春から大学3年生になる22歳女です。生きているのがしんどくなったのは、中学受験を経て中高一貫校に進学した時からです。私は韓国人の母と日本人の父の間に生まれ、“日韓ハーフ”として育ちました。育ったのは日本ですが、母の教育方針は韓国の価値観に基づいたものであったため、小学生の頃から自分が周りと違うことを意識したり、友達との価値観の違いに違和感を覚える事が多かった気がします。一人っ子の私に両親は愛情を注いで育ててくれましたが、世間体を強く気にする厳格な父と、両親に捨てられ厳しい家庭環境で育った母は、2人ともとても気分屋で、自分の価値観を押し付けてくるところがありました。そんな環境で育つうちに、私は両親の機嫌を損ねないよう常にいい子であろうとし、あまり自己主張をしない子どもになりました。Noが言えない人間だったので、小学校の頃は学校で友達にいいように利用される事が多かったです。その後教育熱心だった母親の勧めで、公立の中高一貫校に入りました。自宅から10キロ以上離れた学校だったため、同じ小学校はおろか、近隣の小学校出身者も少なく、ゼロから人間関係を構築しなければなりませんでした。その時クラスで「仲良しグループ」に所属できず一人ぼっちになってから、生きていることがしんどくなりました。私の辛さに追い打ちをかけたのは、クラスメイトのAさんの存在です。Aさんは個性が強く、クラスメイトが距離を置いている存在でした。しかし、たまたまクラスで一人ぼっちだったのが私しかいなかったため、ペア活動などを全てAさんと組む事になり、Aさんを標的としたいじめを危惧していたであろう先生にも私とAさんが仲良くなるよう取り計らわれたせいで彼女と常に時間を共にする以外の選択肢がありませんでした。結局高校でクラスが離れるまで3年間同じクラスでした。自分の意に反して共に過ごさなければならなかった日々は身体的にも精神的にも地獄でした。本当は不登校になりたかったですが、両親は私の窮状はお前の自己責任だと言い、決して休ませてくれませんでした。今思えば両親の言うことなんて聞かなければよかったのですが、真面目な性格の私はそれに従い、決して学校を休む事はなく、皆勤賞を取って中学を卒業しました。学校の先生を信頼できず不信感すら抱いていたほどだったので、保健室やスクールカウンセラーを頼る事もしませんでした。部活はオーケストラ部に所属しバイオリンを担当していました。重い楽器を持って海沿いの風が強い道を片道10キロ以上毎日自転車で往復していました。忙しさのおかげで辛さを多少忘れることができたのは、不幸中の幸いだったと思います。中高一貫校でしたが中学があまりにも辛かったので、本当は別の高校に行きたかったです。しかしそれは叶いませんでした。この時無理してでも別の高校に行けばよかったと今でも本当に後悔しています。中学と変わらないメンバーに新たに加わったのは、古いやり方で指導を行う国語の先生でした。学年主任となったその先生は、授業中に問題に間違えた生徒に死ねといったり廊下に立たせたりといった事を行なっており、常にピリついた空気で授業が行われていました。高校1年の時全てに耐えられなくなり学校を退学したい旨を担任に伝えたところ、その学年主任と面談する事になりました。彼女が私の苦しみを理解してくれるはずもなく、その時期に学校への嫌悪感や教師への不信感が決定的になりました。教師への不信感は、外国人の親を持つ事で担任に差別された小学一年の頃からありましたが、この時点でついに覆せないものになりました。両親は物理的なサポートは提供してくれましたが情緒的な部分でのそれは一切なかったため、私はこれまでの人生でメンタル面で頼れる大人に出会えたことがありません。高校卒業後は都会の私大に入学しましたが、それまで地方の公立校で教育を受けてきた私にとって、その大学のマジョリティを占めていた地元の私立中高一貫校出身者の価値観や金銭感覚は、理解できないものでした。高校までの人間関係がうまくいかなかった分大学で心機一転しようと思っていたので、コロナ禍での対面授業の中止や価値観のずれが原因で学科に友達が一人もできなかった時は、本当に絶望しました。それまでどんなに辛くても死にたいとまで思う事はありませんでしたが、その頃からはっきりと死にたいと思うようになりました。