私は側から見たら恵まれている。
広くて豪邸のような実家、お金、最高品質クラスの食べ物、社会を生きてく上で困らないそこそこな美貌。
ま、少し障害を待って生まれてきてしまったのはたまに傷だけども…
側から見たら障害以外は人生イージーモードなのに。
メガネを拒否したせいで自分で自分の首を絞めてしまった。
親のせいではなく紛れもなく自分のせいで。
斜視かつ脳性麻痺を持って生まれてきてしまったのは若干親のせいかもしれないけれど
それを抜きにしたって斜視専用のメガネをするべきだった。斜視を先に治さなきゃいけないと気づくぐらい足のリハビリを頑張ればよかった。
今までの生きづらさ、悩みはほぼほぼ全部斜視から来てて。
でもこの当時住んでた田舎で小児の斜視の手術はやってくれるとこがなく、
都会で何週間も入院しなくてはいけなかった。
というか手術したとしても私の場合
程度が酷すぎてメガネは必須だったそうな。
手術は実家の距離的に厳しいから
治療はメガネ一択だった。
でもメガネをすることはメガネがなくても
頭が良くてなんでもできる名門幼稚園の中にいる
私以外のみんなに馬鹿にされることだと思っていたし。
私が脳性麻痺で足がうまく動かないことをすでに
馬鹿にされてて。
何にもできない私は視力検査の数値がいいことをステータスにしてた。
私の斜視は視力の数値には影響しないタイプだったようだった。
だからメガネなんて視力が悪くなった
烙印を押されているようなもので、
一緒に住んでいたおじいちゃんに視力でマウント取ってたし、
おじいちゃんのメガネを破壊したこともあったし、
メガネをしてるおじいちゃんははっきり言って嫌だった。
自分の中のおじいちゃんは
メガネをしていないお風呂上がりは機嫌が良かったから怒られることも少なく、素直に甘えられた。
メガネをしているおじいちゃんははっきり言って怖かった。
そもそもよく声が通る人で、めちゃくちゃでかい声で
普段は喋るから、
怒ってんだかなんなんだか
判断がつかなくて怖かった。
昭和一桁世代で厳格だったしメガネをしている時は
よく怒られていたな。
だからメガネ🟰怖いみたいなイメージが
めちゃくちゃついてしまった
検査でメガネをつけた感じも何もかも嫌で
今考えればこれも過敏さだったのかもしれないけれど
どうしたらメガネをしなくていいかってことを常に考えていたし
メガネをしなくてはならない時が来るかもしれないと思うと、
眼科でのことを思い出すと発狂して
数値が下がったらどうしようと
毎日毎日追い詰められていた。泣いていた。
あの日々ははっきり言って地獄だった
でも大人になったらもっと地獄だった
あの時素直にメガネをかけていたら
しなかった苦労がたくさんあって。
現に働けなくて困ってる。なんなら引きこもりだ。
でもあの時はとても親のことを信用できなかったし、
大人のことも信用できなかった。
正直、眼科の中の人たちも
当時の院長先生以外の人は
怖くて怖くて仕方なかった。
その院長先生にすら怖くて言えなかった
視力がいいはずなのに全然運動ができなくて
困ってることが言えなかった。
視力がいいはずなのになんでメガネなんかしてるんだよって周りに言われるのが怖かった
階段の高さが見えなくて
わかりにくくて怖かったことも、跳び箱がどうしてもとべないのも
平均台の渡りかたが全然わからなくて
怖いのも
脳性麻痺のせいだと思い込みたかったのかもしれない。確かに足に当時力が入らなかったから。
それだと信じて疑わなかった
これらのことが怖かったことをママには言えなかった。他の大人にも言えなかった
その前に辛いことを辛いと言ったら
馬鹿にされたから。
ママは
私が頭の中で聴いた音楽が何回も何回も
こだましてループしてパニックになって
いつ再発するかわからないとんでもない怖さを
小学校高学年くらいまで
毎日抱えていたことも言えなかったし
某テーマパークのパレードの音が
怖くて泣き叫んで、
遠路はるばる高速で
少なくとも6時間はかけてきたところを
入ってて2時間で帰る羽目になるくらい怖くて泣き叫んだことを
茶化したりした。私が怖がってるとこをモノマネをして。
おばあちゃんにもママを困らせるな、いい子でいろって言われてたっけ。
どんなに訴えても結局はおばあちゃんの言葉で鎮圧されてたな。
そんなことが続いた当時の私は心を閉ざした。
馬鹿にされると思って、最後まで聞いてくれないと思って
今考えたらあからさまに感覚過敏で困ってても
他のことで困ってても
どんなに訴えてもどうせ茶化して助けてくれないから。って思ってた。
父親が出てこないじゃないかって?
