僕は 小学校5年生の二学期頃に 朝、起きられなくなりました。
ただ単に、「朝が苦手」 「朝が弱い」
という訳ではなく、「体が辛い」から 起きれなくなりました。
小学校6年生になって、病院で検査をして
「起立性調節障がい」と診断されました。
診断されるまで、「起立性調節障がい 」
のことは詳しく知りませんでした。
診断された時、意外にも、驚かなかったし ショックを受けたりもありませんでした。
でも、辛いのはそれからでした。
毎日毎日、体が鉛のように重く、朝も昼も夜も 体調が悪い。
吐き気がしたり、呼吸がしにくくなったり、目眩、立ちくらみ。
僕の体はおかしくなっていきました。
外にと出られず、出かけても すぐ疲れてしまう。
何もできませんでした。
「起立性調節障がい」だけではおわりませんでした。
「低血糖」の症状がでるようになりました。
ご飯を食べたあとでも、すぐお腹が空く、
糖分がないと イライラしたりする。
まだ終わりませんでした。
「機能性低血糖」からくる 「離人症」になりました。
症状が出始めた当時、僕は小4でした。
それが「離人感」ともしらず、普通だと思って生きていました。
まだまだ終わりませんでした。
ある日を境に、「希死念慮」「自殺念慮」「自傷行為」「性別違和」
がはじまりました。
朝は起きれないし、なぜ自分が生きてるのかも この世界が本当にあるのかも分かりません。おまけに 「自分は女なんかじゃない、」と思うようになりました。
毎日毎日襲ってくる希死念慮に耐えるために 自傷行為をしはじめました。
他にも、小4〜小5辺りの 記憶が無いことに気づいたり、怒りっぽくなったり。
母に自傷行為がバレたり、
天国に行ってしまおうとしたり。
「起立性調節障がい」から負の連鎖が起きたように 思います。
今でも負の連鎖は断ち切れてないし、起立性調節障がいも離人症も希死念慮も自傷行為も。全て 何一つ終わっていません。
でも、死にたい日々で時々思うのが、「やっぱり死にたくない、死ぬのは嫌だ」ということです。
死にたい死にたい、と願う裏には 「まだ生きたい 死ぬのは怖い」っていう 言葉が隠されてる、僕の場合はそうです。(勿論、人によります。希死念慮は十人十色です)
死にたいけど、死ぬのは怖い。まだ未来を生きたい。好きなことだってまだしたい。
だけど、目の前の現実が辛い。死にたいし消えたい。
いくら 自傷をしても しのうとしても何も変わらない。
そんな自分も 大嫌い。
‘’ 死ぬ ” という覚悟の壁が高すぎて、結局目の前を生きていかなければならない。
きっと、死ぬ覚悟も何もかも捨てて、そのまま 身を投げだす方も いると思う。
その人も逃げ出したかった、消えたかった。
‘’ 死ぬ ”という覚悟を乗り越えたら、人は一瞬です。秒で消え去る事だって簡単です。
毎日死にたがって、家にひきこもって、「ああ、今日も死にたい今日もなにもできない今日も何一つ変わらない」
そんな日々が辛くて苦しくて
想像上の お友達をつくって お話したり。(約35人程のお友達がいます笑)
色々、大変だけど 残念ながら僕は ちょろいので、
‘’ 想像上のお友達 ”とか ‘’ ネット ” というものだけで 、生きる希望ができています。
ぶっちゃけ、「希望」ではないけれど、
「お友達とまだ話したい」
という願望だけで生きています笑!
(人生なんてそんなもんでいい!!)
長くなりましたが、僕は その辺の 中学生です。学校に行ってないので 知識も何も無いです笑 。
言葉遣いだって下手だし、「綺麗事かよ」って思う人もいると思います。
あくまで、僕の意見、僕が思うことです。
鵜呑みにしないで、「ふーん、そうなんだ」
くらいでいてほしいですね笑
以上、
ただの、自分の体験談と意見でした。
感想1
投稿を読ませてもらいました。これだけたくさんのことを抱えている中で、このように自分の気持ちや経験を文章にして伝えられること、そこにあなたの地力(パワー)を感じました。小学校5年生の時から体が辛くて起きられないことが続いていた中で、それが「起立性調節障がい」だったと診断されたとき、驚かなかったというのも、それまでにずっと自分の体に起きている異変を感じ続けてきたからなのだろうと感じています。
診断された後が本当にしんどかったというのがひしひしと伝わってきて、「体が鉛のように重い」「外に出られない」「吐き気」「目眩」「立ちくらみ」といった症状が続く日々は、体だけではなく心にも負担がかかっていたのではないでしょうか。そこに「低血糖」や「離人症」まで加わっていったこと、さらに「希死念慮」「自傷行為」「性別違和」という感覚が重なってきたことで、まるで負の連鎖が次々とあなたに降りかかってきたようなイメージを浮かべています。自分が自分じゃない感覚というのか、思うように動けないことも多いのかなと想像し、気持ちが死に向かってしまうのも無理もないことだと私は感じました。
死にたい気持ちと生きたい気持ちが同時に存在していること、そして「死ぬ覚悟の壁が高すぎる」という感覚は、きっとあなたが死にたい思いを持ちながらもなんとか生き抜こうとしている証拠なのだと思いました。ただ、どちらか一方だけでなく、相反する気持ちがあるからこそ、それがあなたにとって現実の辛さに繋がっているのだろうとも思います。
「想像上のお友達」や「ネット」という存在が、あなたにとって「希望」ではなくても「話したい」という理由になっていることは、とても大切なことのように感じました。希望や夢のような大きなものじゃなくても、“生きていたい理由”としてあることはとても大きなことだと思います。生きる理由って、何か特別なことじゃなくても、あなたが書いているように「お友達とまだ話したい」とか、「明日もあの人に会いたい」とか、そんな些細な理由で十分だったりするのかなと個人的にも思うところです。
「(人生なんてそんなもんでいい!!)」という言葉、この経験談を目にする人に向けて書かれたものだとは思いますが、自分自身にも言い聞かせている(心にとどめておきたい)言葉だったりするのかなと想像しています。私も死にたい気持ちを長いこと抱いているので、つい考えこみすぎてしまうことのほうが多いのですが、無理にポジティブでいなくてもいいし、大きな意味を見つけなくても良くて、ただ「今日も何とか過ごせた」「明日も何か小さなことが楽しみ」などと思えたら、それでいいんじゃないかとあなたの言葉を読んでハッとさせられました。
負の連鎖が終わっていないと感じている中で、死にたいと思いながらも生きたいと思うこと、そこにある矛盾にずっと付き合っていくことはしんどいとは思いますが、あなたが「生きたい」と思う気持ちがほんの少しでも残っている限り、その感覚を大事にしてほしいと思いました。また、あなた自身が「こうやって生きるんだ」という形を、自分のペースですでに見つけているようにも感じました。
あなたが「生きたい」と思える時間や瞬間が、これから少しでも増えていくことを勝手ながら願っています。死にトリが必要に感じられたら、またいつでも参加してください。