噴き出す思い
双極Ⅱ型を治療中の者です。ADHDの特性を抱え、いじめと虐待によってACや複雑性PTSDといった後遺症に悩まされています。
発症前は大手外資に新卒正社員として3年間勤めていましたが、連続する欠勤とパフォーマンス不足を理由にクビにされました。
発症の理由が仕事が理由に見えますが、過去のアレコレが尾を引いた結果だと思っています。
順を追って説明します。
小学校に入学する前から発達障害の疑いはありました。しかし、権威のあるヤブ医者の判定は「グレー」でした。結果を鵜呑みにしたクソ親は特性を「治せる」と理解したため、教育のためなら暴力暴言脅迫過干渉をするようになりました。
頬を殴られるのは日常茶飯事。言うことを聞かなければヒステリックを起こし、殴ったり殴るふりをして脅してきます。この頃は反射で腕を上げ身を守るようになっていました。
他にもクソ親の蛮行は、
余りにも体罰が酷いので警察に通報しようとすると、「家から追い出す」といったの脅迫をして阻止する。
私の友達を「いまいち」「別れた方が良い」といった侮辱に近い批判評価をする。
どこにも居場所がなく藁にも縋る思いでサブカル文化に逃避しようとするも「気持ち悪い」と一方的に忌避し遠ざけさせようとします。
クソ親自身の価値観しか頭に無いため、気に食わない物や考え方を頭ごなしに否定します。それは息子の考え方であっても変わりはありません。
上記に上げたものだけではありません。しかし、上げたらキリがないはずなのに、防衛機制の忘却の働きで過去の(特に中学生までの)記憶がほぼありません。酷いことをされたことは勿論のこと、愛されていた思い出すら暴力に上書きされ消えていきます。
先ほど「中学生まで記憶」と書きましたが、いじめが過激化したのはこの頃です。本当にこの頃の記憶が無いため何があったか詳しくは書けません。思い出せたとしても病状が悪化するだけですので辞めておきます。自殺を考えたのは中学生からです。具体的な内容まで考えていました。とにかく学校にも家にも居たくない地獄の日々が続きました。そのような環境にいた結果、自我や性格が崩壊して空洞になり、感情は生きるのが辛くなるからと鈍化させました。そのため笑うことも出来ない時期がありました。
中学校卒業後は環境を変えるため、通学に1時間半かかる学校に通うことで身辺の問題は落ち着きました。
しかし生き地獄は続きます。
自分という存在が分からなくなり、ひたすら希死念慮に追い立てられ、それから逃れるように趣味を増やし視野を広げるのに注力していました。新しいこと等に躊躇いな動けることから、クソ親には自信があるように見えたようですが、「出来なければ死ね」「誰も助けない」」と自分を脅し続けることで無限の行動力を得ているだけでした。今振り返れば人をコントロールする方法は、脅迫するしか知らなかったのだと思います。
自分が抱える問題は一切外に漏らさず、しかし裏ではもがき苦しみ続けていました。
とても人を信頼出来る人生ではありません。中学生の時点で「1人で生きる」と言い出し、目に映る全てが仮想敵になった世界で、空っぽの自分を悟られないよう道化を演じ鉄仮面を鍛え続けました。当然、恋愛といったものにも否定的でした。
とにかくクソ親が嫌いでした。同じ轍を踏まないために感情を過剰なほど厳しく律し、奴に負けないよういかなる状況下でも論理思考を出来るようにしました。最終的には上司に「ロボットのようだ」と言われるほど完成していました。
ロボットには幸福が何か分かりません。当初は読書と趣味に真剣に取り組めばいいと考えていましたが、自身の空洞は無くならず訳の分からない飢餓感は消えません。この飢餓感は後に答えがでます。
時間が経てば経つほど、人間らしさからかけ離れていく感覚がありました。
このような状態では職場にも馴染めません。これまでのストレスに加え、ネームバリューで選んだ仕事は苦痛でしか無く、ADHDの特性も相まって最低限の仕事しか出来ませんでした。人を信用せず全て1人で行おうとする私は「人に頼れない」「頼り方が分からない」人間になっていて、同僚からはプライドが邪魔をしているのかと勘違いをされる事もありました。
社会人の期間も現状を変えようと努力しようとしましたが、疲弊していて何も取り組めず、そのうちライフワークの読書すらできなくなり、ひたすらYouTubeを見続ける生活になりました。惨めで悔しくて仕方がないです。
