経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
“普通”の人の幸せ、私も欲しかったな。
希死念慮はいつからあるんだろうか。小学校からだろうか?
小4の頃、遠足にて。
特に仲も悪くなかった男子1人女子2人に、いきなり自分の気にしている所をイジられたんですよ。
でもその場では言い返せなくて、後から怒りが沸いてきて、水路の水みたいなのを蹴って掛けたんですよ。
そしたら「サイテー」って言われて。水を掛けたのは悪かったと思います。
その後、遠足のご飯も一人で食べて、前の日は凄く楽しみだったのに。
ふさぎ込む暗い性格は、そこで形成されたんでしょうね。
嫌なこと言われて言い返せなかった。元々弱かったんです。
中学受験をして、遠くの地へ行きました。
あと何回登校したら小学校離れられるかなって、日数計算してたのを覚えています。
中学は部活に入ってたけど、言い返せない弱気なところを見抜かれて、同級生に蔑ろにされました。
嫌だから中2で辞めてしまいました。逃げ癖付いちゃいました。
部活辞めた瞬間、心が晴れました。やっと解放されたんだって。
でもコミュニティに所属するのに嫌な思い出が付いてしまいました。
高校はエスカレーター式で、部活の嫌な同級生もいたので、居心地は良くなかったです。
大学もサークルに入らなかった。対人恐怖症かもしれなかったです。
人を信頼するのに高いハードルがあった。恋愛したかったなぁ。
でも漠然と死にたいと思っていたから、そんなの夢のまた夢です。
就活も投げてました。死にたいと思ってたから。卒業はできたけど、1年無職です。
でも親に申し訳なくて、なんとか既卒で取ってもらいました。
最初の会社では、特定の人から標的にされました。やっぱり弱そうだから?
それが決め手で、適応障害になってしまいました。
休職して辞めて、また1年無職して、どうにか人様に誇れる職業に就くことができました。
転職先はこれまでの環境とはうって変わって、尊敬できる人が沢山いるような場所でした。
特に一緒に仕事をする先輩の存在が大きかった。
そこで働き始めて、大袈裟かもしれないけど、灰色だった私の世界に初めて色が付いたんです。
私の本来の力を発揮できる場所。本気で前向きに仕事に取り組めました。
その時、ずっと付いてきていた死にたいは一瞬どこかに行った。
でも、ふと周りを見ると皆結婚している。
あ、やっぱり私は普通じゃないんだなって思いました。
人生で初めて好きになったあの先輩は、出会った時に手に指輪をしていました。
その気持ちに気付いた時、死にたいが舞い戻ってきました。
出勤してる時に泣いたこともあります。相手の旦那には嫉妬を覚えました。
私の人生はずっと死にたい。消えたい。もう30を超えました。
弱気で他人に強く出れない男。恋愛もしたことがない男。傷付くのを恐れてる男。希死念慮がある弱い男。自分を好きになれない男。
誰が好きになるというんですか?
人並みに恋愛をしたかったって、贅沢な悩みですよね。
普通の人が羨ましい。あの悩んでた過去に戻りたい。
卑屈な考えをしている自分が一番嫌いです。
誰かを大切に想うことができて、誰かの大切な人になりたかったな。
自分の人生も投げ出してるのに、他人の人生なんか背負えないかな。
休みの日に外に出るのが辛いです。幸せがそこかしこにあるから。
この前も、外出先で泣いてしまいました。美味しいものを食べてたはずなのに。
私は人を妬んで羨んで、死ぬこともできない。
長くなってしまい申し訳ありません。
何を書こうと、結論は全て自分が悪いに行き着いてしまう。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
文章を読んで、あなたがこれまで人間関係でたくさんの苦労を重ねてきたことを感じました。
幼い頃からずっと死にたい気持ちがあるとのことですが、集団や社会の中で自分の存在を脅かされるような経験が続けば、そう感じてしまうのも無理のないことだと思っています。
楽しみにしていた遠足がつらい思い出になってしまったことは、今も抱える生きづらさの原体験になる出来事だったのかなと感じました。
当時は悔しさをお腹の奥にぐっと押し込んで、長い一日を過ごしたのだろうかと想像しています。
突然自分のコンプレックスをからかいの対象にされるのは傷つくことですし、自分に置き換えてみても、その場で言葉が出てこないのは当然のことだと私は感じました。
なので、言い返せなかったことがあなたの弱さに帰結してしまうことは、私としては違うんじゃないかと思うとの言葉が喉元まで差し掛かっています。一方で、自分を責めるしか苦しさの置き場所がなかったと考えると、あなたにとっては歯の浮くようなセリフにしか聞こえないかもしれない・・とも思って、もどかしい気持ちでいます。
続く中学、高校、大学も人間関係で悩むことが多かったようですが、いずれも集団生活の中で、自分の居場所を探し続けながら、なんとか生き延びてきたのではないかと感じました。「人を信頼するのに高いハードルがあった」と書かれていましたが、この頃あなたにとって他者は恐ろしいものであり、心の底では安心や安全なつながりを求めながらも、身体は拒否反応を示すようなダブルバインド状態だったのではないかと想像しています。
(違ったことを言っていたらすみません)
他者や世界に対する不信感を抱いたまま、社会に出てからも苦悩が続く中で、紆余曲折の末にご自身の力を発揮できる環境や安心して付き合える人々に出会えたことは、あなたが自分の力でもって掴んだ居場所なのだと感じました。
死にたい気持ちが一瞬どこかへ行ったとのことでしたが、つらい思い出しかなかった外側の世界で、ようやく自分自身の手応えのようなものを感じられた瞬間だったのではないかと想像しています。
