経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分は何をするべきで

中3女子です。
自分はなぜ死にたいのだろうと常々考えています。
環境に恵まれていて、兄弟仲、親子関係も良好で友達もいい人ばっかりなのに。
一番最初に思ったのは中1の冬に彼氏に振られたとき
誰かに肯定される嬉しさと、それがないと生きていけない自分の無力さを目の当たりにされ、死にたくなりました。
最近は自分が不細工で苦しいです。
私の好きな人は可愛い子が好きで、クラスに居るマドンナのことよく話しています。
友達もとても可愛くて、男子二人、私、その友達とで話していると態度がなんか違うなーと思うことも多いです。
あと運動ができない。ブスのくせに。
歌は少しだけ歌える。ブスのくせに。
努力ができない。ブスのくせに努力すらできないゴミ。
努力ができない上にネガティブ思考になっちゃってるから人からのアドバイスも素直に受け取れない。ブスなのに何もできてない。ただ生きをしてるなんの価値もない人間。
もう人間じゃない何か他の生命体でありたかったな。

昔からあなたは可愛いねと親族から言われて育ってきたし、親ガチャも大成功だから自己肯定感は高かった。
今はもうそこをついているけど。

中1の冬にリスカした傷が一向に治らない。高校は楽しく過ごしたいから最近は頑張って我慢してるけどやっぱりやらないとしんどいし傷が治らないのもストレス。

今は受験生だから勉強しないといけないのに朝起きるのが下手で勉強時間が十分に取れない。個人経営の小さな塾ではトップを取らせてもらっているけど、先生からの期待が重いし学校とかに行けば大企業の塾に入っててトップとかもいて、上を見れば見るだけ死にたくなる。

結局いろいろな原因を書いてみたけどどれが本当なのかわからない。
なんで死にたいのかわかんないけど、どれだけ楽しくてもうっすら死にたい。
この希死念慮は何?
高校になって、大学になって、価値観が変わるといいな。
ブスじゃなかったらとか、もっとまっすぐ自分の軸を保てたらなとか色々考えちゃって毎日自己嫌悪に陥ってる。

本当に生きている意味のないド屑。

感想1

投稿してくれた文書を”もしかしたら…”と私なりに仮説を立てて読み進めました。最後の方で「どれが本当なのかわからない。」「何で死にたいのかわかんないけど、どれだけ楽しくてもうっすら死にたい。」この二つの言葉が目に入ってきました。
私が感じていた”もしかしたら…”は、あなたはずっと他人軸(無意識に周囲から求められる自分として応えてきたり、演じてきた)で生きてきたのかもしれない…という想像でした。そして次にあなたが書いてくれた言葉が「もっとまっすぐに自分の軸を保てたらな…」だったので、やっぱりそうだったんだなと勝手に自分なりに納得しました。

死にたいって感じるあなたの感覚にはきっと自分ではわかりにくくても理由があるのだと私は思います。例えば周囲の期待や評価に応えられる能力がある人は、社会的な価値観に当てはめられて、本来の自分を尊重されていないことがあります。あなたはあなた自身の感覚や言葉、思いがあるし、ダメなところがあっても良いのだけれど、”社会的に良いとされる”ものにその能力を当てはめられてしまう(型にはめられてしまう)。いい子、よくない子と大人に判断されることへの違和感が死にたいなのかなって思ったりしますが、どうでしょうか。死にたいなって思うのは、自分軸を持とうとする思春期だとなおさらかもしれません。周囲の期待や評価への違和感だとするなら、そして本当の自分を見てもらっていないのだとするなら、あなたが人間でいたくないなって思うことも私はなんだかとてもしっくりきます。ここであなたが書いてくれた本当の自分の思いや言葉を大切にして欲しいです。

感想2

死にトリはどうやって見つけて、どんな気持ちで経験談を書いてくれたのかな?と想像しながら読みました。いろいろなことが混ざりあってぐちゃぐちゃな気持ちだけれど、それをそのまま書いてくれた感じがして、その素直さやストレートさがあなたの人柄を感じさせるようでした。でも、そんなあなたが、なぜか自己嫌悪の渦の中にいて、出ようとしても出られなくてもがいている様子が伝わってきました。自己嫌悪の渦の正体は何なのか?私は読んでいて、いくつかのヒントを見つけました。
一つのヒントは「ブス」という言葉です。周囲から「可愛いね」と言われたこともあるけれど、今のあなたは何度も自分のことを「ブス」だと書いています。本来、ブスというのは顔面の作りをよくない評価をする言葉ですが、実は絶対的な評価ではありません。どちらかというと、周囲の人たちや社会が見えてくることで比較というものが大きくなり、社会の中に流れている暗黙の評価の圧力、そして自分への意識が高まってクローズアップされることなのかなと思いました(ちょっとめんどくさい説明ですみません…)。ほかにも、運動や勉強など社会が人に求めてくる能力に対する迷いや戸惑いもありましたが、それらもほかの人たちと比較すること、自分は何者なのか意識し始めること、そして社会が要求してくる圧力のようなものをたくさん感じていることによって、引き起こされているように感じています。
自分として、ありのまま生きていたいという自由なあなたの気持ちが、得体のしれない社会の価値観が求めてくる理想のプレッシャーにたくさん触れ、心身に入り込んできたとき、何がよくて何が悪くて、どう生きていったらいいかわからない、だから死んだ方がいいのかなと思うとしても不思議ではないと想像を巡らせています(あくまでも私の想像なので、どこまであなたにフィットしているかわかりませんが…全然違ったら、スルーしてください)。
タイトルにある「何をするべきで」という問いには「今のままでいいと思います」という言葉と、「このまま悩んでもいい」し「あなたの気持ちに聞いてみたら、きっとわかるはず」と伝えたいです。かといって一人ぐるぐる悩むのは苦しいと思うので、また死にトリが役に立ちそうなら、いつでも来てください。

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