経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の人生ってなんだろう

私は今で言う、いわゆる毒親の元で育ちました。
両親、私、妹の4人家族です。
両親とも家に帰ったらすぐにそれぞれお酒を飲み、常にアルコールが入った状態。
父は自室でタバコとお酒を飲んで、下に降りてくるのは晩御飯の時くらい、母はご飯の準備などをしながらのキッチンドリンカーでした。
そして、晩御飯は両親の怒鳴り合いの喧嘩の中での食事でした。
私は恐怖ですぐに部屋に引きこもっていましたが、それも癪に触る母親からは何かと呼び出されて、「何もかも家事は私に任せて、私はあんた達の家政婦じゃない!」と常に怒鳴られ、色々なことを理由に怒られ怒鳴られ叩かれたり、身近にあったリュックで殴られたり、ひどい時は季節を問わずに家を追い出されたりしてきました。
その為か、周囲の人の顔色を伺いながら過ごすのが自然になりました。自己主張はせず、周りの望むような反応をする、我儘を言わない、それが子供の私にできる唯一のことでした。

母は「鬱は甘え」と言う考えだったのですが、リストカットや希死念慮が消えず、私はこっそり心療内科に通っていました。
すぐに「鬱」と診断されました。
しかし親には言えず、服薬で落ち着かせることしかできませんでした。

大学卒業後の新卒で入ったIT企業は、総合職で入りましたが、なかなか環境に馴染めず、とうとうパニック障害を起こしてしまい、救急車で運ばれました。
それからは就労移行支援事業所などに通い、手帳も取得し障害者雇用で働くことになりました。

そして現在、就労移行支援事業所で一緒だった人と結婚をして生活をしていますが、彼は鬱に加えてASDという発達障害も持ち合わせていました。
そして、結婚前から数百万円の借金も抱えていました。趣味の物やゲーム課金などに使っていたそうです。
発覚したのは相手の実家に届いたハガキを偶然親が開封してしまった為で、その後も本人から謝られることはありませんでした。プライドが邪魔したのでしょう。

とても障害者雇用ではすぐに返せる金額ではなく、自己破産をすることになりました。

全てのことに関連しますが、自分が言われて気まずいこと(借金の件など)、嫌な気分になること、しんどい事があると物凄くイライラし出して、家の中の居心地がとても悪くなります。
私もメンタルが不安定な為、居た堪れず外に逃げたくなりますが、お金に余裕はなく簡単に外に出ることができません。

ASDについて本人にも理解してもらおうと、私も含めて講演会や本を借りてきて話し合いを心掛けていますが、
「自分はこういう特性があるからあなたにもこうしてもらいたいけど、自分もこういう努力をする」
ではなく、
「自分はこういうところが当てはまるからこうして欲しい」
と言われました。

私が不安定な状態の時でも常に相手の空気を読み、家でも息を潜めて暮らしているのがとても辛いです。
離婚は嫌だそうです。
でも相手の機嫌が悪い時は部屋のスライドドア完全にシャットダウンされ、そこにいるのを否定されているようです。

