幼い頃から、人と付き合っていると自分は周りとは違う人なのだろうと思ってきました。集団で過ごしていると特にそう感じてしまいます。みんなは友達とお昼を食べるときも、移動教室のときも、トイレに行くときもずっと一緒で、同じ人じゃなくても時間があればだれかと話していて、私は友達でもそうじゃなくても誰かとそんなずっといる必要あるのかなって思ってしまいます。友人AはAが前にクラスが一緒だった子と話しているのですが私と一緒にいる時間よりもそっちの方が長いと感じてしまいます。(考えすぎでしょうか…)また、Aと出席番号順で座ると席が近いのですが、Aも私のところには自分のほうからあまり話しに来ず、Aは後ろと斜め後ろにいる子と話始めてしまいます。私も進んで誰かと話せるというわけではないので、Aと一緒にいたいと思っているのですが私は知人他人関係なくずっと誰かといると一人になって、「人」というものから距離を置きたくなります。このようなことが続くとこれからも人と向き合わなきゃいけないし自分がよりよい関係を相手と築くチャンスを自ら失ってしまっているのではないかと不安になります。また、3人以上といると私がいても自分1人にどうせなってしまう、そうなったら自分のいる意味がないなと思い自分から離れてしまいます。周りとうまく付き合っていくために自分よりも相手のことを優先していたらあまり揉めることもなく、平和に過ごしていけるということに逃げた結果、それによって服従関係が生まれたこともあり、将来の夢やこれからなにをしたいかや本当は自分がどう思っているのかがわからなくなってしまいました。また、相手に自分の思いや考えを言うのが苦手なのですが、そもそも自分が何を思っているのかが分からないので何も言葉が出てきません。また、「どうしたい?」や「どうする?」といった具体的なことを求められるとなかなか答えられません。ただ、相手に「わからない」と言っても逃げていると思われてしまうのでこのことを理解できる人や私みたいな人がもっと周りにいたらいいのにと思ってしまいます。どうしたらこのことを相手が理解できるようになるのでしょうか?
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分を分かってほしい
感想2
最初に感じたのは、とても客観視してきた方なんだな、という印象がありました。自分自身のことも、目の前で起きている現象に対しても「ふむ…。」と考える感じがあったのかなと思いました。でもその時間のたびに、あなたの言うように「考えすぎかな?」となったりしんどくなってしまうような状態が多いとしたら、とてもストレスを感じてしまうなぁ…とも思っています。「人というものから距離を置きたくなります。」というところを読み、その時はどんな感覚になるんだろう?と私は興味が湧きました。と、ここでふと思ったのが、私みたいに「興味があるぞ。」となる人も存在するんじゃないかということです。なので、より良い関係を築くチャンス=自分から頑張って距離を測ったり、誰かと一緒にいる…だけではないような気がしました。でもここにはあなたの理想も隠れているのかなと感じています。”より良い関係”は、あなたにとってどんなものなんだろう…と私の中でつい気になり考えているところです。また、距離を置きたくなったり自ら離れてしまうことも、あなたにとっては必要な時間なのかもしれないな、とも感じました。
「わからない」について私なりに考えてみました。自分でも無意識に脳をフル回転させたりはして答えを探すけど、そこでいつの間にか頭が真っ白になって何も浮かばなかったり、または逆に色々と出てきすぎてその瞬間に何を出していいかが「わからない」な時もあったり…つらくて考えること自体ができない結果の「わからない」になったりと、このほかにも色々な「わからない」が存在すると私は思いました。そんな私自身が上記に当てはまるのですが、よく、「ちゃんと考えたんだけど、今は自分でもわからないんだ。」と相手にそのまま返すことがあります。あなたも「人と距離を置きたくなる事がある。」とか、「本当は話したい気持ちがあるのになんだか話せなくなっちゃう。」などなど、気持ちというよりも、”自分の中に起きてることをそのまま”言ってみるのも悪くないことなのかもと私は思いました。そこについて誰かと一緒に考えられたり、ある意味「本来のあなた」(かもしれない部分)に対して興味を持たれる可能性も感じました。そしてそこを話すことで、自然と自分との対話になっていくような気もしました。(今こうしてここに書いてくれたおかげであなたの気持ちや行動について一緒に考えられた感覚になってる私がいます)
またいつでもここに来てください。
感想1
ところどころ「分かるなぁ」と、安易かもしれませんが共感しながら読ませていただきました。「トイレもみんなで一緒に行くのは嫌だなぁ」と中学生の頃の自分は思っていました。また、同じクラスの友達が前その子と同じクラスだった子とよく一緒にいる気がする、というのは私も高校のときに体験しました。クラスが離れてしまったからこそ話せるときに話しておきたい気持ちがあるのかもしれませんし、別のクラスの子が新しいクラスに馴染めず過ごしているのかもしれない…と私は当時のことを振り返っていました(自分語り失礼しました)。
読んでいて思ったのは、あなたは人との距離の測り方に困っているのかな…ということでした。他人との距離も、あなた自身との距離も、あなたは試行錯誤して測っている最中であるというふうに、私には見えました。それは「人と交流してみたいかも!」という気持ちの現れであるように私は感じました。
あなたの経験談を読んでいて、「一緒にいたいけど、離れたい気持ちもある」っていう言葉が頭に浮かび、ふと「ヤマアラシのジレンマ」という概念を思い出しました。もし詳しく知りたくなったら、検索してみてもいいのではないかと思います。そういった概念があるということは、成長の過程で「ヤマアラシのジレンマ」のように思い悩む人は少なくないということかもしれません。
あなたみたいなことを思っている同級生がいたとしても、やっぱり自分にはない(と強く感じている)ものを持っている人が目についてしまって、似た考えの人がいることに気づけない場合もあるのかもしれないな…と私は思いました。また、もしかしたら、あなたみたいな考え方をしていても、無理やり「みんなといつでも一緒にいなきゃ…!」って思ってモヤモヤした気持ちを一生懸命隠しながら喋っている人もいるのかもしれません。
そういうことって喋ったり、人の話を聞いたりすることで分かるところでもあると私は思っています。「そこでつまずいてるのに…」と思うかもしれませんが、直接話さなくても分かることや、直接話さずに客観的に見ているからこそ分かることもあるかもしれません。
それと関連してですが、直接話をしていてもしなくても、ふと「本当は○○がいいかも」とか「もし△△と□□って選択肢があったとしたら、△△のほうがいいかも」とゆっくり、自分の気持ちについて考えることで、自分のことや他の人のことも分かってくるのかなぁ…と思いました。「押し殺してきた気持ち」との距離感も大切なことだと私は読んでいて感じました。