今もなおご自身を責める言葉に苛まれている様子には勝手ながら心配になってしまいますが、私にはあなたが弱い人だとは思えませんでした。自分の経験を意味付けしようとする時、特に男性は「男の子は強くあれ」というメッセージを周囲から無意識の内に向けられることも多く、社会が作った物差しとのギャップに苦しんでいるということでもあるのかなと考えています。
恋愛や結婚もまた、「普通」や「当たり前」と言われてしまう社会規範の影響を受けながら、他者と比較しているようで実は世の中が勝手に作り上げたイメージと比べているのかもしれない・・と、そんなことが頭に浮かんでいます。
葛藤はそう簡単に拭えないものかもしれませんが、お返事を書いている私もまた、ままならない苦しさに連なっていきたいです。
ここでは、死にたい気持ちを通じて共通の言語で話せたり、何かしら分かち合えるものがあるんじゃないかと思っています。
またよかったらお話を聞かせて下さい。
お返事1
この経験談を書いた時、布団の中で過去を思い出し、とても辛かったのを覚えています。
最初、お二人の感想を読んだ時、恥ずかしながら涙が出てきてしまいました。
自分の感情なのにハッキリとは言えないのですが、それは悲しいから出る涙とは違う。
救われたという意味に近い涙だと思います。
落ち着いてから何度も読み返しています。
経験豊富でとても思慮深い方々に、読んでいただき、とても嬉しかったです。
私自身、自分の経験談に基づくカウンセリングというのはあまり受けたことはないのですが、その必要性について実感することができました。
いただいた内容について、ハッとさせられることばかりでした。的外れな内容ではないです。
いつの間にか自分を否定し虐めることが日課になっていたことに気付きました。
大切なこと、楽しむこと、見失っていました。
私は弱くはない、と、お二人ともそのように書いていただきました。
今の立場は「たまたま運が良かっただけ」と思っていたのです。
でも見方を変えれば、誰かに流されるのでなく「私自身が選んで来た道」。
そこで今、誇りを持って働くことができているのは、わたし自身の価値なのだと。
自分を少しでも大切に思えるように。自分自身を尊敬できるように。他人と比較しないように。
難しいですが、意識すれば変えられるかもしれません。
私の人生は、少しずつ晴れの良い方向に向かっているのかな、と。過去を振り返れば、そんな気がしてきました。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
文章を読んで、あなたがこれまで人間関係でたくさんの苦労を重ねてきたことを感じました。
幼い頃からずっと死にたい気持ちがあるとのことですが、集団や社会の中で自分の存在を脅かされるような経験が続けば、そう感じてしまうのも無理のないことだと思っています。
楽しみにしていた遠足がつらい思い出になってしまったことは、今も抱える生きづらさの原体験になる出来事だったのかなと感じました。
当時は悔しさをお腹の奥にぐっと押し込んで、長い一日を過ごしたのだろうかと想像しています。
突然自分のコンプレックスをからかいの対象にされるのは傷つくことですし、自分に置き換えてみても、その場で言葉が出てこないのは当然のことだと私は感じました。
なので、言い返せなかったことがあなたの弱さに帰結してしまうことは、私としては違うんじゃないかと思うとの言葉が喉元まで差し掛かっています。一方で、自分を責めるしか苦しさの置き場所がなかったと考えると、あなたにとっては歯の浮くようなセリフにしか聞こえないかもしれない・・とも思って、もどかしい気持ちでいます。
続く中学、高校、大学も人間関係で悩むことが多かったようですが、いずれも集団生活の中で、自分の居場所を探し続けながら、なんとか生き延びてきたのではないかと感じました。「人を信頼するのに高いハードルがあった」と書かれていましたが、この頃あなたにとって他者は恐ろしいものであり、心の底では安心や安全なつながりを求めながらも、身体は拒否反応を示すようなダブルバインド状態だったのではないかと想像しています。
(違ったことを言っていたらすみません)
他者や世界に対する不信感を抱いたまま、社会に出てからも苦悩が続く中で、紆余曲折の末にご自身の力を発揮できる環境や安心して付き合える人々に出会えたことは、あなたが自分の力でもって掴んだ居場所なのだと感じました。
死にたい気持ちが一瞬どこかへ行ったとのことでしたが、つらい思い出しかなかった外側の世界で、ようやく自分自身の手応えのようなものを感じられた瞬間だったのではないかと想像しています。
今もなおご自身を責める言葉に苛まれている様子には勝手ながら心配になってしまいますが、私にはあなたが弱い人だとは思えませんでした。自分の経験を意味付けしようとする時、特に男性は「男の子は強くあれ」というメッセージを周囲から無意識の内に向けられることも多く、社会が作った物差しとのギャップに苦しんでいるということでもあるのかなと考えています。
恋愛や結婚もまた、「普通」や「当たり前」と言われてしまう社会規範の影響を受けながら、他者と比較しているようで実は世の中が勝手に作り上げたイメージと比べているのかもしれない・・と、そんなことが頭に浮かんでいます。
葛藤はそう簡単に拭えないものかもしれませんが、お返事を書いている私もまた、ままならない苦しさに連なっていきたいです。
ここでは、死にたい気持ちを通じて共通の言語で話せたり、何かしら分かち合えるものがあるんじゃないかと思っています。
またよかったらお話を聞かせて下さい。