み。負けた私はイッキ飲みをしようとするもできるはずがなく、せき込み苦しみました。
その様子を見ていた姉は、腹を抱えて笑っていました。
小学時代。低学年の頃、同じ登校班の上級生が登校中に、私を蹴ったり、私のランドセルを引っ張って転ばせたりしました。そんな日が何度もありました。
ある日の理科の授業で作ったべっこう飴を持って下校中、例の上級生が絡んできて、楽しみにしていた飴をめちゃくちゃにされました。
中学時代。学校では、授業をまともに受けず騒いでばかりいるクラスに馴染めず、心を閉ざしました。
小柄だけど力自慢なクラスメイトに「腹パンしようぜ」と言われ、何度も腹を殴られたり、時々みぞおちに膝蹴りをくらったりもしました。
大の苦手なサッカー、バレー、バスケばかりやる体育の授業や、発表会のある授業に耐えられず、不登校気味になりました。
家庭では、母と当時再婚した義父のケンカや、陰湿なやりとりを目の当たりにしました。
母と義父がケンカした翌日、「生きてたらまた会えるといいね」という義父の置き手紙があり、後日、学校から帰ったら、テーブルクロスが✕の字に切り裂かれていました。(母が義父へのメッセージとしてやりました)
やがて、義父は姿を消しました。
高校時代。経済的困窮によって、母と姉の口論や殴り合いを目の当たりにしました。自分は何もできませんでした。
お金がないので、海外への修学旅行にも行けませんでしたし、希望していた専門学校にも行けませんでした。
新卒入社。成績が良いという理由だけで、高校の担任や進路担当に勧められるままに、安定していると言われる大手企業に就職することになりました。人との関わりや失敗を恐れている時期に、窓口業務をするはめになってしまいました。
極度の不安でまともに仕事ができず情緒不安定になり、上司や他の職員からも嫌われるようになりました。「お前という人間がわからない」と、他にも色々なことを言われましたが、言われすぎて覚えていません。
当時はまだ精神疾患についての考えが私や周囲の人たちにも無かったので、職場の人たちからは私がどうしようもない人間に見えたと思います。
退職後、4ヶ月間の空白。母から一言。「仕事どうするの?」
次の職場。基本的に黙々とやっていればいい作業だったので、長く続けることはできました。色々な作業を任されてこなしていくうちに、自信がつき始めました。ある日、アルバイトから正社員に登用するという話が来た時は、ふたつ返事で受け入れました。それが間違いでした。
正社員になってから任された仕事は全く新しい仕事で、一から立ち上げをしなければなりません。もう1人ベテランの社員がいたのである程度は任せられましたが、実作業のところは自分で管理していかなければなりません。「しっかりやらなきゃいけない」「作業員たちはちゃんとやってくれるのか」といった、心配とプレッシャーが日増しに重くのしかかりました。
加えて、既存の業務の手伝いもしなければならないので、帰りは毎日遅かったです。そのストレスが祟って、適応障害、抑うつにかかりました。
約2ヶ月間の無断欠勤(連絡もできないほどの状態)の後、上司の理解もあって復職。しかし負担や労働時間はあまり変わらず、2度目の抑うつで約2ヶ月の休職。
その後に迎えたある年の大晦日。その日までの3日間は、水も飲めないほど無気力でした。まもなく新年を迎えようとした時、まっ暗な部屋で死ぬように横たわっていた私がいるすぐ隣の部屋で、(仲直りした)母と姉はテレビ番組を見て、年越しのカウントダウンで盛り上がっていました。まるで私など、最初からいないようなものでした。
それから数日後、やっと動けるようになって部屋から出た私を見た母の一言は「あら、お久しぶりです」
2度目の復職の後、正社員という雇用形態のまま、月給から時給に戻り、会社にいいように使われる駒となりました。
それから何回も職場を変えて、今に至ります。
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真面目に働いても要求が増えるばかりで、自分を消耗することになりました。
死にたいと思っても、自らを殺すことはできませんでした。
精神科に行って薬をもらいましたが、症状が和らぐだけで、自分の悩みが解消されることはありませんでした。
カウンセリングにも行きましたが、自分の思いや考えがうまく相手に伝わらなければ、まともにコミュニケーションをとることもできず、解決策を見出せないまま、高い料金を支払うだけに終わりました。
