経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

これまでのこと

 中学校に入学してから、体調が優れなくなって、保健室に行くことが増えた。最初は、優しく受け入れてくださった先生が、だんだんめんどくさそうな表情に変わっていった。終いには、「保健室に来ないで」と言われてしまった。
 その頃から、父親の暴力がひどくなっていった。自分には暴力を振るわないものの、目の間で弟に暴力を振るう。やめてと弟が泣いていても助けることができずに、自分は無力だなと思った。
 学校でも、家でも居場所がない。誰に頼ればいいんだろう。自分が弟を助けられたら、体調が悪くならなければいいのにと思っていた。
 冬のある日、オーバードーズをした。少量だったので、大事には至らなかったけれど、めちゃくちゃ怒られた。その時に、止めないで欲しかったという気持ちと、止めてくれて良かったという気持ち、両方がわいてきた。
 今は、解離性障害で精神科に通院している。自分の場合、解離性同一性障害という、別人格が現れるという症状もある。周りの人の理解はなく、おかしい人だと言われることもあるけれど、自分を助けてくれる人格には感謝している。
 何年も前から死にたいという気持ちは消えない。今持っている薬を全部飲んでしまおうかと思う気持ちもある。だけれども、他の人になるべく迷惑をかけてはいけないなと思い、今日も生きている。いつか、生まれ変われるのなら、ふつうの人になりたい。
 

感想1

中学入学後に体調が優れなくなったことについて、考えていました。あなたのしんどさとして今日まで積み重なってきて、抱えてしまってるものが沢山あるのかな…と。”迷惑をかけてはいけない”などの気持ちの抑えも、その中にあるのかなと想像しました。
「保健室に来ないで」は中々衝撃でした。生徒が保健室に行く自由はあると私は思いましたし、来ないでとシャットアウトする前に、できることならなぜあなたが保健室に来るのかについて問いかけてみたり話を聞いてほしかったなぁと思いました。(もしかしたらそのやりとりがあったかもしれませんが…。)また、暴力を目の当たりにすることはとても苦しく、大きなダメージを与えられてしまうと思いました。私自身、家族の暴力を見てしまう事があったのですが、辞めさせられない・助けられない自分を無力と思うのと同時に、強い恐怖とストレスを受けてる感覚がありました。でもそうやって”恐怖を感じてる自分”さえも無力だと思ってしまったり、ごちゃごちゃな気持ちがあったかもしれないなと思いました。あなたもこれに近い感覚はあったりするかなぁと考えています。でも、親の暴力を子どもが「止めなきゃ行けない・止められなかった」となるのはなんだか変じゃないかと思います。暴力を振るう人がやめる必要があるのに、なぜあなたが罪悪感を味わって、そんな風に考えさせられてしまうのか、違和感があります。怖いですし、立ち向かえないと思いました。そして「あなたが立ち向かうべき!」なことではないと思いました。この現状に対して頼る人がいない、どこに頼っていいかわからない…というのも、私はこの社会に対してモヤモヤと苦しさがある部分です。
自分を助けてくれる人格に感謝してるという言葉が印象的でした。その別人格とあなたの信頼関係を感じ取ったような気がしたからかもしれません。またいつでもここで、あなたのことを教えてください。

感想2

体調が悪くて保健室に行くことも、弟を助けられず無力さを感じることも、あまりにつらい状況にある時に別人格が誕生することも、どれも自然な心の動きや、働きだと私は思いました。どれもそれだけあなたが辛い環境や状況があるサインだとも思います。そのサインをサインとして「ふつう」に受け取れず、おかしなものと捉えたり、めんどくさそうにしてしまう、そんな社会や大人に問題・課題があるのだと感じました。健康で目立つものがないことに越したことはないのかもしれないけれど、そうじゃないものに対する社会の優しくない眼差しが、苦しみを強化する要因になっている…そう思わずにいられず、「ふつうの人になりたい」という言葉を書いたあなたの心境を考え、勝手に切ない気持ちになりました。それと同時に、SOSのサインとして当たり前に、そしてふつうに受け取られる社会にするためにはどうしたらいいのだろうと考えさせられています。投稿ありがとうございました。

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