ちゃんといたっちゃいたけど
おじいちゃんとママ以上に怖かった。
私が悪いんだけど、
一度だけ父に押し倒されたことがある。何回も何回も。体を床に叩きつけられた。
まるでとんでもなく激しく痛い
上体おこしの
叩きつけられverをさせられているようだった。
原因は父のパソコンの中に入ってたゲーム
を何回言ってもやめなかったからだ。
だから私が100%悪いんだけど。
父は当時ママより怖かった。
だから当然話せるはずもなかった。
大人に困ったことは困ってるってちゃんと言えてたら未来は違ってた。
斜視は子供のうちに治療しなきゃいけなかったのに
その重要性に気付かず、ただただ怖いから、
馬鹿にされるかもだからってギリギリまで
メガネを拒否し続けた。
トラウマがやっと落ち着いてメガネをかけられた時は
もうすでに両眼視機能が発達する年齢をすぎていた。
つまり一生機能的には
ロンパリ確定。
成人していまさら
引きこもりになるほど困ってますなんて
こんな行動ばかりしてきた私に治療を受けていい権利があるのだろうか。
幸せを求めていい権利があるのだろうか。
人によく見えなくてぶつかったり
何にもうまくできなくて
迷惑をかけてしまう時がたくさんあったし
これからもかけると思うと絶望する。
大人になって車の免許が取れなくて周囲からドン引きされまくってるし
斜視と ADHDのことを理由にしてるけど
ちゃんと治療しなかったからだろって責められるのが怖いし、どうして取れない、取らないの?って質問責めにあうのが辛い。思い出したくないのに。
もうね、努力不足、怠けだって思われるの
嫌だからどうして取れなかったのか一から十まで説明するの疲れたの。
思い出したくないの。
でも治療を怠ったから怠けかもしれないね。
もうこの質問、死んでもされたくない。
でも地方だから仕方ないのだ。
だから都会に出るしかないと既卒になってまで就活で足掻いているけれど
全然うまくいかなくて心が折れそうだ。
自己責任とどうせおまえらは
責めるのだろう?
でも幼稚園児だった
当時のメガネに対する恐怖を思い出すと
成人してもいまだに涙が出てくるし
パニックになる。
あの時私はどうすれば良かったんだ?
今からでも両眼視できてなさすぎて人に迷惑をかけないためにできることはあるのだろうか?
ちなみに今斜視の手術をしたら
ロンパリである見た目「は」
よくなるらしい。
ところで、私のことをお金やら美貌やら実家やら食べ物やら
なんだかんだ恵まれたことに調子に乗ってやがる
とんでもなく高飛車な人間だと思ったであろう。
安心したまえ。
美貌は朽ちていくし、実家、食べ物を作れる土地は
ど田舎すぎて車ないと生きていけない地域だから
引き継げない。
お金だって美貌と同じことが言える。
だから私の手元には免許を無理やり取るなり資産運用でも何もしなければそのうち何も なくなるのさ。
実家や土地を代わりに運用してもらうにしても僻地だし人が集まるのか怪しいし
自分で管理するにも車の免許がないと
結構無理がある。
せっかく顔は可愛いのにね。愛嬌はあるしいい子なんだけど…
はあ、一発やり捨てするならちょうどいいのに。無駄にガード硬いんだよなー
彼女にするなら
いちいち足にならなきゃいけないし、
それならそうしなくてもいい健常者の女の子山ほどいるし、なんでもできるし子供の大きな声とかも耐えられるし、なんのリスクもなく産んでくれそうだし
本命にするならそっちなんだよなー
君はまともに健常者並に同じように稼げる保証もないしね?
え?目だけじゃなくて足も悪いの??
あーもうめんどくさ、
やり捨てするにもだっっっる。
手に負えないわ、俺には。
なんて思ってる男たちの思考が色々な人と会うたび手に取るようにわかって
今年21にして独身子ナシ天涯孤独路線突っ走りそうですわ。
まあ笑ってくれよ。
人生イージーモード設定だったのにロンパリでいることにこだわってハードモード化した
子供の末路としてさ。
一生イギリスとフランスには行ける気しないぜ笑
本当に先生たちは私の将来を考えてどうにかしようとしてくれたのに
申し訳ない。
最後に聞かせてください。
ほんとは一生、十字架を背負って生きていくべきなのです。私は。
こんなクズでわがままで世間知らずでも人並みの幸せを望んでもいいのでしょうか。
責められても何も言えない状況ではあるのです。
でもじっと耐えなきゃいけません。
自業自得ですから。
病気や障害に厳しいこの世の中で強く生きてくためにはどうしたらいいですか?
