私は、小学校6年の卒業間際にいじめられていました。いじめというと大袈裟な気もしますが、あの日々は死にたいとしか思っていませんでした。多少反撃をしたので、「いじめられていた」と言ってよいのかわかりません。ですが、クラスラインに悪口を書き込まれたり、悪口が書かれたメールの写真が送られてきたりすることに耐えられませんでした。友人に誘われて遊びに行くと、「なんでいるの?」と言われ、異性と話しているだけで「浮気女だ」と言われ、更に心の支えであった好きなアーティストの悪口まで言われ精神はズタボロでした。友人に相談したところで取り合ってもらえませんでした。挙句の果て信用していた友人にも裏切られ、人を信じにくい性格となりました。騒がしい人や大声、同年代の人が苦手となり、生き辛いです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生き辛いトラウマ
感想2
投稿読ませてもらいました。学生のうちは、世界はあまりにも狭くて、けれどもその狭さが果てしなく感じるほど、痛みも鋭く深かいものだろうと感じます。小学校六年生という年齢は、はたから見るとまだ幼さはあるかもしれませんが、物事の分別はついてくる成長段階だと思います。そこに渦巻く人間関係、友情、期待と裏切り、全てが等身大の重さで胸にのしかかってくる中で、あなたはひとつずつ、痛みを飲み込んで、それでもなんとか息をしていたのだと想像していました。
「多少反撃をしたので、『いじめられていた』と言ってよいのかわかりません」という言葉には、あなたが、周囲に気遣っている様子と自己否定が同居しているように思えます。自分が傷ついたことを、誰かと比べて測ってしまうのは、ダメージを受けた人がよく抱えてしまう感情だと思いますし、どんな形であれ、心が壊れそうになるほどの経験は、それだけで「いじめ」と呼んでいいと私は思います。反撃したからといって、痛みが軽くなるわけではないですし、むしろ、反撃せずにいられなかったほど追い詰められていたのではないでしょうか。
クラスラインでの悪口や写真に撮られて送られてくる中傷などそれらは、気軽に誰かと繋がれるものを介しているからこそ、家にいてもどこにいても逃れられない感覚も抱いてしまったのではないかなと想像していました。(昔も今も本質的なことは変わらないままでも形を変えて、そういった悪意のあることは起こってきたと思いますが、改めて現代の闇を感じずにはいられません…)
また、好きなアーティストの悪口を言われたとき、あなたの中で何かが「ポキッ」と音を立てて折れたのではないかと想像します。自分が大切にしているものを否定されることは、自分そのものを否定されることに等しいですし、特に、好きなものに支えられてかろうじて立っていたときなら尚更だと思います。その「心の拠り所」を壊されることが、どれほど残酷か、想像しきれないところもあるかもしれませんが、胸がぎゅっと痛くなる感覚になりました。
信用していた友人に裏切られる経験も、深く心に傷を残すものだと感じます。誰かを信じるという行為には、勇気が必要で、だからこそ裏切られたとき、その痛みはいつまで経っても残り続けると私も経験して感じることです。そして今も、「騒がしい人や大声、同年代の人が苦手」という言葉に、これまでの経験がどれほど深くあなたを変えてしまったのかが伝わってきました。けれどそれは、傷ついた心が無理をしてでも自分を守ろうとしているからこそのように私は思いました。
あなたが今、小学校を卒業されて何年経過したかは分かりませんが、誰も助けてくれなかったあの頃の自分に、いまのあなたが「生きているよ」とそっと教えてあげることができたら、少しは報われることもあるのかな…なんて勝手に考えたりもしていました。そう簡単なことではないとは思うのですが、この先、あなた自身の心に、ほんの少しでも安らぎが訪れたらなと願っています。また死にトリが必要に感じられたらいつでも参加してください。お待ちしています。
感想1
投稿ありがとうございます。
今は小学校を卒業して新しい環境になったかな、そうだとしたら、その環境ではどう過ごしているのかな…と気になりながら、感想を書いています。
あなたが「卒業間際」にされたことは「いじめ」だと私は思いましたし、それが仮に「いじめ」でないのだとしても、あなたが「耐えられ」ないくらいつらい思いをしたことには変わりないと思いました。そして、あなたがしてきたことは「精神がズタボロ」になるほどの経験だなと思い、それはつらいよ…と言葉をかけたくなりました。
あなたの投稿を読んでいると、私(男性ですが)も小学生の頃、異性と話しているだけで変な目で見られたりしたな…といった記憶が蘇り、「騒がしい人や大声、同年代の人が苦手」だった(騒がしい人や大声が苦手なのは大人になった今も)ことが思い出されました。正確には、あなたがこうして言葉にしてくれたことで、私はあの時傷ついたんだなということや、「苦手」だったんだ、「生き辛」かったんだと改めて思えた感じです。このことは私にとって、小学生の頃の自分の「トラウマ」を大事に思う機会になったと感じるので、勝手ながらあなたがここに書きに来てくれたことに感謝の気持ちを抱きました。そして、あなたが深く傷ついたことを私も大事に扱いたい気持ちになり、繰り返しになりますが、あなたがつらいと感じたことは、誰が何を言おうともつらいと感じていていいとお伝えしたくなりました。そのつらさを、もし信用できそうな大人がいたらいつか話してみてほしいな…とも思ったとお伝えしておきたいと思います。これからあなたが、あなたを極力傷つけない人となるべく一緒にいられるようにと願っています(そういう環境を大人や社会が作っていかないといけないなと私は思っています)。よければまた書きに来てください。