経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通に生きるはずだったのに

私としては普通に生きてるだけでした。何も無かった生活だったはずでした。でも、気づかないうちに死にたくなって、その死にたいは消えてくれなくて、生きてる気なんてしなくて。今の自分は友達だっているし不自由だってないはずなのに。なんだか死にたくなってその気持ちが消えないのです。友達はあんなにキラキラしててすごいのに私は何も出来ない出来損ないで、クズで、社会のゴミで、生きてる価値なんてないから、友達といるとなんだか情けなくなります。自分はなんでこんなに何も出来ないのだろうと思って、なんでも出来るみんなが羨ましくて。少し態度を悪くしてしまいます。本当に私はダメな人間です。ニュース番組などでよく殺人事件などのニュースを見ると素敵な人たちが亡くなっていて、私が代わりに死ねばよかったのにといつも思います。私は受験生で、進路について自分では考えたつもりでした。でも、親に言うと認めてくれませんでした。私は本当に頭が悪いです。テストの点数も悪いです。高い点数をとっても「当たり前」などと言って私の親は褒めてくれないので、頑張る必要なんて到底ないのです。私はきっと親の操り人形なんだなって思いました。「あんたは何も出来ない」だとか「何も言ったこと出来ないじゃん」だとか「結果が出てないでしょ」だとか「嘘つき」だとかそんな言葉、既に傷ついた私の心を殺すのには充分な言葉でした。正論なんです。でも、嘘をついたのは私の身を守るため、また、争いを防ぐために使ったはずでした。私は口喧嘩をするのが好きではないので私が嘘をついておわればそれでよかったのです。口喧嘩が嫌いなのは幼少期からよく両親がしていてその度私は嫌で泣きながらトイレにこもっていた事がトラウマであるからです。逃げることしか出来ない私は本当に卑怯でビビりです。先日も親に進路のことで1時間ぐらい叱られました。全部私が悪いのです。勉強をしなかったのも私。親の言うことを守れなかったのも私。こうやって生きているのも全部全部私の責任なのです。親は私のことわからないわけがないと言いました。でも何もわかってないのです。私がトイレにこもってよく泣いていることも、死にたいことも、学校で悪口を言われていることも、嫌われていることも全部知らないのです。言う気もありません。きっと親は心配なんてしないで、「学校に行かないと高校に行けなくなる」と言うはずです。私にはその前の人生が見えません。高校まで生きている自分の姿が見えなくて、もう自分がわからないです。三者面談があった時、先生に「表情が明るくなった」と言われました。親に「学校に行きたくない」とあまり言わなくなったと言われました。表情が明るくなったのは気持ちを隠すのが上手になっただけで、学校に行きたくないと言わなくなったのは言ってもどうにもならないということを学んだからです。今だってもちろん学校など行きたくなくて、早く消えてしまいたいです。そもそも私が生きていたという事実を消し去りたいです。でも、私には好きな人がいて、その人が私の救いです。私なんかが好きになってしまってごめんなさいって思いますが、それでも私はその人のことが好きなのです。その人が生きているこの世界をまだ生きたいってもう死にたいなんて思いたくないのですが私はやっぱり死にたいのです。私が死ぬことであの人が笑ってくれるなら私はもう死んでしまえるのに。あの人と出会わなかったら今頃私は死んでしまうことができたのに。って思ってしまうのです。あの人のために死ねたら私の本望なのになって思います。それは私にとってのメリットしかないのかもしれません。死ねるし、それでいてあの人が笑っていてくれるなんてそんなのただの理想でしかないのです。友達とかに「死にたい」って言えたら楽になるのでしょうか。私はずっと言えないのです。友達を私なんかの事で悩ませたくないのです。私には勿体ないぐらいの友達なのです。なので、私の言葉で悩ませることも、関係が歪んでしまうことも、接し方が変わってしまうことも怖くて怖くて仕方ないのです。クラスメイトは喜ぶだろうし、私は邪魔者なんです。私が死んでしまえばみんなみんな笑えるはずです。みんなの為に気を使ったつもりの事が上手くいかない私はもう何をやってもみんなの役にたたない役立たずなのです。私がいるだけ無駄なのです。私は成績が悪いし、勉強も出来ないし、なんにも出来ないので社会の役にも立ちません。これも全部私が悪いのです。私は無力なんです。リスカをしても私はビビりでそんなに切れなくて、全てどうでもよくなってしまったのです。そんな時だって私は死ねなくて今も生きています。生きていてはいけないのに私は生きてしまっています。このまま苦しむのなら私はいっそ死んでしまいたいです。友達はよく死にたいだとか消えたいだとかSNSで言っています。それもまた私は妬ましくてしょうが無いのです。友達に言わないと決めたのも私のはずなのに人に気づいて貰えることなどがこんなに羨ましいなんて思ってしまう私がとても愚かで情けないです。なのに私は人に共感される事がとても疎ましいです。私のこの気持ちがみんなにわかっているはずがないからです。ここまで頑張ってきたことが全部否定されているように思えてしまうのです。本当にダメな人間です。もし死ぬのなら自分の顔を分からないようにして死にたいです。自分の顔が本当に苦手で、消し去ってしまいたいです。かわいくなりたかったけど、私のかわいいは私に似て嘘つきで、本当のかわいいではなかったのです。やっぱり友達を見ているとモヤモヤして自分の醜さに気付かされます。みんな友達は「人間不信だから人と話せない」だとか言いますが、そんなことなくて、みんなと話せています。その事も本当にモヤモヤしてしまうクズですが、私は本当に人間が無理で、話すことを決めていても人を前にすると声が出なくなってしまうのです。人間が怖くて仕方ありません。こうなったのも全部私が悪いのです。人間に期待をしてしまった事、人間に全て許してしまったこと、注意をしなかった私が悪いんです。すみません。本当にあの時死んでしまえたなら今こんなことはなかったのかもしれないのです。あの時自殺をする勇気さえあれば私はこんなに苦しむことはなかったのです。死にたいなんて思ってはいけないなんて私がいちばんわかっているのです。でも私はもうこんなに苦しむのが嫌なのです。人の役に立てないなんてそんなの私の生きる意味がないのです。昔から人を喜ばせることが好きで、こっそりプレゼントを買って家族に渡したりする事が大好きでした。でも今ではそんなこと出来なくなりました。自分のことで手一杯で、友達の事すら気にかけてあげることすら出来ない、そんなダメな人間です。友達がSNSで病んだ投稿しているのは、そんなの見たくないのです。私だって苦しんでいるのです。私は隠しているのです。疲れたのです。もうやめて欲しいなんて思ってしまう自分も嫌で嫌で仕方ないです。本当に生きていい理由がありません。私が今まで苦しんだこと、全部無かったことに出来れば、忘れられればどんなにいいことかと思います。それが出来れば少しぐらい生きてもいいのに。辛い理由すら私にはもうわからないのです。全て分からなくなりました。死にたい理由も、生きている意味も全部分からなくなりました。でも全部私のせいだということだけは分かります。この私なんかが生まれてきたという地獄を早く終わらせてしまいたいです。もうなんのために生きていいかわからないのです。
長くてすみません。ここまで読んでくださったならありがとうございます。