自己啓発の本を読んでも、所詮はその人の行動や思考を真似してるだけで、自分の人生が変わることはありませんでした。
人からアドバイスをもらっても、「悲劇のヒロイン」というイメージを築き上げた自分自身にフィルターをかけているので、聞く耳を持てませんでした。
「大丈夫か?」「無理しないで」などと声をかけてくれることはありましたが、それに応えるために無理をしなければなりませんでした。
「より辛い人はたくさんいる」という言葉をよく聞きましたが、一切の慰みにもなりませんでした。
互いに支え合うというイメージを世間から植え付けられた家族という存在は、私にとって、戸籍上はつながりがあっても、他人か知人のようでした。
社会に適合するために、自分を偽りました。しかしその行為は、自分をバラバラにするだけでした。バラバラになって生まれた葛藤が、生きるためのエネルギーを奪っていきました。
現実逃避のために、バーチャル世界に逃げ込みました。しかしそれは、現実世界の自分を置き去りにするだけで、 バーチャル世界で充足した自分を現実世界に持ち込むことはできませんでした。
バーチャル世界にいる間の時間は、現実世界の自分にとっては空白の時間となりました。(苦しみから”一時退避させる”という意味では有効かもしれません)
私を知ってもらいたくてSNSを利用した時期もありましたが、周囲のみんなもまた自分を知ってもらいたくて必死で、誰も見向きもしませんでした。
ネットが普及している今では、生きづらさについて自分で調べて、分析することができます。特性や病状についても、診断基準を調べることで、医師から診断を受けるまでもなく「自分は◯◯なんだ」と納得することもできます。
それらをすることで、自分を安心させることができます。しかし、「自分は◯◯」というイメージを作り上げると、自分の本質を見失ってしまうのではないかという疑念が生まれました。
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この混沌とした世界にあって、自分を守り、救う方法は結局、自分自身の中にしかないように思います。
人は、主に他人から影響を受けながら自分を形づくります。一見、生きづらさを抱える原因は外にあるように見えますが、よく観察してみると、最終的に原因を作ってるのは自分だったかもしれません。冒頭で挙げた感情は全て、自分自身で作り上げたものです。そして、生きづらさをもたらします。嬉しい、楽しいという感情だけなら、生きづらさを抱えたりはしないはずです。
何かの本に「答えは問題の作り手にある」と書かれてありました。「どうすればいいのか」と外に答えを求めても、きっとこの問題は解決できないと思いました。なぜなら、相談窓口や支援機関があって、政府が自殺対策を打ち出しても、多くの人たちが問題を解決するに至らず、今でもこうして悩みを抱える人が絶えないからです。
そこで、自分に問いかけました。「この生きづらさから、自分を解放することはできるだろうか」と。それで、自分の内面に注意を向けました。すると、例の感情が浮かびました。
劣等感。例えば、学校を出て働き、出世して、お金を稼いで、結婚し、子供を作る。そんな社会一般のイメージを植え付けられてきました。それで、今の自分を比較し、何かが足りないと「私は他の人間より劣っている、価値の低い人間だ」と言い、存在意義を失いました。
怒り、憎しみ。いじめられた時、からかわれた時、他人に軽んじられたと思った時、「俺を馬鹿にしたやつは全員許さねぇ。いつか復讐してやる」と言います。しかし、良心が働いて実行にうつさないので、結局、エネルギーを浪費するだけでした。
不安、恐怖。「嫌われたらどうしよう」「バカにされたくない」「怒られたくない」など、そう思っている間は自分をひどく制限しました。
失望、絶望。自分で勝手に作ったイメージ(自分自身や相手に対する期待など)が崩れた時、「何やってもうまくいかない」「私ばかりひどい目に遭う」「もうおしまいだ」などと嘆き、希望を見失いました。
また、「私をわかってほしい」という暗黙の想いが叶わなかった時、「誰も私をわかってくれない」と落ち込みますが、それもまた口に出さないので、他人に分かってもらえるわけもなく、負の連鎖に陥るだけでした。
希死念慮。「死にたいけど死にたくない」という葛藤があります。その葛藤が生きる気力を失わせました。
それぞれの感情の末路に気づいた時、それに囚われることから解放できる可能性を見出します。