ストレスとADHDの影響で、勤務時間中に麻酔並みの睡魔に襲われることが頻繁に発生しました。考えつく限りの対策を行いましたがどれも効果が無く上司や人事に詰められました。ADHDが影響していることが分かったのは、退職後にストラテラの服薬が効いたからです。
ストレスの影響は生活にも出始め、過食と散財を繰り返すようになり、家事は手がつかなく生活はかなり荒れていきました。
心療内科にかかったきっかけは、出勤前に過呼吸を起こしたからです。そこで適応障害と診断され1ヶ月休職することになりました。しかし、薬の処方はこの時は無く復職後も度々休んでいました。
社会人としてあるまじき惨状であることは疑いの余地がありません。クビの理由としては十分です。
中学生の時は「生きていれば報われる」という妄言に騙されることでなんとか凌げていました。
しかし、クビを宣告された時は違います。これまでの「決意」「意志」「努力」といったものを悉くへし折り否定する結果です。
未来は変えられると、報われることを願い苦しみながらこれまで生きてきました。ですが結局報われることはなくクビを宣告された時は強烈な絶望と自殺願望を感じました。
自暴自棄になり、友人には遺言と所有物の処理を伝え、クソ親が何も手を貸さなければ一家心中を考えるほど心身は荒んでいました。
クソ親の行いが虐待だと認めたのは、荒れた私をカウンセリングに行かせるために、クソ親が勝手に事前相談に行きその時先生に指摘されたからです。
これまでひたすら自分を責め続けました。認められること、肯定されること、尊重されることは今まで一度も無く、クソ親の行いに疑問を持つものの自分が間違いだと思い続けていました。
これまでの行いを謝罪されました。
謝罪されたとき、希死念慮を手放し肩の荷が半分下ろすことで楽にはなりました。 しかし人生を無茶苦茶にされ、これまでもそしてこれからも苦しみ続けることに見合うものではありません。
私は怒ることがありません。喜怒哀楽は生き抜くのに邪魔でしかないと考えていたからです。
ですが、この時は激高しました。生まれて初めて激怒しました。怒ることを許された瞬間でした。テレビやPCなどを破壊し続け、手を貸さないなら自殺すると脅しました。
クソ親は昔から1度実家から自立したら2度と実家には戻らせないと言い続けていましたが、それを曲げて実家に戻ることを許可しました。しかしこれでも満足にはほど遠く慰謝料として体調不良などで抱えた借金の清算を求めました。
この後のクソ親の言動も最悪でした。
借金を清算では無く「肩代わり」という形にし、その他一方的に突きつけた条件を飲めないのであれば、家から出て行けと言い続ける。
7月8月の猛暑の中通院がつらいため車(激安)を買えば、借金がある身で何で車を買ったのか問い詰め挙げ句の果てに「バスで行け」と言い放つ。
家を荒らしていたことから、警察に相談を持ちかける。過去私は警察に通報出来なかったのに、卑怯にも奴らは権力に頼ろうとします。またしても挙げ句の果てに、脅されていたのにも関わらず「通報出来たよね」と言い放つ 。
通院する時間は本来必要の無い時間だと問い詰めれば、「無職で暇なんだからいいでしょ」と言い放つ。ダメだから問い詰めてんだよ。
クソ親と罵ることに抵抗が無くなっているのは、謝罪したにも関わらずその後の言動に慎重さが見られないからです。改善が見られるならここまで言いません。
愛されていたし大切にもされていました。しかし全く尊重されることがありませんでした。これではクソ親の価値基準という鳥かごで飼われるペットでしかありません。
この事に気づいたとき、猛烈に寂しくなったのです。同時に満たされることがなかった飢餓感の正体は寂しさだと気づきました。誰であっても等距離を保ち、近づく者を寄せつけない言動をしていればその飢餓感が満たされるはずがありません。言うまでも無くそれを埋めるすべを持ち合わせてはいません。
しかも、服薬治療が進むほど緊張状態?臨戦態勢?が崩れることで、抑え付けていた感情が噴き出てきて何度も泣きました。到底1人で抱えきれるものではなく、初めて心の底から助けて欲しいと、支えてくれるパートナーが欲しいと思いました。
ですが無職の障害者に対する世間の風当たりは甘くはありません。それは就職であっても恋愛であっても変わりは無く、何も抱えていない人との差は歴然でしょう。
加えて対人スキルは皆無です。人を遠ざけていたのもありますが、人や会話に対して無意識に恐怖を抱いていることに気がつきました。ここまで読んで頂いた方には、こうなった十分な理由と経緯を私は明らかにしているはずです。ですが、3784文字に及ぶ経緯を知らない人はどうでしょう?