その後大学中退、1年の浪人を経て地元の国立大学に再入学し、同世代から2年遅れてやっと3年生になります。今の大学では親友まではいかずとも友達と呼べる友人が数人でき、それなりに充実した大学生活を送っています。それでも中学高校の6年間への未練や後悔や同世代から2年も遅れてしまった自分への強い自己嫌悪があり、楽しい時間を過ごしている時も、常に頭の片隅に希死念慮や自責の念があります。私は一人っ子で従兄弟がいないため、友人を作らない限り同世代との交流はありません。これまでの22年間の人生で心から気を許せたり、つながりを感じられる友人ができたことがなく、外国人の母親とは全く価値観が合わず共通の話題も少ないため、ずっと強い孤独感を感じて生きてきました。この拭えない孤独感が、私の希死念慮の根源にあるような気がします。家族を悲しませたくないので死ぬ予定はありませんが、毎日死にたいという思いが頭によぎりながらも死ねない日々が苦しいです。これまで3つの精神科にかかりましたが、出会った全ての先生に、それまで出会った大人に対して感じたものと同じ強い嫌悪感、不信感を抱きましたし、半年カウンセリングを受けてもつらい気持ちは全く改善しません。小学生までは感じることができていた心の底からの幸せを感じられなくなって、もう10年。12歳ではじめて生きづらさを感じてからもう10年になります。物心ついてからの半分以上の人生を苦しんでいる自分が、かわいそうだと思います。大学卒業後の進路を考える時期に差し掛かってきましたが、私には、フルタイムで働いている自分、楽しく社会人生活を送る自分の姿が全く想像できません。つきたい仕事もありません。ありありとリアル想像できるのは、自分のお葬式で泣く両親の姿だけです。私はこれまで人に頼らず弱音も吐かず、真面目にひたむきに生きてきたのに、なんでこんな仕打ちばかり受けなければならないのでしょうか。持続的な希死念慮のせいでしょうか、常に頭に思い雲がかかったような感じがし、頭に不快感があります。心身共に、もう疲れました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
消えない孤独感
感想2
生まれてくる環境も同じ学校にどんな人がいるかも選べない状況の中で、周囲と感じた「違い」に苦しみ続けてきたという印象が、経験談を読んでまず強かったです。
家庭環境の部分に関してですが、私はあんまり韓国の価値観や家庭内の教育観を知らないので、調べながら読んでいました。その中で「親に敬語を使う」といったものが検索でヒットし、あなたは例えばそういった韓国の文化に根差した教育を受けてきたのかなぁ……と想像を膨らませていました(違うのであればごめんなさい汗)。日本では日本の文化で生きることが主流になっていると私は感じているので、あなたは日常のふとしたときに文化(日常的な感覚、言動)の違いを感じて、「自分って他の人とは違うのかな」と不安になるときもあるのかな…と思いました(文化に優劣はないのを前提として)。
そういう意識が「自分にしかできないこと、感じられないことがある」といったふうに良い方向に働くこともあるかもしれません。しかし、あなたの場合は担任の先生の差別的な言動も相まってか、それがあなたの精神状態にとって悪い方向(コンプレックス的なもの?への影響)に繋がったのかな…と私は経験談を読んでいて推測していました。
冒頭にもちょこっと書きましたが、なかなかその状態を変えることのできない環境によって、あなたはこれまで振り回され続けたのかなと私は思いました。
でも、「No」を言うことが苦手なあなたなりに、あなた自身の状況を人に伝えていることも、経験談から分かりました。状況を親や先生に伝えてもあまり相手にされなかったり、「寄り添う」「一緒に考える」といった対応をあまりされなかったりということを何度も経験したら、特に「教師」といった部類の大人を信用できなくなるのは当然あり得ることだと思います。そういった対応をされたときの失望感は私には想像し難いぐらいのものなのではないかと感じます。