感想1
恥ずかしながら斜視の知識があまりなかったので、「ロンパリ」をネットで検索したりしながら経験談を読みました。(斜視を一方の目でロンドンを見つつ、もう一方の目でパリを見ているのに例えた語なのですね)
小さい頃のあなたのメガネへの恐怖や、人間不信は切実なものだと私は思いましたし、当時の選択はあなたにとって精一杯のものだったと感じました。後悔の気持ちや、今現在の斜視による困難を軽く見るつもりはありませんが、当時のあなたにはそれ以外の選択ができなかったと考えると、罪深さや申し訳なさを感じることは(あなたがそう思えるかは別として、道理としては)必要ないはずだと私は思います。
脳性麻痺によるハンディを抱えて、安心して頼れる人のいない中で過ごした子ども時代は、過酷なものだと私は感じました。その状態で先を見据えた判断能力をもつことは、誰にとっても困難な気がします。自分が周りと違う、周りより劣っている…と感じるとき、何かのステータスにすがるのは自然なことかと思いますし、私自身も同じような部分があるので共感しています。世の中では違いを個性だと簡単に言ったりしますが、差別や不利益が実際にある中で、違いを「個性」で片づけられるのはちょっと違うよな…なんてことを考えたりします。(話がずれてすみません)
家族との関わりについては、孤独にぎゅっと我慢しているあなたの姿が浮かび、いてもたってもいられないような気持ちになりました。現在のあなたの生きづらさは病気や障がいだけでなく、そこでの傷つき体験も影響をしているのかもしれないという考えも浮かびました。どんな障がいや病気があろうと、自分は迷惑をかけても大丈夫とか、助けを求めてもいいんだと思えたら、色々と困難はあったとしても、自分らしく生きれる道は探せそうな気もするのですが…どうなのでしょう。
「大人に困ったことは困ってるってちゃんと言えてたら未来は違ってた」とあなたも書いていましたが、「それで苦しんでいる人がどれほどいるのだろう…」と歯がゆい気持ちになりました。
だから、あなたは自分を責めていましたが、もし責められるべきものがあるとしたら、安心を保障できなかった大人たち(社会の環境)だと私は思います。
今から手術をすると、見た目は変えられるけど、視力の問題は変わらないという状態なのでしょうかね。見た目でわからなくなることでちょっと生きやすくなる部分もあるのかなと想像しつつも、視力での困り感や、迷惑をかけてしまっている感の方が今のあなたにとって重たいなら、そういう問題でもないか…とぐるぐるしています。
ただ、何が迷惑になるか、何がドン引きされるかなどは周りの人の捉え方次第ではあるので、環境を変えることで変わってくるものもあるのか?などとも考えました。少なくとも私の周りは、ADHDで車の免許をとれなかったり、免許をとっていても乗らない選択をしている人がいるので、そこについてドン引きしたり変に質問されたりすることはない環境です。そういう環境がなかなか少ないのが困ったものなのですが、ドン引きは「される」側の問題ではなく、「する」側の価値観や想像力の欠如(無知)の問題だと私は思うことを伝えたいです。
経験談の最後にある「強く生きてくためにはどうしたらいいですか?」という問いに、強く生きるとはどういうことなのだろう・・・と色々と考えました。
そもそも病気や障がいに厳しいこの世の中が間違っている、と私は断言したく、そうじゃない世の中にしたいとは思っていますが、すぐに世の中は変わるわけでなく…。人生に多かれ少なかれ逆境はあるから、それをしなやかに受け止めて自分のやれることを着実にやっていく力はほしい気はしつつも、その力が身につくかは個人の資質よりも環境で左右される要素が大きくないか?と思うと、それを強さと呼ばれるのは理不尽な気もするし…。
でもとにかく、誰にでも幸せになる権利があって、幸せを望んでいいとは伝えたいです。そして、じゃあ何が自分にとっての幸せなのか、どのような形で幸せを実現していくのがいいのか、みんなで対話しながら進んでいける世界であってほしいと思いました。
あなたの幸せがどんな形になるかはわかりませんが、まずは言えずに溜まってきただろう「困ってる」が拾われていってほしいし、もし死にトリが何かの役に立ちそうなら、いつでも訪れてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。