経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

火星に生まれて

もう、どこから話していいのか分からないくらい悩みが多くて困ります。
緘黙症と社交不安、一家離散、その他もろもろ。アル中の父と境界知能で自閉症の様な母の間に生まれ、母は私が5歳で家を出て行ってしまいました。アル中の父に暴力吹き荒れる児童養護施設に9年も預けられ、外の世界と遮断されて育ちました。両親はその後ずっと別居、のちに離婚し、私は施設で、長いこと一家離散でした。
小1から緘黙症のおかげで声を発することが難しく、学校では過度の対人緊張や恐怖で体が固まって友達も作れず何年も何年もひとりぼっち。養護施設では24時間保母という名の監視付きで何かあれば体罰が下される為、リラックス出来ずにますます人が怖くなり、5歳にして自分を守ってくれる存在が一人もいない中、ひとりで嵐に立ち向かうことになりました。
養護施設(刑務所と言う方がぴったり)では外出禁止、電話禁止、親への手紙は検閲されるわで外にSOSを出す事が出来ませんでした。ついでに私物の抜き打ちチェックもありました。
施設では早朝から就寝まで決められたスケジュールを時間内にこなさなければなりません。各持ち場の清掃(小学1年から与えられる)をして早朝マラソン、朝礼、朝食、学校への登校、帰宅後も掃除・洗濯・入浴・勉強時間、食事時間、就寝時刻等、スケジュールはすべて決まっており、笑ってるヒマもTVを見る暇もなく夜は寝かされます。お金も握らせてもらえないのでグレる自由もなし。部活は禁止。
毎日学校では緘黙でぐったり、帰れば施設でのお仕事。息が詰まる毎日。職員室ならぬ保母室があり、行けば怒られて立たされている子が居たり、頭から流血して正座の男の子、男子の前で下着姿で立たされる中学生女子。そんな見せしめの体罰などを見ながらの日々で、感覚が麻痺してビンタとか正座させられてもこんなのは軽い内だと思っていました。
小学生から死ぬことを考えてばかり。20歳までは精神的にもたないから生きられないだろうと思っていたほど地獄で、1年経っても2年経っても父は迎えにこないし、囚われの身で刑期未定囚のようでした。
中2で母が身柄を引き取りに来てくれてやっと出所出来ました。転校した中3から学校でもしゃべれる様になりましたが、今まで人とロクにコミュニケーションとったことないので、会話の仕方が良く分からない上に、異常に運動神経も手先も不器用なので学校でも仕事でも苦労して、仕事がデキなくて嫌われ、あまりしゃべらないので嫌われて、どっちへ転んでも嫌われるのでいたたまれず何十と仕事を変えました。
生きる才能がなさすぎて途方にくれます。地獄はあの世ではなくこの世にあると思っています。
育ちや性格が特殊なので人に悩みを話しても理解されません。職場の同僚の悩みを聞いてみれば、スキー仲間二人に告白されたが一人を選ばざるを得ず結婚してしまったのが辛いとか、別の知り合いも、結婚後に夫に浮気されて人生最大のショックを受けたとか言うので、まるで次元が違う悩みに戸惑いました。そういう平和な地球で育った人間達に囲まれて私は普通の人間のふりをする。火星人にでもなった気分です。

感想1

家庭環境と養護施設での環境は本来であればあなたの安全を担保する基地のようなものであるべきなのだと思いますが、現実には、どちらもあなたに危険をもたらすものであったことが、文章から強く伝わってきました。
養護施設については「刑務所」という形容がありましたが、養護施設にしても刑務所にしても、人間の尊厳や自由を奪って暴力で管理することは許さるべきではないと思うし、「毎日学校では緘黙でぐったり、帰れば施設でのお仕事。息が詰まる毎日。」の中では、毎日をやり過ごすことで精一杯だっただろうと思いました。
実際にはここに書ききれないくらいの大変なことがあっただろうな、と想像しています。そういう環境をなくすためにはどうしたらいいのだろう。どうしたら変えられるのだろう。なんだかすごく悔しい気持ちでいっぱいです。勝手に読んでおいて、勝手に悔しくなってごめんなさい。