何度か自殺を試みたことがあります。
残念ながら死ぬことはできませんでした。
簡単にいなくなってしまえればいいのにと毎日思っています。

感想1

読ませていただきました。
ご両親との関係では、自分の力が及ばない相手を前に、常に様子をうかがいながら過ごすしかなかった幼少期の生活が伝わってきました。
自分の意見を言うのも、まわりの反応を気にしない無邪気な振る舞いも、我儘も、子供ならば本来あって当然のことが許されてこなかったこと、母親から理不尽に怒られたり叩かれたりしてきたこと。子どもはただでさえ大人より力がないのに、子ども時代の投稿者さんにとっては、無力感を感じ続けた幼少期だったのではないかと想像します。
また、現在のパートナーの方との関係でも、借金や彼の特性といった、簡単に変えることができないものを、幼少期と同じように自分を抑えて受け入れるしかない状況なんだろうかと想像しました。相手の借金といった、自分の引き起こしたことではない問題で自分の人生が揺らぐのもまた、無力感を感じる出来事だったのではないかと思います。
加えて、ASDについて彼にも理解してもらおうと一生懸命はたらきかけているのに、「自分はこういうところが当てはまるからこうして欲しい」と言われたエピソードについては驚いてしまいました。自分が変わろうとするのではなく、投稿者さんが変わることを一方的に要求されたというのには、私もやるせない気持ちになりました。これもまた、違う側面で無力感を感じさせられる体験とも言えるのでしょうか。
また、本来は安心して過ごせるはずの家庭や夫婦関係で空気を読みながらずっと暮らしてきているのは、簡単には言い表せないほどの苦しさとして、ずっしりとした重みをもって根底に広がっているのだと思います。そこに自分の力ではどうしようもできない所から人生を揺さぶられる体験が積み重なり、投稿者さんの苦しみを形作っているのではないかと感じました。
そして、ここまでを書き、投稿者さん自身も鬱を抱えながら、このようになんとか生きてきた毎日の中で、タイトルのように、ふと「自分の人生ってなんだろう」と思うとき、投稿者さんの中で「自殺を試みたくなる気持ち」が生まれるのではないかと考えました。
最後までお読みし、どこか、投稿者さんが誰の顔色をうかがうことも、息を潜めることもなく過ごせる場所ができたらと思ったのですが、今は難しいなどの事情もあるかと思います。
それでも、投稿者さんが投稿者さんらしくいられる居場所を見つけることができたらと願いますし、考えます。趣味でも、地域でも、ネットでも、どこかに息が吸いやすい場所があったらと思いますし、もし死にトリがそのような場になれるのであれば、またいつでも書きにきてください。
投稿ありがとうございました。

感想2

ただ苦しいという感情だけではなく、長い間“耐え続けること”が当たり前になってしまったことへの心の疲弊が伝わってくる感覚になりながら読ませてもらいました。幼い頃から親の顔色を伺い、自分の中に抱く思いなどは抑えながら、相手が求める振る舞いをし続ける生き方を続けてきたからこそ、今もなお、家の中で息を潜めるように暮らし、相手の機嫌に左右されながら過ごしている(過ごさざるを得ない)のだろうと想像していました。それがどれほど息苦しく、心をすり減らしてしまうか、私自身もいわゆる毒親育ちなのであなたの境遇に通ずるところがあり、なんとも胸が締め付けられるような気持ちになってしまいました。
「鬱は甘え」と言われながらも、誰にも頼れずにこっそり心療内科に通い、服薬でなんとか自分を保とうとしたのは、その時点で、もうすでに限界に近かったのではないかなと感じました。それでも大学を卒業し、働き、パニック障害で倒れながらも就労移行支援事業所に通い、障がい者雇用で仕事を続けてきたことは、環境に適応しながら、少しでも生きやすくなるようにと努力を重ねてきたように私は感じています。