感想1

あなたの心の内に秘めた葛藤に圧倒されるような気持ちで読ませていただきました。文末に書かれた「もうなんのために生きていいかわからないのです」の一文が、拠り所としていた「普通」が崩れていく恐怖とともに、あなたの苦しさを総括した言葉のように感じて印象に残っています。また、文章の端々にご自身を責める言葉が綴られていたことも気になりました。どこにも行き場のない気持ちを「自分が悪い」という受け皿でもって対処するしか方法がないような・・そんな状況を想像しています。それは、大変な痛みを伴う作業でもあるように感じています。

今は受験生なのですね。このお返事が届く頃は、プレッシャーや不安もピークに達する時期ではないかなと思い、なんだか心配になっています。
受験にあたって親の言葉や振る舞いに対し「既に傷ついた私の心を殺すのには充分な言葉でした」と書かれていましたが、第三者の私が読んでいても、なかなかに心を削がれる言葉だと感じました。正論は使い方によって暴力性をはらんでいると私は感じていますが、親と子という関係性では子ども側が否応なく押さえつけられてしまうことが多いように感じています。あなたが進みたい道へ向かって歩いて行こうとすることを、「正しさ」や「心配だから」という一見それらしい理由で阻み、不安を煽り、有無を言わせないことに、言いようのない悔しさを感じてしまっています。「親は私のことわからないわけがないと言いました。でも何もわかってないのです」との一文に、こちらの姿は見えませんが大きく頷いています。
また、親が喧嘩をする姿を目の前で見ていたことも、あなたの苦しさを一層深める要因になっているのではないかと感じています。泣きながらトイレにこもっていたとの描写は、胸が詰まるような思いで読みました。口喧嘩は嫌いになって当然ですし、親の叱責や小言の数々は、当時の不安や恐怖を思い起こさせるトリガーにもなり得るのではと思いました。嘘はあなたの心を守る大事な道具であって、「使っていい嘘」だと私も感じました。