中2以降のことや仕事の中での苦労は、私もあなたと同じではないですが、コミュニケーションが独特になりがちなほうで、さらに「異常に運動神経も手先も不器用」であるため、なんだか共感する気持ちになりました。「そういう平和な地球で育った人間達に囲まれて私は普通の人間のふりをする。」という感覚は私もかなり近くて、私も学生時代から自分はなんだか宇宙人のようだなぁと思っています。擬態するのに疲れて死にたくなる日々の中で、「もしかして他にも人間に擬態した宇宙人がいるのでは?」とか、「いや、そもそも地球も宇宙の一部だし、ここには地球人が多いけど、それも宇宙人かも……」とか詮ない妄想もしていました。
死にトリでこうやって経験談を読ませてもらっているのも、自分に近い惑星のひとを探したり、遠くの惑星の言葉を受信しようとしたりしていることなのかも……と自分を振り返って思いました。そう考えると、すべてを理解し合う、まったく同じ星の人はなかなか見つからないかもしれませんが、なにか響き合う部分がある…ということはもしかしたらあるのかもしれない、とも思ったりしています。(楽観的すぎるでしょうか……)
あなたの生育環境でのことやその後のこと、そしてあなた自身の性質などを踏まえてここに書かれていることをすべて理解できたわけではないし、私の勝手なイメージの中でずれてしまっているところもいろいろあるのかなと思います。ただ、あなたの言葉を受け取って、自分なりに感じて言葉にする機会をもらえたことは私としてはとてもありがたいです。
端的な言葉の中にある比喩があなたの実感を表していて、あなたはきっとこれまで発話という形で表現しなくても、あなた自身としてたくさん考えてきた人なのだろうと感じました。
そういう言葉の一端を投稿してくれてありがとうございます。よかったらあなたの感じていることや見えたもの、考えたことをまた教えてください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございました。
印象的なタイトルに引き付けられて投稿を読ませていただきましたけれど、読み進めるうちにタイトルが何を意味しているのかが理解できて、切なさを覚えながら読み進めました。

家庭と養護施設などでの体験は、のちのあなたの気持ちを語る中で出てきた「地獄はあの世ではなくこの世にある」という表現の信憑性を高めていると感じます。
ご自身がつらい思いを強いられることに加え、いつも監視されているような状態にあることや、他の子どもたちがひどい仕打ちを受けているさまを見せつけられる状況というのは、常に脅迫を受けているようなものだと私は感じます。そこに安心感などあるはずもなく、声を発すること(≒自分を表に出すこと?)に難しさがあったのも、そういった体験が影響しているのかなと、想像を巡らせていました。
また、個人的に「会話の仕方が良く分からない」という言葉も印象に残りました。この言葉に、さまざまな面で、ひとりの子どもとしての権利を奪われて生きてこられたのだなと感じさせられましたし、それこそ火星に生まれたも同じというくらいに、どこで過ごそうとも疎外感を感じずにはいられなかったのではないかと想像しました。
私にはあなたが、他に割く力が残らないくらいに、持てる力を全て「生き抜くこと」に注がなければならない状態に置かれていたように見えました(「生きる才能」という言葉を目にして、そのことに気が付きました)。だから、あなたが奪われてきた自由やさまざまな機会を思うと、正直憤りを覚えますし、胸が締め付けられるような思いです。

最後まで読ませていただいて、この経験談に書いてくださったことはあなたの真意だと私は思いましたし(というか、そう思いたい自分もいるのかもしれません)、「ふり」ではないひとりの人間としてのあなたのことを教えてもらえた気がしています。最後に、あなたが自分とは違う何者かのふりをしないでいられる時間が少しでも増えてほしいと感じずにはいられなかったということを伝えておこうと思います。
改めまして、経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

親にも友人にも聞いてもらえない、やり場のない気持ちをこうやって書かせて頂ける場所があるのは大変貴重です。感想まで下さりありがとうございます。こちらのサイトの運営に携わる皆様ありがとうございます。
書かせて頂いた当該養護施設での児童虐待についてですが、私が出所した後も近年まで続いていた事を合わせてここに追記したいと思います。

感想1の「異常に運動神経も手先も不器用」なことと、自分が宇宙人であるのではないかとの感覚を共有して頂けるなんて、なんだか生きる勇気が少し湧いてくる様な。大げさですかね。「自分に近い惑星のひとを探したり、遠くの惑星の言葉を受信しようとしたり」という下りは言い得て妙で、まったくもって私の考えていることと同じでした。

感想2でふれて頂いた「生きる才能」は「人から愛される条件」であると私は思っています。人と居る時、間を持たせる為に「今日は天気がいいですね」とかお愛想のひとつも言えたり、笑顔で人と接すること。極端な話、これが出来ないと生きていけないですよね。私の場合、緊張や恐怖で凍り付いて笑顔どころではないし、職場で隣や前の席の人と雑談も難しく、これが出来ない人はどこでも嫌われます。嫌われると仕事での協力を得られないし、仕事も教わりにくいし、居られないですよね。友人関係にも職場恋愛にも発展しませんし、そんな不気味な人間には発言権すらありません。人から愛されるにも必要最低限の才能が必要なのです。「フツーの人間のふり」をしているうちにその場限りの演技は出来る様にはなってきましたが、持続時間が短すぎていまだ長距離走(仕切りのないデスクで同僚と1日8時間も一緒に居るとか)には耐えられません。異常なのでやはり宇宙人の様です。

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