経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

笑顔

「〇〇〇のおうちまた遊びに来てな!」
これが3歳の私が実の父に向って言った言葉である。
もうこのころからいろいろおかしかったのだろう。
私が幼稚園児だった時、父と母は毎日毎朝玄関で怒鳴り散らしながらけんかをしていた。
父はほとんど家に帰ってこない。少ししてから知ったことだが、父は浮気をしていたそうだ。
でも、母はいつも何事もなかったかのように私に接してきた。バレていないとでも、思ったのだろうか。
もちろん私は気づいていたから家族に気を遣って生活するようにしていた。
大人をだますのはちょろいもので、小さな子供が無邪気な笑顔でいれば場が和む。
勉強だって、公文を解いて掛け算くらいまでできるようになってしまえば「すごい、すごい」と言われて褒められる。
本当にちょろかった。
私には兄と姉がいるが二人は私より明らかに劣っていた。
勉強はできない。絵も私のほうが上手かった。
姉と兄は絶賛反抗期で、毎日毎日母に叱られていた。
兄が家出して、夜中まで帰ってこないこともあったし、姉が母にぼこぼこに殴られる日もあった。
母の怒鳴り声がすごすぎて警察を呼ばれたこともある。
母に「一人でお風呂入れる?」と聞かれた当時年中だった私はこれまた張り付けた笑顔で「うん!」と答えた。はっきり覚えている。
着実に親の、大人の顔色を読み、それに合わせた行動をしてきた。
でもそんな私も失敗して親の機嫌を損ねてしまうことが多々あった。
そんなときの父と母はとても怖かった。殴られんじゃないかと思ってびくびくしていた。
でもその時は幼稚園児だったので殴られはしなかった。

やがて時は経ち、私は小学生になった。
気付けば父と母は和解していて「表向きでは」仲良くなっていた。
表向きは仲が良いが、今でも母は私に父の愚痴を言ってくるし月に一度母と父はけんかをする。
引っ越しもして転校もした。
小学生になり、やらなければならないことが増えた。
それに、自分で言うのもなんだが正義感は人一倍強かったので人間関係のいざこざに巻き込まれがちだった。
特定の友達も最初は全然できなかった。
姉はまだ反抗期で、問題ばかり起こして毎日母に怒られていた。
私もいろんなことを失敗した。
幼稚園児だった時は許されたことが許されなくなって、兄や姉のように叱られ、たたかれるようになった。
家から追い出されるようになって、そのまま家に入れないことが何回もあった。
同学年の人に見られて、恥ずかしかった。
でも親は外面はよかったからはっきり言って気持ち悪かった。
普通にしんどかった。でも私はやっぱり笑っていた。
当時の私はストレスではげていたようだ。
このことに関しては全く覚えていないが、学校に提出する資料の中に母の字で明記されているのを最近見た。
しんどかったんだな、と他人事のように感じてしまう自分が情けない。

2,3年生になった時、コロナがはやり始めた。家で勉強していると母がこんなこともできないのか、といって怒ってきてとても怖かった。
4年生になったころ、リコーダーの授業が始まった。音が、辛かった。でも相談できる相手はいなかった。吐き出す相手もいなかった。
その時期にちょうどいじめも始まった。クラスのほぼ全員で集団無視、陰口悪口、遊びに誘ってはわざと約束を破って一人にさせる、など。
後ろから背中にカッターナイフをあてられたこともあった。
でも相談できる相手はいなった。
毎日毎日一人で泣いて、みんなの前では笑った。ニコニコニコニコ気持ち悪いくらい笑っていた。
マスクを外すと笑いたくないのに勝手に口角があがって笑っている。気持ち悪い人間だ。

5,6年生になってもいじめも音が辛いのも変わらなかった。もう、あきらめていた。
でも、転機が訪れた。私のほかにもう一人の女子がいじめられ始めたのだ。
人のことになると動けるからすぐに先生に言った。告げ口をするのは私ぐらいだとみんな知っていたからしばらくはいじめがひどくなった。
でもその女子のいじめの犯人は同じだったから先生に怒られて、ばれかけたのがまずいと思ったのか少し最近はましになった。
音が辛いのは変わらなった。でももうそれは日常茶飯事だったし、その時は教室に入れないほどつらいなんてことはなかった。

中学生になって、忙しくなった。
テストでいい点数を取らなければ兄と比べられて惨めな思いをする。
だから毎回頑張って学年1位を取った。でも、兄のように褒められた記憶はない。
それが今では私の家の当たり前、だからだ。
中学生になって部活も入って人間関係もむずかしくて疲れていた。
そしたら音が辛いのがひどくなった。
先生の声が、みんなの笑い声が、椅子を引く音が、耳に刺さる。
教室にいるのに恐怖を感じるほどだった。
休み時間のざわざわが苦手で、寒い廊下に一人で立っていたら風邪をひいてしまった。
でも私は小さいころからポーカーフェイスを保ってきたからその時もなんてことない顔をしてばれないようにしていた。
言っても理解されないと思ったから。
母や姉にちらっと言ったことはあったけど「大袈裟」と言われて終わっただけだった。
勉強、人間関係、音の辛さ、部活など、もう限界がきて私の中で爆発が起きた。
死にたいしか考えられなくなって、初めてリスカをした。
心が落ち着く、という意味が分かるような気がした。
習い事の帰り、死のうと思ったこともある。怖くてできなかったけど。
限界なのは私もわかったから音が辛いことを養護教諭の先生に相談した。
そうしたら、聴覚過敏かもしれないね、って。
懇談でお母さんに耳鼻科行ってみて、って言ってくれて。
先生に言われたからか母はすぐに連れて行ってくれた。
やっぱり聴覚過敏だった。原因は調べなかったからわからなかったけど。
ちょっとあんしんした。 でも、母はこう言った。
「she is abnormal.」冗談だったかもしれない。
でも、ずっと悩んでたからこそ許せなかった。傷ついた。
そのときも私は笑っていたけど。
学校で耳栓をつけてもいいといわれたけど母が耳栓を買ってくれなくていまだつけることができない。
早く助けてほしい、そうちゃんと伝えたつもりだったのだが。
病院に連れて行ってくれた母に感謝した自分がバカだった。
母も父も私を助けてくれることはない。

