私は現在、短期大学に通っていて編入学を目指しています。高校の教員になりたいという夢があるからです。そのために、今から必死に勉強しなければなりません。ですが、現状は出来ていません。この道に進んできたのが正解だったのかよく分かりません。私は、高校時代の受験生の時も努力出来ませんでした。高校3年生の春頃、すでに受験に対する焦りと不安を感じていました。そのため、この頃は勉強していました。ですが、今まで勉強習慣があった訳じゃない私はその数日の追い込みで辛くなり、一気に勉強に対する意欲がなくなってしまいました。
そこからは現実逃避ばかりしていました。新しく好きになったアーティストの曲を聴いたり、SNSをチェックしたり、絵を描いたり。今思えば、ありえない生活です。ですがきっとその頃の私にはそれが精一杯だったような気もします。何かに縋りたかった。ただそれだけだったんだと思います。勿論、そんな生活も長くは続きません。受験が近づくにつれて受験モードに周りが、学校がなっていくからです。私も学校では頑張っていました。おそらく、きちんと勉強している人に見えたと思います。ですがそれは建前です。家では出来てないのです。勉強時間は足りていません。結果、推薦入試では合格できず、共通テストでも点数が足りず、目指していた大学の出願自体をせず、今の短大を受験し、合格して今に至ります。短大行けたんだからいいじゃないか。そう思われるかもしれません。私も進学した時は第一希望ではないしという想いがありました。ですが、授業を受けていくうちに楽しいって思いました。改めて、自分が本当に勉強したいことは何なのか考えて勉強出来るのでよかったと思いました。そんな生活もあっという間に過ぎ去り今に至ります。再び、進路という人生選択の岐路に立たされています。私は冒頭でも述べた通り高校の教員になりたいと思っています。そのためには、4年生の大学に進学する必要があります。編入学できる大学が全くないのかというとそういう訳ではありません。ですが、私がやりたいことをやれる大学は限られます。尚更、進路選択に迷います。そして、私の家は私の下に弟と妹がいて3人兄弟です。まだまだお金がかかります。私はというと、現在は国公立なのでマシな方ですが、高校は私立でした。散々、医療費もかけてきました。兄弟の中で1番金を使わせていると思います。その申し訳なさもありますし、家はそこまでお金に余裕がある訳ではないことも分かっています。だから、私立大学には行ける訳ないことくらい分かっています。高校時代に私立大学の話を出した時、親にいい顔はされませんでした。私はそこで察して国公立に絞りました。今も一緒です。その時の経験があったのでダメだろうとは分かっていました。ですが、この前、ダメ元でもう一度聞いてみました。同じような予想通りの反応しか返ってきませんでした。やっぱり国公立しか無い。そう思いました。これが人生の中で最後の人生を変える選択だから頑張ろう。そう思う時もあります。やる気に満ち溢れて現状を変えようとして勉強に取り組むこともあります。ですが、それは一瞬です。また、勉強に取り組まない日々が続いています。そんな自分に自己嫌悪。できない自分。自分で自分の能力を潰している状況に嫌気しか刺しません。ここ最近はそんな自分の現状と進路のことをずっと考えています。短大で中学の免許は取れるので採用試験を受ければ働けます。自立してもうお金のことは考えなくて済みます。いっそのこと、そうしてしまおうかと思ったこともありました。そうしたら、お金のことを考えなくていいし、通信の大学で高校の免許が取れない訳では無いからです。ですが、その選択をした際、高校の教員として実際に働けるのは編入学してから高校の教員になるのとでは差があります。それを踏まえてみて、考えてみた時にそれは嫌だしまだ勉強したい。そう思ったんです。じゃあ、やるしか無いじゃないか。本当にその通りです。でも、できていないんです。何が不安なのか、嫌なのか結局同じように現実逃避することしか出来ていません。そんな自分が本当に嫌です。誰かに気持ちを全てを吐き出したい。そう思いますがそんなことを吐き出せる人は周りにいません。そして、全てを吐き出したら自分が壊れてしまいそうな気もしています。何かしらの方法でどうにかして自分を保つことしか出来ないのです。日に日に努力出来なくなって、自分自身を諦めることばかりが増えてそんな自分の変わりように失望しています。自分、おかしくなったかなとも思っています。自分がよく分からないし、現状は、辛いし、頼れる人はいないし。そんな思いで今回書きました。ここに最終的に何が書きたかったのか書いてるうちに忘れてしまって支離滅裂な文章ですが書きたいことは大体は書いたつもりです。何で、人生ってこんなに大変なんでしょうね。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分が嫌い
感想2
自分の状況や行動に対しての焦りや、もどかしさ、やるせなさみたいな感覚を想像しながら読ませていただきました。目標の為に努力できる自分になりたい気持ちも、努力することから逃れたい気持ちも、相反するようだけれど確かに共存することがある思いだと、私は感じています。
