経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたい、死にたい、死にたい

孤独です。
ただただ孤独です。
家族もなく、孤独で本音を話せる人もおらず
仕事も辛く、もっと人生を真剣に考えて生きるべきだったと今更考えても仕方の無い後悔がグルグル頭を巡る毎日。

やる気がおきず、休みの日は起き上がれず寝てばかり、仕事や勉強や家事をしないといけないのに出来ない、しない自分に嫌気がさし、そんな自分が生きてても社会の迷惑にしかならないと思う。
自分で選択してきた道が全て間違えていたように思えて、今は自分で何も決められなくなってしまった。

明日が来るのが怖くて心臓が苦しくなる。
寝て目が覚めなければ良いと思う。

死にたい、死にたい、死にたい
遠方に住む兄弟に迷惑を掛けないように死ぬ方法を
毎日考えています。

感想1

何か話したい時に話せる人がいなくて、その瞬間に特に孤独を強く感じることが多いのかな…と読んでいて感じました。本音を話せないって、とてもつらいと私は自分の経験からも思います。私の場合、話したいことだけは沢山あるのに、それを言える人、場がなくて(ありそうな時にもどう思われるか怖くて躊躇してしまったり)苦しんでいました。あなたは今本音を話せていないこともあり気持ちを外に出せておらず、後悔などが自分の頭の中だけでグルグルとずっと巡っているのもあるのかなと想像しました。休みの日に起き上がれないのも、「休みじゃない日」の疲労とストレスが大きいことが影響しているのではないかと思いました。(今のお仕事がつらいと書かれてたのもあってそう考えました)
仕事や勉強や家事も、しないのではなく、自分でも気付いていないだけで「そこに回す気力余力がないからできない」状態なのかもしれない、と私は思いました。
既にやっていたらすみません、と思いつつ、お住まいの地域の役所や保健センター等々の相談窓口や受けられる支援・参加できる場(集まり)を利用するのも一つの手なのかなと考えたのですが、そこを調べたり行ったりする力や時間もなかったりするんじゃないか…と書きながら思いました。苦しんでいる人達がもっと気楽に、余力のない状態でもすぐに繋がれるような支援やサービスがまだまだ足りてないと改めて感じます。そもそもどんな支援がどこにあるのかも全然知られていないような気がします。私自身、以前所用で役所に行った際たまたま貼り紙などを見て様々な支援や集いの場がある事を知ったので、そうやって自分から出向かなくても知れる機会が欲しいと強く感じてしまいます。
明日が来るのが怖いとありましたが、普段夜に眠れているのだろうかとつい勝手に考えてしまいました。またいつでもここに来てください。

感想2

深い孤独感に包まれた文章だと感じました。仕事とはつながっているようですが、仕事では人とのつながりを感じることがないのだろうと想像しています。
「自分で選択してきた道」とあるので、これまでの人生はどのようなものだったのかなと思いをはせています。希望や期待を抱いて、道を選択したときもあったことがうかがえました。きっと、好きなことややりたいこともあったのだろうと思います。また、「もっと人生を真剣に考えるべきだった」と書いていましたが、経験談からはとても人生について真剣に考えている様子が伝わってきました。今からでも考えることは意味があると私は思いました。
何度も書いてくれた「死にたい」は「生きているのが苦しい」「生きるのを終わりにしたい」という言い換えができるのかなと思う一方で、孤独は嫌だ、人とつながって生きていきたいというかすかな叫びにも思えています。こうして、死にトリに声を届けてくれたのも何かの縁だと思いました。そして、あなたの書いた文章に共感する人もたくさんいるだろうと感じました。せっかくつながったので、また必要な時には死にトリに声を届けてもらえたらと思います。お待ちしています。

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