「何も無かった人」らは当たり前のように同じスタートラインに立つのを求めます。しかし私には高すぎる壁が、底の無い谷が見え、それを超えることに怯えています。「何も見えない人」には私が何に怯えているか皆目見当がつきません。理解を求めることも自分の経歴を伝えることも出来ませんし、なによりも知る必要がありません。
どうしようもないハンディキャップと経験値の差、待遇の違いを見せつけられる度にやるせなさを感じます。
理不尽です。いじめも虐待もやったもん勝ちです。クソ親は家も車も家族も手にしました。私には障害しか残っていません。休めば休むほど手に入るハズだったものが、こぼれ落ちていくのが見えます。
ここまで死力を尽くして生きてきました。それはこれからも変わらないようです。
座右の銘は臥薪嘗胆です。復讐と成功のためなら何だってやります。
ただ、もう薪の上に臥すことも胆を嘗めることにも疲れました。
いい加減報われたいです。
感想1
あなたの過去からの体験と、それを振り返るあなたの分析、現在のあなたが感じている理不尽な物事への憤りを教えてくれてありがとうございます。私自身もADHDと双極2型障害の診断を大人になってからされた者で、先天的な自分の特性に加え、幼少期からの様々な要因が現在の自分を形作っていると感じているので、少しだけ重なるような気持ちにもなりながら読んでいます。
「暴力暴言脅迫過干渉」の中であなたが生き延びてきた中には「生き地獄」と呼ぶ他ないような苦痛がたくさんあったことを感じました。あなたが「脅迫するしか知らなかった」というのは無理も無いことだと思いましたし、抑圧-被抑圧、支配-被支配という上下的な人間関係やコントロールの方法以外に、水平的で協調的な他者との関わりや自分との付き合いを覚えることって、なんと難しいのだろうか…ということを考えていました。あなたの親ももしかすると脅迫や支配といった方法ではない他者との付き合いをあまり覚える機会なく生きてきた人なのだろうか、とも想像しています。(これは私自身の親を見てそう思うことがあるので、それを勝手に重ねてしまっているところがあるかもしれません…。ずれていたらすみません。)だからといって仕方ないということではもちろんなく、あなたが受けてきた計り知れない暴力は消えるものではないし、受け入れるべきものということでもないと思います。
「生きていれば報われる」という言葉によって、騙し騙しでも生きながらえ、命をつないできたことを感じています。私も仕事のパフォーマンスが安定せず、無理をしてはすぐに抑うつ状態になることを繰り返して、無理やり辞めさせられたり、続けられなくなったことがあります。足場が安定しない中で生きているような感覚が私にはあるのですが、「何も無かった人」らとの隔絶を感じるあなたの記述を読んで、勝手ながら、わかるなぁと感じました。
文章を読んで、怒ることがなかったと書いていたあなたが激怒したこと、感情が噴き出て涙を流たことなどは、あなた自身があなたが感情を持つことを(一部でも)許せることが増えたからだとも言えるのだろうかと思いました。自分を責め、脅迫して押さえつけることで、あなたは自分に感じるまま感じることを許さない状態のままでいることで、どうにか生きてきたのはまさに緊張状態だし、戦い続けてきたということだったのだと思います。そのモードでい続ける以外の方法を服薬などによって少しずつ獲得しているところなのかなと思います。理不尽なことに憤ることも、悲しむことも、あなたが感じることすべては、あなたが持っている当然の権利のひとつだと私は思います。ただ、一方では、怒りや噴き出てくる感情にも消耗することもあると思うので、難しいところだとも思うのですが……。
感情も、記憶も、苦痛も「到底1人で抱えきれるものでは」ないのはもっともなことだと思いました。それが世の中では「家族」とか「パートナー」とかで支え合うことになっているようだから、あなたも「パートナーがほしい」と感じたのかな、と思いました。
私は正直にいうと家族やパートナーなどのごくわずかな近い人だけで抱えさせるような世の中は問題が大きいと感じています。家族だって気が合わなかったり、問題があることはとても多いし、恋愛関係などでもあなたも書いていた「尊重」を得られたり、学べたりする機会ばかりでなく、抑圧が繰り返されてしまうことがたくさんあります。その理由の一つは、しんどさやさびしさ、苦しさや弱さ、うまくいかなさを共有することがよくないとされやすいからなのではないかと私は思っています。死にトリは感じていることを共有する場の一つではありますが、もっと多くの、安全に抱えきれないものを分けあえる場所や方法が必要だと思っています。
あなたの「報われたい」という願いは切実で、しかも当然のことだと思いました。「いじめも虐待もやったもん勝ち」というのは、ある意味ではそうなのかもしれませんが、加害者側も結局は支配の論理の中にしかいられないという意味では結局は「決められたゲーム構造に巻き込まれている」だけのようにも私には思えます。そう考えると、「報われる」ということはその勝負の中で勝つということではなく、むしろその勝負から逃げ延び、その構造自体から降りていくことの中にあるのではないかと私は思っています。
もちろん、支配や抑圧の仕組みは社会の中であまりにも蔓延しているので、それから脱することは簡単なことではないかもしれませんが、私は(日々死にたくなったり、殺したくなったりもしつつも)、そういう方法をずっと探しています。……御託をダラダラと並べてしまいすみません。あなたは、否応なしに抑圧の構造に巻き込まれながらも、その構造自体とも戦ってきたのだろう、と文章から感じていたので、その力に感化されながら、なんだか自分の思いをあれこれと書いてしまいました。もしできるなら、状況を理解しようとし続けてきて、疲れながらも生き延びてきたあなたとまたこうやって言葉を交わしたいと願っています。