あなたのほうは時々何かしらの行動を起こしているのに、周囲がことごとく相談や話を共有する相手として向いていなかったというのは、私も読んでいてやるせない気持ちになりました。あなたがいた状況では相談相手も限られていたと私には見え、前提条件となる環境の問題だと感じました。その環境の象徴(「繋がりたいけど、繋がらせてもらえない」「心を許したいのに許させてもらえない」)の1つとなったのが「助けてくれそうな地位、職業、立場をしている大人」でもあるのかなと思いました。同年代の似た価値観の人に対して不信感はないのだろうか…なんてぐるぐる考えていました。
また、「社会や時の流れは自分を待ってくれない」という意識もどこかにあるのかな…と私は読んでいて感じました。何年も浪人していたり、何回も留年したりしている人は私の身近には何人かいるのですが、あなたの場合はあなたの育ってきた歴史の影響やあなたが今までいた「(いい意味で)色んな人生がある」と思えない環境によって、そういったことに関して否定的な気持ちがより芽生えやすいのかなと思いました(あなたが悪いわけではないです)。ある意味「しっかりしなきゃ!」といった気持ちの反映で、これを「社会に適合しようとする義務感、恐怖心」と言ったほうがいいのか「責任感」と言ったほうがいいのか…と私は勝手にモヤモヤしていました。
今のあなたは先のことや将来のことについて考えられる精神状態ではないのかもしれない…と私は思いましたし、「休んでもいいよ…」って言いたい気持ちになりました(「休んでいいよ」だけだと無責任なので「言いたい気持ち」という言葉に留めておこうと思います)。
理不尽な世の中であなたは一瞬を生き抜くことに精一杯なのかなと思います。今この瞬間も、そしてこれまでも、あなたはとても精一杯生き抜いてきたのではないかと私は強く思いました。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございます。
まず、投稿者さんがしっかり眠れているのかが気になりました。常に頭に不快感を抱えているようなので、しっかり眠るのも難しそうだと想像しています。
真面目に、ひたむきに生きてきたのに何故こんな仕打ちばかり?という投稿者さんの言葉、読んでいて私は怒りのような思いを感じました。「人に頼らず、弱音も吐かず」と書かれていましたが、頼れる人や弱音を吐ける人もおらず、頼り方や弱音の吐き方も教えてもらえずにここまで懸命に生きてこられたのではないでしょうか。
生まれ育った国の価値観と、家庭で親から受け取る価値観、この間が異なることで投稿者さんが感じた違和感がどれほどのものなのか、とても想像が難しいです。「周りと同じ」であることが強く意識される日本社会の中で、周りとの違いを感じながら育つこと、苦しくて、孤独感を感じることではないかと思います。投稿者さんが書かれていたように、「消えない孤独感」はここから生まれ育っていったのかなと想像しています。
親の価値観を押しつけられるということは、投稿者さんの考えや価値観が親に受け取られることはなかったのだろうなと想像しました。そんな環境は、投稿者さんに自己主張やNOを伝えることを諦めさせてしまったのではないかと思います。何も言わず受け入れてくれる(ように見える)投稿者さんに、クラスメイトや教師も都合良く乗っかったのではないかと思うと、なんて自分勝手な人たちなのかと思いました。そんな環境や親の無理解に晒されながら、地獄を抱えながらも中高を卒業できたのは、投稿者さんの中にある生きる力の強さなのかなと読ませていただきました。大学を選択し直せたのも、投稿者さんの中にある、身を置く環境を諦めない力と言えるのではないかなと感じています。
投稿者さんが書かれている「楽しく社会人生活を送る」というのは理想的な生き方だと思います。私自身楽しく生きられたらいいなと思っていますし、楽しく生きることが正解なんだろうなと感じています。でも最近、「楽しくあれ」というのも正体の知れない「社会」というものが押しつけている価値観なのではないかとも感じています。楽しくはなくても、無理のない生き方ができればそれもありなんじゃないかと思っています。(そう思う自分を肯定したいという気持ちもありますが・・・)
経験談から感じられた(私が勝手に感じているのですが)、投稿者さんの生きる力、諦めない力が、投稿者さんの価値観に合う環境、生き方へと投稿者さんを導いてくれたらいいなと思いました。