いつから病んでいたのだろう
ずっと前から死にたいと言ってまだ死んでいない
愚かで惨めで醜悪で汚いいらない子
友達を心の中できっと見下している
承認欲求に振り回され、電子の海に潜った日々
ホントは泣きながら布団に潜ってるくせにね
人に馴染めず親の前では仮面をかぶり
学校では避けられ陰口を言われ迷惑をかけ
ホントは友達もいるしほぼ被害妄想のくせにね
無知を晒し何がしたいのか気持ち悪い
夢も趣味も否定されるのはもう勘弁
あなたは好きなようにできるのにどうして私だけ
否定されなきゃいけないのお母さんお父さん
深夜に静かに泣いて笑わせてくれたのは誰?
あなた達なんかじゃないんだよ?
精神科医に行くのはおこがましい??
あなた達だけで全て解決するわけがない
あなた達のほうがおこがましい
相談しても話を遮り説教か茶化す?
そんな態度で聞き出せると思っているのか?
でもここにはもっとひどい親だっている
まだマシなのかもしれないけれど苦しんでいる
それは紛れもない事実なのだから
もうちょっとだけでもいいからたすけてね
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
どうしてこうなっちゃったんだろう
感想2
静かな夜更けに出会った詩を読んでいるような、そんな気持ちで読ませていただきました。
タイトルや文章から、さまざまな感情があなたの中でぐるぐると巡っていることを感じています。
ご自身を責めるような言葉が散らばっていて、そう思わざるを得ないような日常があるのかなと想像しました。苦しい胸の内を抱えながら、普段は何でもないように振る舞っているような葛藤もあるのでしょうか。
両親に対しても不信感や憤りがあることが伝わってきました。親だからといって一方的に否定されるのは傷つくことですし、伝えようと思っても遮られたり怒られてしまったり、茶化されてしまうのは、なかなかにしんどい瞬間だと感じています。一つ一つの段落が、あなたの声なき心の叫びのように感じています。
死にトリには様々な経験や思いが寄せられますが、「苦しんでいるのは紛れもない事実」という言葉は、自分のつらさをついつい他者と比べてしまう私たちの思考を緩ませてくれるような一言だなと感じました。
あなたがどんな時間、どんな場所で言葉を紡いでくれたのかなと思いを馳せつつ、また気持ちを吐き出したいときは、死にトリを訪れてみてほしいなと思っています。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。
感想1
経験談を書いて投稿してくださり、ありがとうございます。
読んでいて、「あなたはずっと苦しかったのかな…」と思いました。「愚かで惨めで醜悪で汚いいらない子」ってご自分のことを書かれていたのが、すごく私にとっては印象的でした。そう思わされることがあなたの人生において少しずつ積み重なっていったのかな…と感じました。
後半では両親があなたの趣味や夢を否定したり、あなたの苦しみに寄り添おうとしなかったりということが描写されていたので、幼い頃から何かしらの「否定」「寄り添わない姿勢」を両親からされていると感じ続けていたのかな…と私は思いました。それが「いつから病んでいたのだろう」というぼんやりとした過去への回想に繋がるのかな…と私は感じます(ほんとに想像でしかないので、違うのであればごめんなさい)。
仮にはっきりとした理由がなかったり人より深刻な出来事がなかったりしても、「しんどい」ものは「しんどい」でいいのではないかと思います。
序盤で「友達を心の中できっと見下している」と書いてあったのも私は特に気になりました。
人間は生活の中で多少誰かと比較していると思いますし、多少人のことを見下さないと自分の中の「大きな自我のようなもの(中島敦の『山月記』の言葉で言うなら、『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』)」が納得しないこともあるのかもしれないな…と思いました。そういった「闘い」もあなたの中にあるのかなぁ…と想像していました。なお、そういった闘いは多くの人が経験することだと私は思っていますし、もしかしたら夢を追いかけるときにはついて回る場合もあるかもしれません。
あなたの経験談を読んで、「あなたの夢ってなんだろう」「あなたの趣味ってなんだろう」って、あなたのことについて想像を膨らませていました。今あなたの夢や趣味を否定する人が身近にいるみたいですが、あなたの夢や趣味を否定する人ばかりの世の中ではないと私は思いますし、そういう世の中であってほしいと私は思いました。