経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
19歳で精神障害者になりました
私は今現在
・うつ病
・ADHD(疑惑あり)
・ASD(疑惑あり)
・躁鬱(疑惑あり)
を抱えています。
私は”普通”に人生を送りたかっただけなんです。
普通に学校に通って、普通に就職して、普通に結婚して、普通に老後の生活をして…。
全部全部、精神疾患で壊されました。
私にうつ病の診断が下されたのは今年の6月ですが、中学生の時から社会不適合者だなという自覚はありました。人間関係に失敗して中学二年生で不登校になり引きこもり、起立性調節障害を発症して朝方全く起きられなくなりました。当時の私は「死にたい」と思いながら生きいたと思います。学校に行けなくて、勉強もできなくて、何もすることがない。暇つぶしでやり始めたゲームも楽しくない。こんな状況下で私のメンタルはどんどん弱っていき、1番酷い時には親に「お前らが勝手に産んだのに、どうして死なせてくれないんだ!」と言って泣かせたこともありました。
中学三年生になる頃には、「私は高校になんていかない!死ぬから!」と言って、ろくに受験勉強もしなかったので、親が選んだボーダーフリーの底辺通信高校に入学しました。
ですがその底辺通信高校で私のメンタルはどんどん回復していき、「生きるのって楽しい!」って思えるほど元気になったんです。
この時の私の瞳は希望と期待で満ち溢れていました。
高校卒業後、4月に大学に入学してからGWまでの間、人生の”最高潮”とも言えるような最高の日々を過ごしました。
しかし、GWが明けると…。
起立性調節障害の時と同じく、朝方全く起きられなくなりました。食欲も無くなり、一日何も食べないでベッドの上で寝たきり生活をしていました。人生の最高潮の時間が一気に最底辺にまで落とされました。
私は無気力でした。何も考えられませんでした。
見かねた親が6月に私を心療内科へ連れて行ってくれました。そこで初めて、「うつ病」と診断されました。
私は思わず泣いてしまいました。どうして自分がこんな目に会わなくてはいけないのか、と。
そこから絶望の日々が始まりました。
通院する度に次々と精神障害が顕になっていき、最終的に冒頭の数分の精神疾患を抱えることになってしまいました。そんな状態の私に追い討ちを書けるように主治医から「障害者手帳三級取れるよ。」と言われてしまいました。
私はどうして”普通”になれないんでしょうか。
どうしてこんなにも生きづらさを感じなくちゃいけないんでしょうか?
どうして自分ばかりこんなに苦しまなくちゃいけないんですか?
私は”普通”になりたかっただけなのに。
富も名誉も地位も要りません。私が今最も欲しているのは”普通”です。
親や先生の前では元気なふりをしているけど、正直もう限界です。
もう誰にも頼れません。
この気持ちを分かってくれる人が周囲に誰もいません。
精神障害者で社会不適合者のレッテルを貼られた私はこの先どうすれば良いのでしょうか。
今は大学を休学して日雇いバイトで日銭を稼いで生活してますが、この現実逃避がいつまで持つか分かりません。
正直に言うと、自殺したらこの苦しいだけの世の中から解放されて楽になれるのかな。と思っています。
もう何をどうしたら良いのか分かりません。
生きてく方法すら分かりません。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
普通や障害というワードが、あなたにとって大きな力をもっていることをひしひしと感じました。そして、それだけあなたが普通に強く意識を向ける気持ちを想像したときに、「普通」=「あなたにとっての安心・肯定できる自分」のイメージなのかもしれないと思いました。逆に言えば、あなたが何にどう不安を感じていて、何に価値を感じているかを率直に語ることのできる機会があれば、普通以外の幸せや達成の形も見えてくるのかも…?と感じたりしています。
感想を書く上で自己紹介しておく方が誠実な気がするので書いておくと、私は精神障害者保健福祉手帳の3級をとっていたことのある30代です。診断名は双極性障害とASDです。
ただ、私は20歳~今にいたるまで、ずっと精神障害者保健福祉手帳3級を取れる要素の持ち主ではありつつも、実際に手帳をとったのはお金に困った2年間だけでした。だから手帳は自分が使いたいか否かで取るかを選べばいいし、変な話、あなたからすると普通に生きているように見える人の中にも、3級を取れる人は全然いると思います。
ただ、そんなことは言えども、私も手帳をもっているときは周りにそれを知られるのが嫌でしたし、今ここに書いているのも実は抵抗があります。それはなんでだろうなあと自分に向き合ってみると、精神障害「者」の部分が引っかかっていたような気がします。