旺盛な好奇心を持ったり、自制心を失ったりしない限りは、「立入禁止」 という看板を見たら、そこに立ち入りません。前方に崖があるのを見れば、これ以上崖に近づいたりはしません。近くに猛獣がいれば、離れます。どれも危険と感じるからです。
同じ理屈で、ある感情がもたらすものを見れば、それから離れることを決められます。
私はこのようにして、自分を苦しめる感情を消すことはできなくても、離れることができました。
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かつて読んだ本にこう書かれていた記憶があります。
「自分自身が光となる。その光は誰からも与えられないし、誰にも与えることはできない。」
私にはずっと友人も恋人もいませんし、多くの社会人が持っているようなものを持ちあわせていません。それでも、少しでも楽になりたいとき、自分の内面から自分を縛るものをできる限り取り除く知恵があります。
2024年7月29日『自我に苦しむ』というタイトルにて掲載させていただきました。そこでは、「死を待ちながら生きています」(今もそうです)と書きました。今になって考えてみると、生きてるだけでも寿命は削られます。つまり、生と死は同時進行です。だから、死にたくても死ねないことに悩み、苦しむ必要はないと気づきました。
私は生まれてから30年以上経ってもなお、自分自身を理解できていません。でも、自分自身を理解しようとする(生きることに真剣である)ことは、自ずとこの生きづらさから解放されることを信じています。
心理的にずっと独りであったからこそ生まれたこの経験談を、読んでくれた人たちに提供します。
感想1
投稿ありがとうございます。
冒頭の「過去にされてきたことが、脳に傷がついたようにずっと記憶に残り、時々自分を苦しめて」きたことがとてもよく伝わってきたと同時に、「それらを観察できるようになって落ち着いた今」だからこその整理された文章であり、まさに「棚卸し」がされているように感じられました。
ただ、そうはいっても、ここに書かれた経験はどれも深い傷の存在を思わせるものだったので、簡単な作業ではなかっただろうと想像しています。それでも共有してくれたのは、あなたの中にあるなんらかの区切りをつけたい(棚卸しですね)気持ちと、末尾にある「自分自身が光」になりたい気持ち、そして「心理的にずっと独りであったからこそ生まれた」言葉を届けたい気持ちからかなとも想像しました。この感想を受け取るまでにはタイムラグがありますが、書き終えてどんな気持ちになっていたか、また、今あなたはどんな心境で感想を読んでいるかと気になっています。
そして、読んでいて大変多くのことを考えさせられたなぁと感じているので、そのあたりについても感想の中で触れたいと思います。
幼少期から「夜は1人で留守番」をしていたあなたは、まだ物事を理解することが困難な時期にはすでに深い傷つきを体験していたのだな…と感じました。あなたにとってうれしい体験をもたらしてくれた「釣竿」を自分で壊さなければならなかった描写-うずくまって泣く小さなあなたの姿が浮かんでくるようでした-を想像すると、とても胸が痛みました。
また、あなたの家庭環境は暴力・暴言が絶えなかったであろうことが容易に想像でき、ひどくあなたを混乱させただろうなと感じました。母親や義父、そして少し歳が離れた姉といった、あなたよりも力のある存在はあなたを守るのではなく、あなたを無力化してきたのかな…と感じます。その構造自体はあなたが社会人になってからも変わらず、たとえ精神疾患で苦しんでいても(むしろそのように弱っている状態だからこそなのかもしれませんが…)その苦しみを含めて、存在しなかったこととしてきたのだなと感じました。あなたが「戸籍上はつながりがあっても、他人か知人」であると思っても当然であり、むしろそう思うことの方がまっとうな気が私はしました。
家庭の外の世界である学校でもあなたは、度重なる暴力によって身体的なダメージを負い続け、それだけでなく、嘲笑や嫌がらせを受けつつ、恥辱感をも植え付けられてきたのかなと想像しました。社会人になってからもまた-あなたの力を発揮する機会やほんの少しの「理解」を得られる経験をしながらも-人間関係で傷つき、仕事の重責にひとりで耐えなければならなかったのだろうと想像しました。知らず知らずのうちに主体性は奪われ、「会社にいいように使われる駒」として「要求が増えるばかりで、自分を消耗する」ばかりの日々だったのかと思います。