抑圧が重なっていけば、自分の気持ちを表現したり主張を続けることも疲れてきてしまうのではないかと感じています。三者面談のシーンでは、親や先生が表面的な会話をする中で、あなただけがあなたの気持ちを知っていたことを想像しました。「言ってもどうにもならないということを学んだ」という一文は、諦めや怒り、絶望感がないまぜになった吐露のように感じています。

友達に打ち明けることへの抵抗感、自分の苦しみを誰かに気づいてもらうことへの羨ましさと疎ましさ・・このあたりの話は、一緒に深めてみたい気持ちになりました。自分の本音を伝えるとき、相手がどう受け取るのかという不安はなかなかハードルが高いことだと感じています。また、安易な共感や同調、励ましにかえって傷ついたり失望することも、私自身の経験を思い返しながら頭に浮かんでいます。この先は勝手な想像ですが、主に親との間で何を言っても伝えても押さえ込まれてしまい、気持ちを汲んでもらうことが少なかったとすれば、誰かに自分の思いを話すことは怖いことですし、「どうせ分からないだろう」という憤りや虚しさを投影してしまうことも無理のないことのように感じています。
(あなたの気持ちと違っていることを書いていたらすみません)

自分が何かを感じること、特に抵抗や嫌悪を感じることについて自罰的になってしまうしんどさ、ネガティブな反応しか返ってこなかった経験の苦しさはそう簡単に拭えないかもしれませんが、あなたの中に湧き起こるどんな気持ちも、時に大きくなったり小さくなったりと揺れながら、その存在が確かにあって、否定されるものではないと私は感じています。

まだまだ心の中に溜めている気持ちがあるように感じて、ここでは思ったことをそのまま吐き出して、書き置いていってくれたらいいなと思っています。よかったらまたお話を聞かせて下さい。こちらこそ、経験談への投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。普段、表立って言えない心の内を綴ってくれたのかなと想像しながら読んでいました。どこか、あなたの二面性を感じるというのか表面的にはかなり無理をして平気なフリをしたり、聞き分けよく振る舞っていて、でも実はこんなにも感じていること思っていることはたくさんあるんだという心の叫びが伝わってくるような感覚に勝手ながらなっています。
両親の口喧嘩をよく見聞きしていたようですし、進路についての話もそうですが安心感を得られなかったり、そのままの自分を受け止めてもらえたり認めてもらえたりという経験が希薄なことで「全部私が悪い」など自己を否定する気持ちの強さ(文中にいくつか自分を否定するような表現をされていて、印象的でした)に表れているように私は感じました。そもそも他者から否定されるようなことを言われ続けたら、自分の価値について考え揺らいでしまうのは自然なことだと思います。どんどん自信が持てなくなったり、そもそも勉強を頑張ることだったり自分の先のことについて前向きに考える気力なんて奪われてしまっているのではないかと私は思うので、そのような中でもあなたが日常なんとか生き抜いていることを考えると労いの言葉をかけたくなっていると同時に、逃げ場のなさを感じたのでそうした現実に何ともやるせない気持ちにもなっています…。
友達がいるのに、何も不自由がないはずなのに、心の中に消えない「死にたい」という気持ちがあること、それは誰にも話せない孤独な戦いのように感じます。友達といると、どうしても比べてしまって、劣等感が募り、自分を責めてしまう…その結果、友達に対して態度が悪くなってしまう自分が嫌で仕方がない、負のループから抜け出すのは容易なことではないと自分も経験して思うことですが、比べること自体は悪いことではないですし、比べてしまうのにも理由があってのことが多いと思うので、その理由(自分の本心)を整理できるとまた違った見え方もあるかもしれないなと思ったりしています。
あなたにとってはただでさえ自分を否定しがちな心に、家族を含め身近な人との関わりは更なる重圧を与えているように感じます。幼少期からの経験が、今のあなたに影響が出ている部分も大きいだろうと私は感じていますが、自分を守るために嘘をついたり、争いを避けたりすることは、決して間違ったことではないと伝えたいです。むしろ、それはあなたが自分を守るためにできる最善の選択だったのではないでしょうか。
あなたが傷ついたこと、苦しんできたこと、全部なかったことにできたり忘れられたらどんなにいいかという思いには、思わず頷いてしまうほどには共感できる部分だなと思いつつ、それでも決して消えることのない事実であるということを考えると、それを一人で抱える必要はないし全てを理解されなくても、少なくとも私は、あなたがこれまで様々な場面で感じてきた思いや傷つきをそのまま受け止めたいと思いました。
また死にトリが必要に感じられたら、いつでも声を届けてほしいです。

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