経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

父と兄のご機嫌伺いと母の心配に辟易

アルバイトと派遣を繰り返して自信を持てないままだらだらと実家暮らしを続けてしまっている。
その実家も居辛いから一人暮らしもしたいと思ってはいるのに
そもそもこれから生きてても仕方ないと思ってるから全て、仕事探し部屋探しの準備も、死ぬ準備も面倒くさくてだらだらと継続しているだけである、情けない。

父が自分の思い通りにいかないと気が済まないんだろうな という感じの人間で
育児や教育は母に任せっきりだった癖に私が10代後半くらいから
20代前半までは生活態度についてこうしろああしろと感情任せに説教され、人格否定されることが増えて
怖いから父親の言う通りにしないといけない、本心を言えない状態になり(言えても否定されるので言えない言わないになって、無言になると無言になることもきつく指摘される)
あるタイミングで、もう何も言わないと逆ギレというか見放してもらい
当分は、あんなこと言われつつまた言ってくるかもしれないと怯えていたが
本当に何も言われなくなって、そこからやっと父親の言われた通りにしなくていいんだと安心できた。

私自身、そんな父親の被害者だと思ってるが
一番上の兄妹の兄が一番被害を受けていた話を母や姉から聞いていて、趣味の否定や価値観の押し付けなど酷いものであった。
そんな兄も一度は家を出ていたが、今は実家で一緒に暮らしている。
父親を恨んでるようで、一緒に住むようになってからたまに言い合いが聞こえていたがその父親も被害者であると悟ったらしく
今ではなんとかコミュニケーションとれる程の関係にはなっている。
お互い距離を置いてなんとかなってる関係かと見受ける。
そんな兄も結局父親と嫌なところの生き写しのようになってしまっていて
兄に何か指摘しても、兄は自分の意見を否定されたと受けたと思ってるのか知らないが
こちらの感情は無視して高圧的に、自分の気持ちが傷ついたと訴えかけてきた。
だからもう何も言えない。

そんな父と兄の嫌なところを自分しっかり受け継いでいるなとふとした瞬間に思う。
こんな父親の嫌なところを受け継いでいる家族に囲まれて、母親の軽率に見合い結婚して子供を産んだことは自業自得でもあるが、流石に不運でしかなく、自分もこんな性格も終わっていて生産性もない人間になってしまい、申し訳ない。
自分が家を出るとなると、残る母が気がかりであり
実際、言いたいこと(指摘、要望等)があれば感情任せに母親を傷つけてきて
そんな母親は精神病かつ、自分の意見を言いづらい思考力の低い人間になってしまっている。
そしてそんな何かが上手くできてない上手く立ち回れない母親に対して、いらいらした感情を乗せて指摘する父親は病気への理解も乏しい。
こんな家出て行きたい、逃げたいとは思うが
そもそも家を出たところでと、自分に自信がなく、人生自体に希望を持てずだらだらと嫌な思いをしながら実家に住まわせてもらっている。
非常に情けない。
生まれて来て楽しかったことや嬉しかったこともあったが
生まれて来なくてよかったのなら、全然それでよなったし、生まれて来たくなかったと強く思う。

タイムマシンがあれば両親の結婚を阻止したいと何度も妄想するが、そんなの無駄であることも分かっている。
とにかくなかったことになりたい。死んでも場所があることにうんざりする。普通に生ゴミとして燃やしてくれ。鯨のような、死んだ後他の魚や生き物たちの餌になる、そんな形が一番望ましい。なので食べ物に飢えている野生のクマなどに身を捧げたい。
しかし痛いのは嫌なので、やはり安楽死させてほしい。
死ぬ勇気が欲しかった。

感想1

あなたの投稿を読んで、自分自身も含めて多くの人は家族は何よりも尊い絆がある・あらねばならないと刷り込まれているような、疑っていなかったように思うのですが、自分なりの家族を考える、保留する時間や距離って誰にでも必要だと改めて思いました。人は成長するに伴い自分で考えたり想像し行動していくものかと思いますが、思い通りに進まないと気が済まないお父さんの感情任せの説教での人格否定は、あなたの感情や気力をじわじわとそぎ落としていったのではと想像しました。「逆切れからの見放し」は乱暴な方法に思い、勝手ながらお父さんに憤りを感じずにはいられませんでしたが、「そこからやっと父親の言われた通りにしなくていいんだと安心できた。」という一文を読み、誰かから言われた通りに生きなくても良いと私も思いますと呟いていました。野生動物と同じように人間もやっぱり身近な大人を真似ながら成長していきます、高圧的に自分の気持ちが傷ついたと訴えかけてくるお兄さんもまた、もしかしたら父親と生き写しのようになっていることを感じ必死に否定しているようにも思いました。家族は良くも悪くもお互いを補完し合い生活しているところはあるかと思うので、お母さんを心配する気持ちも共感します。残念ながらタイムマシンは今すぐに私達が利用できる状況にはないのですが、あなた自身が家族から離れ自分の家族を眺められる時間や場所があると良いなと思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿を読ませてもらいました。『死んでも場所があることにうんざりする』という言葉に自分の死にたい気持ちと重なるものを感じたので、返信を残そうと思います。
鯨やクマ、生き物の例えが最後の方に出てきましたが、自分は野良猫のようにふらふらのんびり生きて(実際の野良猫生活はきっと過酷なのでしょうが……)、死が近づいたらふらっと行方をくらませてしまいたいと日頃よく考えています。自分がそうやって動物に投影するのは、人間として生きるのがしんどいのはもちろん、人間として死ぬこともなんだかしんどいからなんだと思います。人間として生きているだけで、自分のしていること(していないこと)に意味が生まれつづけ、例え死んだとしても、死んだことで生まれる意味からは逃れられないように思えてしまいます。投稿を読んでいる限りでも、「家族との関係」「生産性」「働く」等々、人間として生きるうえで、望むと望まざるとにかかわらず背負わされる意味の多さを改めて感じていました。仮に「働く」ことを決めて部屋を探して一人暮らしをしたとしても、仮に死んだとしても、どちらにせよ「家族との関係」に波紋が広がる(何かしらの影響が生まれる)ことが、『死んでも場所があることにうんざりする』という言葉に繋がったのかな、と自分の目を通して感じました。また、人間として何かを選択すると、同時に「自分で決めたんだから」という責任を負わされるところも、個人的にしんどいと感じるところです。投稿者さんが一人暮らしをしようと考える理由として、人格否定をしてくるという家族の影響は非常に大きいと思います。そんな相手と同じ空間にいるだけで疲弊が絶えないだろうと(自分の感覚では)思うので、そこから更に行動を起こすのは容易なことではないと思います。環境が違えば負う必要もなかったかもしれない「一人暮らし」が生まれ、それができない自分に対してさらにしんどさを背負わされるのは、すごく理不尽というか、これだから人間は嫌なんだと思わずにはいられませんでした。
最後になりますが、経験談の投稿ありがとうございました。よければまた、投稿者さんの言葉を読ませてもらえると嬉しいです。

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