私は今日も笑顔を張り付けて生きています。
トイレで、こっそり泣きながら。

感想1

投稿ありがとうございます。幼い時から家族の中で様子を伺い、周囲に合わせて過ごしてきたあなたのことを想像しながら読みました。小学生になってからはあなたが「失敗」と書いているようなことが起きて、あなたの中には様々な感情があったけれど、それでもまたそれを押し殺して周囲から見て少しでも問題なく見えるように振る舞い、中学でもテストで努力し、人間関係でも疲労し…あなたの心身がすり減っていくようなことがたくさんあったのだろうと思います。
本当は、子どもが家庭のために努力する必要はなくて、子どもは自分のために自分の時間を使っていい権利があると私は思います。だけど、あなたの周囲の状況では、あなたにそれを許さないようなことばかりだったのだと思います。
あなたの願いは、たとえばピリピリした場を和ませることや、あなた自身が正当に褒められることだったのかな、と思うのですが、そのためにたくさんあなたが頑張っても当たり前のこととして受け取られてしまうのはなんだか理不尽だと思いました。

学校のいじめのことで「人のことになると動ける」とあなたは書いていましたが、逆に言うと、あなたは自分が困った時や悲しい時、つらい時に、自分のためになにをしたらいいのか、どうしていいのか…ということを学んだり、練習したりする機会が全然ないまま、これまでなんとか生きてきたのだろうと思いました。

気を張り続けるのにも限界があると思いますが、その中で聴覚過敏もあったら、日々受け取るストレスはとてつもなく多いと思います。冗談かもしれなくても、abnormalという評価をされて、それで片づけられてしまうのはおかしいと私は思いました。聞こえ方は人によって大きく違っていて、あなたは少数派ではあるのかもしれません。でもそれはただの数の問題でしかなくて、大切なのは、あなたがそれで困っているということにつきると思います。

せっかく学校で耳栓を使っていいと言われたのに、買ってもらえないと、困ってしまいますね。養護教諭の先生に、そのことも含めて相談してみることはできそうでしょうか?
学校や家や、そのほかの場所で、あなたが少しでも落ち着いて過ごせる方法はないかな、と考えています。きっと耳栓や、他にもいろいろな方法があるのではないかと思います。
逃げ場所としては、リアルな場所ではない死にトリはちょっと頼りないかもしれませんが、よかったらまたアクセスしてください。待っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。幼い頃から、家庭でも学校でもずっと気を張りながら、常に緊張感がある中で生き抜いてきたことが伝わってきました。家族の顔色を読み取って「いい子」でいなければいけなかった状況は、想像以上に窮屈で心に負荷のかかるものだと感じますし、その癖が抜けずあらゆる場面で支障もきたすものだと私自身も経験して思うことです。大人の期待に応えようと無理をして、それがうまくいかなかったときに怒鳴られたり叩かれたりするような環境では、安心できる場所があなたの中になかっただろうなと想像しています。本来、家庭は(学校もですが)安心安全に過ごせる場所であるはずなのに、それがかえって自分を脅かすものとなっているのは、SOSの出しようがなく(誰かに相談すること自体、怖いですよね・・・)一人で抱えるしかなかったのだろうとも感じます。それでも必死に笑顔で、周囲に振舞っていたのは、きっと“自分が我慢すれば、穏便に済む”と感じていたからかもしれないなと思いました。
どこにいても常に周囲のために自分を抑えてきた結果、自分の本当の気持ちを誰にも話せなくなってしまったのだと感じます。いじめを受けた時、音に耐えられなくなってしまった時、助けを求めたくても言えなかったのは、自分のことで誰かに迷惑をかけてしまうことの怖さもあったのではないでしょうか。でも、ずっと抑え込んできたものが限界を迎えて、いよいよ心と体が悲鳴を上げてしまったのかもなとも感じました。
ようやく自分のつらさを理解してもらえるかもしれないと期待したのに、「she is abnormal.」とお母さんに言われたときのショックは計り知れないなと感じています。冗談として受け止められたことで、「やっぱり自分は受け入れてもらえないんだ」と感じてしまったところもあるのではないでしょうか。(違っていたらすみません)「助けてほしい」という気持ちがちゃんと届いていないことに、より心がすり減ってしまったと感じますし、許せないし傷ついたという感情は真っ当な気持ち(訴え)だと私は思います。このことだけではなく、あなたの身に降りかかっていることの理不尽さに勝手ながら憤りとなんだか悔しい気持ちになっています。
苦しい環境の中で、それでも誰かのために動いたり、勉強や部活を頑張ったりしている姿に、あなたの強さを感じました。けれど、その強さに自分が押しつぶされてしまうこともあったりしないかなと考えていました。だからこそ、「つらい」と声をあげてもいいし、「助けてほしい」ともっと声をあげていいと私は思いました。無理をして笑わなくても、理解してくれる人は必ずいるはずです。養護教諭の先生が聴覚過敏を理解してくれたように、すべてを話さなくても、少しずつ「つらい」などの本当の気持ちを言える場所がこの先増えていくことを願っています。また、死にトリが必要に感じられたら、いつでも参加してほしいです。

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