経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

過去の経験に今の行動を支配される

 こちらのサイトのセルフチェックは願望・欲求の度合いとハードルを越えるための力を数値化するという考え方が自分にとってわかりやすく、漠然としたつらさを分解する良い助けになりました。特に傷つき体験から抜け出したいという数値がいつも高く出ます。人生前半で傷ついた経験として思い当たることが二つあります。
 一つは父親の存在です。私や弟妹が小さい頃から、父は威圧的な言動や不機嫌アピールをよくしていました。子どもの頃は強い口調で言われるとこの人が正しくて自分が間違っているんだと無条件に思ってしまい、疑うこともありませんでした。機嫌が悪いと物を投げたり壁や建具を壊したり、自室にこもって子どもの呼びかけも無視したりすること、しかもそれを他の家族から「あんたのせいでお父さんの機嫌が悪くなった」というように責められることもあるのが本当に辛かったです。父が帰宅してくるときの車の音にもおびえるくらい怖い存在でしたが、自分が迷惑をかけているのだから仕方ないと考えていました。
 当時はそういう考え方で当たり前に受け入れていましたが、大人になって振り返ってみると、父の対人コミュニケーションは見下すか見下されるか、その2種類しかないようでした。私が親に普通に褒めてほしいと思う時でも、「お前は自分がそんなに素晴らしいと思ってるのか」「こんなのが面白いのか」「何か精神的に問題があるんじゃないか」などと言われたのが記憶に残っています。また、学歴コンプレックスが大きいようで、私たちきょうだいや同級生の志望校をランク付けして比較したりこき下ろしたり、自分の職場の同僚のことも「あいつは⚪︎⚪︎大だから〜」などと見下すような言い方をするので子どもの頃の自分は進学に対して強いプレッシャーを感じていました。
 もう一つ、今の自分の思考や行動に影響を与えたと思うのが、中学の時から20歳くらいにかけて精神的に不安定な同級生に依存されていたことです。
 自殺予告のメールが何度も送られてきたりして本気で悩みました。もともと私以外にも彼女に構う友達はいたのですが、仲良くなるとどんどん依存的・高圧的になって無茶な要求や試し行為をしてくるのでみんな離れていきました。そのせいで余計に私が助けないといけないと思い込み、共依存のような状態だったと思います。このことも父の影響で、強く言われると萎縮して相手が正しいと思ってしまう癖があり、相手の機嫌を損ねないよう振る舞ってしまうという考え方や行動パターンがあったからだと思っています。
 長くなってしまいましたが、今は実家を出て10年以上経ち、同級生とも連絡を絶っています。
 世間一般でいう良い大学、良い会社に入ることができ、学費や学生時代の生活費は半分以上親に出してもらって経済的な苦労はしませんでした。そういう意味では良い親であり、育ててもらった恩があるのは間違いないと思っています。だからすごく恵まれた境遇と言って良いはずなのに、私が勝手に怖がってプレッシャーを感じて自分でトラウマを作り出してしまったのかなと虚しく思うのです。
 今でも高圧的な上司や取引先に対しては萎縮して思考停止してしまい、普通のこともできなくなります。怖いと思った相手にはとにかくコミュニケーションを避けてしまい、それで連絡ミスが起こったりして何度も大きな失敗をしています。そのたびに父のことを思い出し、また、普段から些細なことでも自分で決断する時には「これを選んだらお父さんになんて言われるかな」と考えてしまいます。今の環境に感謝して満足していると言い切れたらいいと思うのに傷ついた経験が過去のこととして割り切れず、どう折り合いをつけて生きていったらいいのか分かりません。
 最後に、またこのサイトの感想になりますが、このように長い文章を時間かけてまとめたのを読んでもらえる機会はあまりなく、とても有り難くおもっています。今の世の中「死にたい」などとネット検索すると詳しい解説情報より先に電話やLINEの相談窓口がたくさん出てきます。切羽詰まっている人を助けるためにそういうものは絶対必要ですが、リアルタイムのやりとりは苦手と感じる人も多いと思います。時間をかけてセルフチェックの解説を読んで自分のことを理解し、じっくり考えをまとめたいという人にとってはここの形式が本当に合っていると感じました。ありがとうございます。

感想1

「漠然としたつらさを分解する」のにつらチェックを活用してくれていたのですね。私自身の経験からも、つらさや希死念慮などの感覚を自分だけで分解するのはかなり難しいと感じていて、自分でもつらチェックを思い出してはやってみるのを繰り返しています。その時々で数値が変化する部分もあり、自分の認識の変化に触れる機会になったりもしています。そんなこともあり、死にトリの活用仲間だ、という気持ちになりながら、あなたの経験談を読みました。そのため、自分語りの成分がとても多くなってしまったことを、先にお詫びします。

自分の記憶や感情、思いや認識などを振り返り、その中での実感としての「過去の経験に今の行動を支配される」というタイトルなのだろうと思いました。
幼少期からの父親の影響の中で、あなたはその環境を生き延びるための思考方法や行動方法をたくさん学ばねばならなかったのだろうと思います。他者の、しかも自分より強い相手の「機嫌」を観察し、それに合わせて振る舞うことは、あなた自身の感覚や考えを押し込むことにもなると思いますし、「自分は自分」という感覚を育むのも難しかっただろうと思いました。同級生からの依存、あるいは共依存的な関係は、あなたの家庭環境でのことを読むと、たしかに行動パターンの中で作られていった部分もあるのかもしれないと思いました。もちろん、それはあなたが悪いということではなく、(もっと言うのであれば、その同級生の方が悪いということでもなく)なにか問題が生じた時に、問題や場所、出来事や人などから上手に距離をとる練習をさせてもらいづらい社会環境の問題だと感じました。
家庭環境も含め、この社会では自己責任論的な感覚や、孤立したまま生きることを強いられることがとても多いと思っています。その中で、依存先が少ないことにより、より支配や暴力的な関係から逃れづらくなることがあるように感じます。

