私は普段、学校や塾で一つのキャラクターを演じて生きています。「明るくておちゃらけ者で天然」と言った、所謂ちょっと変な子、みたいな感じです。
完全孤独というわけではないですが、私は普段クラスでは1人です。学校には友達がいますが、クラスにあまり友達がいません。素でいれる友達もいません。塾の先生も学校の先生の前でも強がってしまいます。自分を見せるのが怖いです。そもそもこのキャラクターが自分なのかすら分からないまま日々を過ごしています。友達に好かれている自信がありません。私は、自分のことを本当に変な子だと思っています。私は異端者でおかしくて、居なくてもいい存在なんだ、と。
友達を作ろうとしても、接し方を間違えました。その友達は今でもよくしてくれてよく話しますが、どうも信頼ができない。誰と話そうと関わろうと不安で仕方がありません。毎日のように誰かにそっと抱きしめてもらいたい、そう思っています。どれだけ良くしてくれていても、自分を偽って話しているから、心の中にいる隠れた自分はずっと1人で生きています。その隠れた自分の心にノックをしてみようと、自分と向き合って対話してみようとしたことも数多くありました。でも、その隠れた自分が自分なのかすら分からなくなってしまった。結局はその演じてるキャラクターも隠れてる自分も全部自分の一部なのになあ、と思っています。でもその隠れてる自分が心に蓋をしている限り、私はこれからもずっと「キャラクター」を演じ続けるのだ、と思います。でもちょっといいこともあるんです。
嫌われても、嫌われたのは「キャラクター」であって私ではないのです。
だから、嫌われても大丈夫、と思えるようになりました。だからこそキャラクターをさらに演じてしまうのかもしれないですが、ね。
もしも自分の中の自分が、また悩んでしまったらここに来ようと思います。
自分を思いきり抱きしめることはできないのだから、誰かに抱きしめてもらわないと、きっと自分の中の自分は出てきてくれないと思うので。私が、いつか「キャラクター」を演じる必要のない日が来ることを祈ります。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
「キャラクター」を演じること
感想2
投稿ありがとうございます。
ここに書かれた言葉は「心の中にいる隠れた自分」の言葉なのかなぁと想像しつつ、どんなあなたであっても気持ちを言葉にしてくれたこと自体が大事なのかなと感じながら、読ませていただきました。
学校や塾で「キャラクター」を演じなければいけない日々は、あなたを消耗させるだろうなと想像します。実は私も「明るくておちゃらけ者で天然」を演じることがあり、なんだか疲れるな…と思っていたことがありました。それはそれでトラブルが起こらないようにする方法でもあったと思うのですが、自分のいたい自分ではないことから「居なくてもいい存在なんだ」と感じていた気がします。そうした経験から、あなたが日々演じることでなんとかやり過ごしていることを労いたい気持ちに私はなりました。
あなたが「キャラクター」を演じるのは「素でいれる友達」がいないこと、「自分を見せるのが怖い」ことと関係しているように感じますが、それは言い換えると「安心」していられる時間・空間がないということなのかなと私は考えました。安心できる空間でないならば、自分の身を守るためにはほどほどに「キャラクター」を演じることは必要なことなのかもしれないとも考えます。職業人格などと言いますが、たとえば仕事をしている大人の中には仕事では別の人格を持ったりするという話を聞いたことがあります。よくよく考えると、スーツや制服姿(≒仕事をする時の恰好)に着替える時の自分と、寝間着に着替える時の自分とでは少なくともモードは違うように思うので、その意味では「キャラクター」がいくつかあることは自然なことかもしれないとも私は思いました。そもそも完璧な人間はいないのに、学校や塾では正解を求められたり、「友達」は多く持つべきなどという価値観を押し付けられたりしがちなので、それらがあなたに完璧な「キャラクター」を演じるよう強いていることもあるだろうか…とも考えました。
とはいえ、あなたが「安心」して「自分」でいられる時間や空間=「演じる必要のない日」が少しでもあるといいなとも思うので、たとえばあなたが夢中になれることや好きなこと、ホッとする時間や場所などはあるでしょうか。もしあれば、誰に理解されなくても、そういう時間を大事にしてほしいなと思ったのと、もしなければそれをゆっくり探してみてほしいなと私は思いました。あなたにはしんどさと向き合う力がありつつも、柔軟に考える力もあるように私には感じられたので、ひとりで抱え過ぎず、焦らずに過ごしてもらえたらなと思いました。よければまた書きに来てください。
感想1
驚かれるかもしれないけれど、しっかりしている方だなあと読みながら思いました。あなたの自分を見つめようとする姿勢がそう思わせたのかもしれません。
どんな過程があって「変な子を演じる」ようになってきたのかなと想像しながら、『友達から好かれるように、或いは嫌われないように』キャラクターを演じてきたのだとすれば、それは、あなたの処世術(生きるための術)だったのかもしれません。
なかなか、「心の奥の本当の自分」を見つめられる人って実は少ないのではないかなと思います。心の奥の自分がなんと言っているのか、静かな時間を持って対話して、自分の本当の心の声を聞いて、さらにその声を無視しないこと。それは自分を大切にすることと同じだと言ってもいいのかなと思います。
人といると、人を自分の気持ちより優先させてしまったり、人から見られる自分を演じたり、好かれるために背伸びしたり、嫌われないように我慢したり、というようなことが起こってしまうのが自然なことだとも思います。
あなたの書かれた通り「どのキャラクターも、隠れてる自分も全部自分の一部」ではあると私も思うのですが、自分より人を大切にする時間ばかりで、自分を大切にする時間が持てないと、自分を無視し続けていることにもなります。人から無視された時に傷つくように、自分で自分の心の声を無視することも、自分を傷つけることだと私は思っています。
あなたが、自分の心の奥の自分と対話できて、「誰かにそっと抱きしめてほしい」と言っていることをきちんと聞き分け、そのためにここに書き込みに来てくれたのだなと思うと、自分の方法で、自分を大切にできる力のある方だとも思いました。
今は心の中のあなたに、心の中の私でとびきりのハグをしながら、誰といても「人も自分も大切にできる」処世術を身につけられるように、私も一緒に成長したいなと思います。いつでもあなたが必要な時に、書き込みに来てくださいね。