結婚生活の中で直面している問題もまた、かつての家庭環境とどこか似ている部分があるように感じます。相手の顔色を伺い、相手の機嫌が悪くならないようにしながら暮らす日々…自分の気持ちや苦しさを伝えても、返ってくるのは一方的な要求ばかりで、自分の居場所がないと感じながら、それでも離婚は拒否され、そこから抜け出すことすら思うようにはできない状況は、幼少期からの積み重ねてきたものもあるとは思いますが、あなたを死に向かわせるには十分なことのようにも感じました。
子ども時代に過ごした環境は、その後の生き方や人間関係の築き方に強く影響を及ぼすものだと自分自身を振り返っても感じることです。そして、その環境を変えたくても、経済的な問題や精神的な負担によって自由が奪われてしまうことがあり、機能不全家庭で育った人などが、自分の意思で新しい人生を選び取ることが難しくなってしまうのは、決して個人の責任だけではなく、社会が十分な支援を用意できていないことやなかなか理解が及ばないところがあることも大きいのではないかと改めて考えさせられています。
また、同じようなものを抱えた人同士の関係性についても、お互いに生きづらさを抱えているからこそ、理解し合える部分もあるはずなのに、一方が一方を圧迫するような関係になってしまうことも少なくはないことも難しいところだなと思いました。「お互いに歩み寄る」のではなく、「相手に合わせることを求められる」状況では、関係はどんどん歪んでしまいますが、それでも簡単には抜け出せないのは経済的な不安、精神的な負担、そして「ここを出ても生きていけるのか」という恐怖が、その場にとどまらせるのだと思いました。
「簡単にいなくなってしまえればいいのに」という言葉にあなたのこれまで抱えてきたものの重さが伝わってきました。自分の意思で何かを選ぶことができず、ただ消えてしまえたらと願うほどに、追い詰められているその苦しさは想像以上のものだと勝手ながら感じます。
そう容易なものではないかもしれませんが、もう少しだけ「自分のために」考えてもいいのではないかと思うのですがどうでしょうか。ずっと誰かのために動き、誰かに合わせ、誰かの機嫌に怯えて生きてきたその生き方を少しずつでも変えていくことができれば、もう少し心が楽になれることもあるのかもしれないなと、理想論かもしれませんがそう思ってしまいました。支援の手を借りることも、状況を整理することも、すぐには難しいかもしれません。でも、「自分がどうしたいのか」を考えることだけは、してもいいように思います。一人では考えることも難しいというときは、匿名で相談できるSNS相談などもありますしそういったところで、いろいろな人の考えや思いを聞いて気持ちの整理をしたり、こうして死にトリに声を届けてくれたら一緒に考えたいなと思うので、活用してみてほしいです。この先、少しでもあなたがあなたのままでいられる(自分の思いを尊重できたり、主張できたりなど)場所が見つかることを願っています。経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

ご感想いただきましてありがとうございます。

今回、じっくりと自分の幼少期から現在までの事を文字に起こすことが出来、またそれを読んでいただくという機会を頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

感想1.2を読ませていただき、涙が出てしまいました。
これまで、私の実体験をしっかりとお伝えできる方(親友や仲の良い友達は状況は知っていますが)が主治医などを除いていなかった事、
特に家庭環境に関しては、どういう環境下であったとしても「それでも実の母親」と言うものに縛られ、周りの人に「実母を否定されるのを躊躇してしまう自分」がいた為、ほとんど話すことがありませんでした。

幼少期から家を出るまでを読んでくださり、心が少し軽くなったと感じています。私がダメだからじゃなかったんだ、と。

夫に関しては、ASD診断が出ていたのも、借金(仕事のストレスで後先考えず好きな物をネットショッピングで買い漁っていた)も後になってわかったのと、
また家では素の自分が出せるという甘え(本人は実家で指摘されたことがないとのことで食事のマナーから何までかなり問題があります)を、甘えとは捉えず「これが自分」と認識している為地道に話し合いをしていくしかなさそうです。

いただいた感想にありましたように、まさに、実家は怖いから関わりたくない、でも自分のお金だけでは生活できない、頼る場所もない…それなら…という気持ちです。

少し前に、生活保護ってどんな物なのだろうと制度を聞きに窓口に行ってみましたら、私の収入と夫の障害年金を合わせた時点で窓口の年配の女性の顔が険しくなり、「こんなもらってる時点で生活保護だなんて!」と半分怒鳴られるように言われてしまいました。
これからどうなるかわからないので、制度を聞きたかったと伝えても、「じゃあその時に来てください!」と言われ、動悸に襲われながら帰りました。
なかなか見通しが立ちませんが、このようにじっくりと読んでくださり、感想や共感までいただき、本当に救われました。

長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとうございます。

一覧へ戻る