いつからだろうか。
社会人になって仕事が出来ないと強く感じた。同年代に比べ転職回数は多いと思う。
幼少期から両親や祖父母に要領が悪い、飲み込みが悪いと言われていた。
自覚もしている。ASD傾向の発達障がいではないかと。ただ仮に診断されても完治するものではないので、付き合い方を考えている。
治療費もかかる。
とは言え学生生活は何不自由なく非常に楽しく謳歌出来た。友達や先生に恵まれていた。
スポーツ、勉強、人並みかそれ以上は出来ていた。
社会に出てからは利害が絡んでくる。会社が儲からなければ、私たちの給料はない。
仕事をしに来ている以上、仕事が出来なければ、非難されても致し方ないのだろう。
働かねば生きてはいけない。まして私のように社会人半ばで持病を抱えたら転職も余儀なくされ、治療や通院費も必要になる。
これからも身体に負荷の無い、向かない仕事を転々としていくのだろうか。
身体的にも能力的にも私に出来る仕事を知りたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ゆるく生きたい
感想2
社会人になってから「仕事ができない」と感じ続けていること、そしてそれが幼少期からの“要領が悪い”、“飲み込みが悪い”という言葉と重なっていることが、切実に伝わってきました。その言われてきた経験が、自分の能力に対する自覚や不安につながっているところがあるのかなと想像しています。ただ、学生時代にはスポーツや勉強も人並みかそれ以上にできていたとあるので、環境や求められるスキルが違えば、あなたはしっかりと能力を発揮できるタイプなのではないかとも感じました。
「ASD傾向の発達障がいかもしれない」という自覚を持ちながら、「仮に診断されても完治するものではない」という冷静な認識を持っているところに、あなたの現実をしっかりと見つめようとする姿勢を感じています。特性に関して、確かに診断されたからといってすぐに解決するものではないこと、むしろそれをどう受け止め、どう自分の力に変えていくか(もちろん自分ひとりだけのことではなく、周囲のサポートや理解なども必要になってくるとは思いますが)が課題になる部分もあるように私は思います。それを「付き合い方を考えている」と書いているのを読んで、あなたがこれまでの経験を踏まえながら“なんとかしていこう”としているのだろうと思いました。
あくまで私の考えにはなってしまいますが、仕事ができる・できないというのは、単に「本人の能力」だけの問題ではないと思っています。向いている環境かどうか、適性やサポート体制が整っているかどうか、また周囲の理解や協力があるかどうか…そうした「働く環境」が自分に合っているかどうかで、結果は大きく変わるのではないかと思うのです。
社会には確かに適性が求められる部分があるし、合わない仕事もあります。だけど、あなただからこそ“できること”がきっとあるはずです。「身体的にも能力的にも私にできる仕事を知りたい」という言葉が、あなたがこれまで感じてきた焦りや不安を超えて「自分を理解したい」「自分に合った場所を見つけたい」という強い願いのように私は捉えました。あなたが無理をして「仕事ができるようになる」ことを目指す必要はないのかなと思いますし、あなたが「自然体で力を発揮できる場所」を探していくことができたらいいなと感じました。(そう簡単じゃないこと、理想論であることは承知の上で…)
働くことが“生きること”と直結してしまう社会の中で、あなたがどう生きていけばいいのかと考える(あなたに限ったことではなく、多くの人が直面していることだと思います。少なからず私もその一人です)のはとても自然なことだと思います。自分を理解しようとし続けているあなたが、その積み重ねの中で少しでも自分に合った居場所を見つけ、今よりは”ゆるく生きる”ができるようになれたらなと陰ながら願っています。また死にトリが必要に感じられたら、あなたにとって何か役に立ちそうならいつでも参加してください。お待ちしています。
感想1
投稿ありがとうございます。
社会人になり、訪れた苦悩の日々が文章から伝わってきました。
私は社会人になって、なかなか仕事がスムーズに出来ず転職を繰り返していたので
勝手ながら所々共感する部分も多く、「うん、うん」と頷きながら思わず読みました。
学生と社会人。何が違うか私なりに考えてみると、学生は言われたことをこなして
いれば、評価される。しかし社会人では自分で”課題”を見つけるところから始まり、そして様々な人とやり取りしながら、数学のように明確な”正解”があるわけでもないものに向かって突き進み、そして成果をあげることで初めて評価される。そういった違いがあるのかなと個人的に思いました。働くってすごく難しいです。でも働いてみないとその仕事が自分に向いているのか?いないのか?実際のところ私はわからないと思います。”転職が多い”ということは社会からはマイナスイメージの圧力がありますが、でも自分に合う仕事をじっくり見つけることも悪くはないと私は思います。でも社会の圧がすごすぎて、気にしてしまう気持ちも分かります。これは私の経験になってしまいますが、ハローワークで自分の向き不向きを知る職業適正検査を受けて、少し職探しが楽になりました。投稿者さんご自身の職業適正もきっとあるのだと思います。お話を聞かせて下さってありがとうございました。