金銭面での支援はたしかにお金中心になってしまっているこの世の中で重要な要素の一つですが、子どもが健康に安心して育つためには、心理的安全性が何よりもまず基盤として必要だと思います。「恵まれた」部分があることの自覚も確かに重要だとは思いつつ、だからといって全てを帳消しにしようとしたり、そうできないときに自分を責めたりしなくていいと私は思います。と言いつつ、私も「金銭的支援をしてもらったし、いいところもあったはずなのに、この程度で家庭環境がつらかったと言ってはいけない」と思っていた時期がかなりあるので、勝手にシンパシーを感じています。

私も幼少期からの父親のモラルハラスメント的な言動や行動の中で、大人になった今でも怒鳴り声や高圧的な態度などには「萎縮して思考停止」してしまうので、この部分もすごく共感しました。
私はその中で仕事もすぐに辞めてしまう生活を続けてきて、今は基本的にあまり人と合わないリモートワークに落ち着いています。(それでも「怖い」スイッチが入るとどうしても逃げてしまうので、逃げても大丈夫なように、複数の仕事をしています。)
萎縮した状況で「普通のこともできなく」なるのは私の感覚では至極当然だし、むしろ、ショック状態のときにあなたが「普通」を求められず、ゆっくり休めるといいのに……と思いました。といっても働いていると簡単ではないことも多いでしょうし、前提を共有することも難しいことは多いと思います。よく知りもしないですみません。「どう折り合いをつけて生きていったらいいのか」と書いてあり、どうしたらいいのかな、と読み直しながら考えていました。私もとくに割り切れないまま、だけどちょっと記憶と距離を置けたかなと思う瞬間があったり、でも「怖い」モードに入ったら変わらない自分に絶望的になったり……を繰り返しているまま30代になりました。一進一退というか、ぐるぐるという感じですが、まったく変化がないわけでもないような気もしたりしています。
あなたの経験談は経験談でありながら、このサイトへのフィードバックであり、感想なので、私が書いているこれは感想への感想(?)でもあるんだなと思いました。あなたの経験と感想を読んで、難しい状況が魔法のように解決はしないとしても、こうやって言葉を交わしたり、自分の状況を確認したり、認識をすこしずつほどきながら、そして困難と課題のたくさんある社会環境をすこしずつでも変えていきながら、生きていきたいなぁと思いました。
またこれからも死にトリに参加してくれるとうれしいです。投稿ありがとうございました。

感想2

つらチェックを利用して下さったのですね。感想ありがとうございます。死にトリに関わっている私たちもお互いにやってみたことがあるのですが、それぞれ結果が違っていて、興味深いなぁと思っていたことを思い出しました。

父親について「威圧的な言動や不機嫌アピールをよくしていました」と書かれていましたが、親の言葉や態度、特に暴力や抑圧が子どもにどれだけの影響を与えるか、その深さをしみじみと感じています。当時はとても怖かったと思いますし、幼い子どもからすれば、変だと思ったとしても反抗するのはさらに恐ろしいことでもあって、顔色を伺いながらただただ耐え凌ぐしかない時間だったのではないかと想像しています。それだけでもなかなかのダメージなのに、他の家族から心無い言葉で責められるのはさらにしんどいことだと感じました。
大の大人が自分以外の人間と「見下すか、見下されるか」という関係性でしか関われないことも、同じ大人としてなかなか恐ろしいことだと感じましたが、あなたが長い間父親の価値観に翻弄されながら、何度も傷ついては苦悩してきたことを感じています。
友人との関係でも、振り返ってみると父親との関係に影響を受けたであろう部分があったのですかね。タイトルにもありますが、積み重なった経験に影響を受ける感じ方や考え方、それらを起点にする行動は、頭では分かっていてもそう簡単に変えることのできない難しさがあるように思っています。

現在も、父親を思い起こさせるような人物とのやりとりがあると、当時の恐怖や不安がこみ上がってくる瞬間があるのですかね。本音では関わりたくないと思っていても、関わらざるを得ない場面もあるように思います。
「怖いと思った相手にはとにかくコミュニケーションを避けてしまう」との部分は、お返事を書いている私も思い当たる節があり、「あ、もうダメかもしれない」と心のシャッターが降りてしまうといくら頑張っても挽回できず、逃げるように転職したこともしばしば・・。
文章から、萎縮して思考停止状態になるご自身のことを責めているように感じましたが、それは父親の言葉や態度から自分を守るための、あなたが生き延びるための術でもあるように私は感じました。人間は緊張が高まると防衛反応が働き、脳の中で次の行動を判断する主導権が前頭前野(=記憶や感情をコントロールする部位)から皮質下領域など(=原始的な機能を司る部位)にバトンタッチされるそうです。書いていて「じゃあどうすればいいんだ・・」と自分の中でツッコミが入っていますが、すぐに答えは出ないものの、身体化された支配をどう手放していくか、一緒に考えてみたいなという思いが湧いています。

死にトリへの感想もありがとうございます。こうしてフィードバックを貰えることは、私たちの励みにもなっています。
これだけの大変な経験をこうして綴るに至るまで、何度も自分に起こったことと向き合う時間を重ねてきたのではないかと感じています。こうしてやりとりをすることが、あなたの中にある苦しさ、私の中にある苦しさ、引いてはみんなの中にある苦しさについて、少し立ち止まって何が起こっているのか考えてみる機会になっていたらいいなと思っています。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。

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