その苦しさの解決(解消)を精神科やカウンセリング、自己啓発の本などに求めてもうまくいかない。そもそもあなたが言うように(本にあるように)「答えは問題の作り手にある」のかもしれないとすると、解決などないのではないかとさえ思え、絶望や無力感を抱かされてきたのではないかなと想像しました。
このようにあなたの軌跡を追っていくと、あなたが見てきた世界はまさに「混沌とした世界」と言えるように感じます。そんな世界であれば、あなたが「自分を守り、救う方法は結局、自分自身の中にしかないように思います」といった結論(?)を見出すことは理にかなっていると言いますか、それはそうですよね…と、思わずうなづいてしまう私がいました。そんな私がいるのは(=「考えさせられた」と冒頭で書いたのは)あなたの文章には、あなたが経験し味わい尽くしてきた体感をもとにした、等身大の気づきが綴られているように感じたからな気がしています。
そのあたりについて書かせていただくと、たとえば「「大丈夫か?」「無理しないで」などと声をかけてくれることはありましたが、それに応えるために無理をしなければなりませんでした」という言葉は、声をかける側からしたら想像しづらいことかと思い、私としては大事な視点のように感じました。私自身、そう声をかけてしまうこともあるので気を付けたいと痛感しています。
また「社会に適合するために」あなたが「自分を偽り」、それが「生きるためのエネルギーを奪って」きたことや、「互いに支え合う」ものと「植え付け」てくる家族像は、“適応”を求める社会に対する警鐘であるように私には感じられ、深く共感しています。そして、ネットを通じてあなたと言葉を交わしている立場でありながらも私は、「バーチャル世界で充足した自分を現実世界に持ち込むことはでき」ない「置き去り」の感覚や、「ネット診断」によって便利になりつつも「「自分は◯◯」というイメージを作り上げると、自分の本質を見失ってしまうのではないかという疑念」を抱くことがあるので、勝手ながら私のもやもやを代弁してもらったような感覚になりました。これらをあなたの心の中に留めずに、共有してくれたことに改めて感謝したい気持ちです。
ただ、その中でひとつだけ、私としては(何度も反芻したうえで)考えが少し異なるかもしれないと思ったのは、「生きづらさ」の「原因」は最終的に自分で作っているかもしれないというところでした。その意味は理解できるような気がするのですが、あなたの「冒頭で挙げた感情」は本当にあなたが「作り上げたもの」なのだろうかという疑問が、どうしても私の中で拭い去れなかったのです。
あなたが列挙した感情はどれもあなたが受けた傷由来と考えられるように思いますが、その傷はあなたが自ら求めたものでは決してなく、あなたの環境によって生み出されてしまったもののように私には思えました。あなたが「植え付けられてきた」「学校を出て働き、出世して、お金を稼いで、結婚し、子供を作る」といった「一般のイメージ」や、家族像は、”今のこの国”の「社会」が押し付けているものと言えるように思い、「生きづらさを抱える原因」のひとつとなっているようにも私は思います。
また、傷ついたときに傷ついたと言え、きちんと手当てされる環境が整っていたら何かが違ったのではないか…とも私は思っていて-この世に、傷つかない・傷つけない人など存在しないとは思いますが-「負の連鎖」を断ち切ることを優先する社会であれば、ここまで「生きづらい」と感じずにいられた可能性はないだろうか…と、よければあなたと考えてみたい気持ちになりました。
長くなりました。
最後に、私はあなたの「生と死は同時進行です。だから、死にたくても死ねないことに悩み、苦しむ必要はないと気づきました」という言葉を見て、私もそう考えていた時期があったと思い出したこと、そして、「自分自身を理解しようとする(生きることに真剣である)ことは、自ずとこの生きづらさから解放されることを信じています」という言葉に、もうすでにあなたは十分「生きることに真剣」であると私は思ったので、今の生、今のあなたの好きや「いいな」と感じられるものに触れられるといいなと感じたと書かせていただいて、感想としたいと思います。そうした時間を過ごすことで、あなたの「生きづらさ」が「解放されること」を願いつつ、もしかしたら「解放」とは少し異なる「解きほぐされていく」こともあるのではないか、あったらいいなと私は思いました。またよければ書きに来てください。