精神疾患は治るものだから「障害のある人」じゃなく「障害のある状態」だし、私の場合は発達障がいでの困り感はあまりなかったのでそこで「障害者」といわれても違和感だし、なんだか自分の生きづらさが不本意に定義されて確定されてしまう感じに、心がざらざらしていました。もし名前が障害者手帳ではなく「今私には公的な支援が必要ですパスポート」みたいなものだったら、きっと受け止め方は全然違ったように思います。
だから本当は、それぞれが自分の生きづらさを自分の言葉で語り、どんなサポートがあれば生きやすいのかを周りと一緒に考えていくことが、生きていくためには大切なのかなと思います。主治医がそのような意図で「障害者手帳三級取れるよ」と言ったのかはわからないですが、それはあなたに障害者や不適合者のレッテルを貼るためでなく、何かしらサポートを受けるために便利だと思ってのことだと私は想像しています。
この経験談では、生きづらさの質やエピソードはあまり描写されていなかったので、どんな出来事があり、どんな生きづらさがあったのか、もっと丁寧に聞いてみたくなりました。私は、あなたが個性やエネルギーのある人なのかなと勝手に想像していて、そんなあなたらしさが安定して発揮できる環境や自分の力加減を覚えていくのは少し大変かもしれないとは思いつつも、色々と道はあると思っています。ただ、それを一人で考えて試行錯誤していくのはとても大変なので、まずはネットでも何でも、あなたの不安や気持ちを出せる場所、元気なふりをしなくても大丈夫な場所を見つけていけたら・・・と心から願いたくなりました。
よかったらまた死にトリにも、いつでも書きにきてください。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
普通や障害というワードが、あなたにとって大きな力をもっていることをひしひしと感じました。そして、それだけあなたが普通に強く意識を向ける気持ちを想像したときに、「普通」=「あなたにとっての安心・肯定できる自分」のイメージなのかもしれないと思いました。逆に言えば、あなたが何にどう不安を感じていて、何に価値を感じているかを率直に語ることのできる機会があれば、普通以外の幸せや達成の形も見えてくるのかも…?と感じたりしています。
感想を書く上で自己紹介しておく方が誠実な気がするので書いておくと、私は精神障害者保健福祉手帳の3級をとっていたことのある30代です。診断名は双極性障害とASDです。
ただ、私は20歳~今にいたるまで、ずっと精神障害者保健福祉手帳3級を取れる要素の持ち主ではありつつも、実際に手帳をとったのはお金に困った2年間だけでした。だから手帳は自分が使いたいか否かで取るかを選べばいいし、変な話、あなたからすると普通に生きているように見える人の中にも、3級を取れる人は全然いると思います。
ただ、そんなことは言えども、私も手帳をもっているときは周りにそれを知られるのが嫌でしたし、今ここに書いているのも実は抵抗があります。それはなんでだろうなあと自分に向き合ってみると、精神障害「者」の部分が引っかかっていたような気がします。
精神疾患は治るものだから「障害のある人」じゃなく「障害のある状態」だし、私の場合は発達障がいでの困り感はあまりなかったのでそこで「障害者」といわれても違和感だし、なんだか自分の生きづらさが不本意に定義されて確定されてしまう感じに、心がざらざらしていました。もし名前が障害者手帳ではなく「今私には公的な支援が必要ですパスポート」みたいなものだったら、きっと受け止め方は全然違ったように思います。
だから本当は、それぞれが自分の生きづらさを自分の言葉で語り、どんなサポートがあれば生きやすいのかを周りと一緒に考えていくことが、生きていくためには大切なのかなと思います。主治医がそのような意図で「障害者手帳三級取れるよ」と言ったのかはわからないですが、それはあなたに障害者や不適合者のレッテルを貼るためでなく、何かしらサポートを受けるために便利だと思ってのことだと私は想像しています。
この経験談では、生きづらさの質やエピソードはあまり描写されていなかったので、どんな出来事があり、どんな生きづらさがあったのか、もっと丁寧に聞いてみたくなりました。私は、あなたが個性やエネルギーのある人なのかなと勝手に想像していて、そんなあなたらしさが安定して発揮できる環境や自分の力加減を覚えていくのは少し大変かもしれないとは思いつつも、色々と道はあると思っています。ただ、それを一人で考えて試行錯誤していくのはとても大変なので、まずはネットでも何でも、あなたの不安や気持ちを出せる場所、元気なふりをしなくても大丈夫な場所を見つけていけたら・・・と心から願いたくなりました。
よかったらまた死にトリにも、いつでも書きにきてください。