私は小学四年生の時にいじめを受けた
最初はなにもわからずこれがいじめなのかもわかっていなかったでもどんどんそのいじめは酷くなってそこで気づいた
いじめのことを先生に相談したけどもう遅かったのか先生も味方にはなってくれなく私から味方は消えたでも唯一味方だったのは音楽と先輩だったでもその時の自分は人を頼るということを知らずずっといじめのことを隠していた
今いじめはほとんど無くなったけどまだ怖い気持ちはたくさんある
でも今は前の自分と違うだって自分の気持ちを少しだけ相談できたから
今はネットでも相談できるし先生だっていろんな人がいるということがわかった
最初は誰にも相談できなかった自分だけど今はいろんな人に相談している人を頼ることは悪いことじゃないし世界にはいろんな人がいるから自分の気持ちをわかってくれない人だってたくさんいる
だから私は誰もわかってくれないからと自分の気持ちを閉じ込めのではなく、少しでもいいから自分の気持ちを誰かに話すことが大切だと思いました
これを読んだ人に言います
今辛いことで大変で死にたいや消えたいと思っていると思うけど人生は長いからいつどこで何が起きるか本当に誰も分からないから今を大切に生きてそして少しでもいいから楽しいこと笑えることを見つけてなんでもいいよ!
そしてずっとずっと苦しまないで
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
閉じ込めないで自分の気持ち
感想2
過去の経験から、人に頼ることについての意見を発信してくれたのですね。経験したからこそ伝わる思いが込められていることを感じました。そして、いじめられた経験が長い期間が経っても、あなたの中に怖い気持ちや不安を与えていることもうかがえました。
小学四年生といえば、ちょうど、自分を取り巻く環境について少しずつ客観的にとらえることができ始める時期なので、いじめに気づくことができなかったのも自然なことだろうと思いましたし、そのうえで、気づいた時のショックやダメージもじわじわとあなたの中に残っているような印象を受けました。
そのような状況でもあなたが人を頼ることができたのは、あなた自身の力とそれまでの経験で人を頼ってもいいという感覚がどこかにあったからかもしれません。そして、音楽の力も大きかったのではないかと思います。あなたの経験談から、人を頼ることの大切さも強く感じましたが、同時にその難しさも改めて感じました。死にトリに来ている人たちもそれぞれのつらさや苦しさを抱えているので、頼りたくても頼れない人がいるかもしれませんし、頼ることのイメージがまだまだわかない人もいるかもしれません。そんな時にあなたが書いてくれた「音楽」のように人以外の頼れるものに着目するのも一つの方法だと思いました。
相談すること、人を頼ることは本当に難しいと思います。だから、頼れてもいいし、まだ頼れなくてもそれも自然なことだと思いました。
感想1
あなたがいじめの辛い状況の中で相談できない日々から、ネットや先生に相談したり、頼ったりする方法を少しずつ知ってきた中での変化も含めて、経験を教えてくれてありがとうございます。今困っている人へのメッセージでもあるし、困っていた、以前のあなたへのメッセージでもあるような感じがしました。
今も「怖い気持ちはたくさんある」と書いてあるので、なにもかもの問題が解決したわけではないのかなと思うのですが、その中で、あなたなりの対処方法を、自分の気持ちを「閉じ込めない」で「誰か」と関わることの中に見つけたのだと思います。人に頼ること自体も簡単じゃないし、あなた自身もなかなか頼ることができなかった頃があったから、振り返ってみて、「頼る」ことを大事だと感じたという面もあるのかなと思います。
人によって傷つけられることもあるし、理解されなくて悲しいこともあるかもしれないし、一方では人が支えになることもあります。「頼る」ことがなかなか難しい状況も多いと思います。本当なら、人に「頼る」やり方や方法を学校などで小さいときからいっぱい学べたらいいのになぁ、と、あなたの経験談を読んでいて思いました。
「そしてずっとずっと苦しまないで」という言葉は、なんだか、祈りの言葉のように私には響きました。私も、いろんな大変なことがある中で、苦しさを減らすこともとても難しいとは思いつつ、それでも、この世の中でいま苦しんでいる人の苦しさが少しでも減っていくことを願っています。