というのも、私自身、高校受験、大学受験のタイミングで抱いた目標(志望校)に対する自分の意思と行動が連動しないことを、どう取り扱っていいかわからない時期がありました。「あの学校に行きたい」「頑張りたい」という気持ちは確かにあったし、「どうして行きたいのか」を詳細に言語化して、自分を鼓舞しました。が、結果的には塾も参考書もほとんど活用せず、家でも全然勉強をしない…という生活を続けました。私は今どうにか社会人をやっていて、渦中にいる投稿者さんに対して「わかります」というのはちょっと違うかなと思いつつ、それでもどこか似たような経験をしているように捉えています。
当時を振り返って理由を考えてみると、やはり私も「現実逃避」をしていたのかも、と思います。でも同時に、「どうして現実逃避したくなる(なった)のだろう?」とも思います。
私の場合は、「努力が報われると思えなかったから」というのが大きかったように感じています。やってみたらできるかも、と思えなかったし、できない自分を知るのが怖いという感覚もあったような…。投稿者さんが逃避したい「現実(だと自分が感じていること)」はどんなものなのか、一緒に考えてみたいなとも勝手ながら思いました。
そして、投稿者さんの今の状況や周りの環境をイメージすると、「やりたい」よりも「やらなきゃいけない」と思うような要素が多いのかなとも想像しました。短大を卒業するタイミングで次の進路を決めなきゃ、私立じゃなく国公立に行かなきゃ、自分がしっかりしなきゃ、などなど…。どれも「仕方のないこと」といえばそれまでですが、一方でもう少しゆとりのある、道草しやすい社会だったら、1つ1つの選択と自己評価がこんなに直結しなくて済むのかもしれないなと考える私もいます。何より、そうしたいろんな要素から引き出されるネガティブな感情は、自分が思う以上に自分のキャパを占拠すると思うので、投稿者さんはシンプルに今とても疲れ果ててしまっているのかも…とも感じました。
気持ちをありのまま吐き出すことにも、そこに含まれている見たくない現実を言語化する怖さ、一度自分で立ち止まる勇気など、いろんなエネルギーが必要になる気がします。投稿者さんのペースやタイミングに沿うようであれば、また死にトリを訪れてみてください。
改めて、投稿ありがとうございました。
お返事1
ご感想ありがとうございます。
自分の言うことを聞かない自分が嫌だというところは読んでそうかもしれないと思いました。
また、現実逃避してしまう理由に努力が報われると思えないことは私もそうかもしれないと思いました。特に、資格と違ってこの参考書をやれば完璧ということはなく、どの参考書を使ってどう勉強するかもその人次第みたいな終わりがなく、ある意味自由なところも自分を追い込んでいるのかなと思いました。
経験談を記入した後、数日頑張れたのですが再び頑張れない日々が続いています。
感想を受け、新たな気づきとも出会ったのでそれらを踏まえて改めて少しずつ自分と向き合いながら勉強量を少しずつ増やしていきたいなと思いました。
感想1
投稿ありがとうございます。
私も、高校受験、大学受験、大学院受験…といろいろ入学試験を受け人生の岐路に立ち、その度に学費にも悩まされたりしてきたので、少し気持ちが分かるような気がしました。
勉強に限らず、「しようと思っているのにできない」つらさは、結構苦しいと私は感じています。頑張ることも大変なんですが、「頑張れないこと」の方がもっと気持ちが苦しいような感覚があります。また、「これが人生の中で最後の人生を変える選択だから頑張ろう」という決意は、自分を奮い立たせてくれる時もあるけれど、プレッシャーになって自分を追い詰めてしまうことも、私はありました。
「頑張ろう」とやる気を出し、気持ちの面で自分を追い込み、でもやっぱりできなくて、頑張れなくて…というのを何度も繰り返してきましたが、今振り返って言葉にしてみると、「自分が言うことを聞かない感じ」がつらかったかもしれない…と思ってます。
私は、やろうと頭では決めたのに、実際には頑張れない、まさに「自分の言うことを聞かない自分」というギャップで、自分が嫌いになっていったように思うのですが、投稿者さんの「自分が嫌い」も同じような感覚なのかなと思いました。
そこにさらに学費というプレッシャーも加わり、追い込まれてしまっている状況なのでしょうか。兄弟の1番上として、今までお金をかけてもらってきた身として、その申し訳なさというのも理解できます。誰が悪いというわけではありませんが、そのような事情がある中で選択肢が狭くなっていることも、意識せずとも「やるしかない」という心の余裕のなさにつながっているのではないかと思いました。
それでもできないというのが、本当に苦しいのだと感じます。こんなに頑張らなければならない状況なのに、それでもできないというのが、投稿者さんの頭と気持ちの間で葛藤になり、本当に苦しいのだと感じます。そして、「全てを吐き出したら自分が壊れてしまいそうな気もしている」というのは、そんな自分を抱えきれなくなってしまうかもしれない怖さがあるのかなと想像しました。
こういう現状で、「何かしらの方法でどうにかして自分を保つこと」って私はすごく大事だと思います。余暇も、このように気持ちを吐き出すことも「頼ること」として大事だと思っていますし、そういう場として死にトリが役に立つのなら、また書きにきてくれたらと思っています。
「何で、人生ってこんなに大変なんでしょうね」という投稿者さんの気持ちに大共感を示し、感想を終えたいと思います。ありがとうございました。