小学六年生女です。
私には親友がいます。親友は私とは程遠い陽キャで可愛くてモテる、もちろん優しい。嫌味が思い浮かばないほどの完璧な子です。
私は四年生の頃に仲が良かった陽キャの頂点の子と仲が良く、5年6年とクラスが離れ話すらしなくなりました。でも、夏休み(8月中旬)ごろにLINEをもらい、勇気を振り絞り話しかけると、遊ぶ約束まで作るほど仲が深まりました。ですが、最近はあまり話さなくなり帰り際に「バイバイ!」と言い合っていたのも、もう何もしなくなり、親友と2人で歩いても「〇〇(親友)バイバイ!」と言い、私はまるで空気のような扱いです。せっかく仲良くなれたのに、プライドは高いのにメンタルは弱いブスといういい所の無い私には長続きせずに終わりかけ。本当に辛いです。もし私が死んだら私のことを嫌いな人は喜び、私のことを好きな人は私のために泣いてくれると考えると死んでもいいなと言う考えにつきました。
でも、生きたいです。死にたくないです。本当に辛い。
そして親友ちゃん、勝手にヤキモチ妬いて最終的にはネチネチ裏で言うようになってごめんなさい。死ねば良かったですね。わたし
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
友達関係
感想2
陽キャの頂点にいるようなキラキラした友達、そして褒めるポイントばかりの親友に対して、複雑な感情を抱えながら過ごしている様子が伝わってきました。友達と関わること自体にも辛さがあるのかなと思うのですが、なによりも「友達にこんな扱いをされる私なんて」と自分を責め続けることが一番辛いのかなとイメージしました。学校に通う毎日の中で「自分なんて」みたいな気持ちがぐるぐる渦巻き続けているのだとしたら、とてもしんどいし、その辛さをどうしていいかわからなくなってしまいそうだなあ…と感じました。
友達から、目の前で扱いを明らかに変えられたら戸惑ってしまうし、「そんな態度を取られる自分に問題があるのか…?」とたしかに思ってしまうよな、と共感しています。一方で、本当は、友達が自分をどんなふうに扱っても、どんな人と仲が良くても(良くなくても)投稿者さん自身の良さや意味みたいなものとは無関係のはず、とも思いましたが、投稿者さんの中ではそこは結構密接につながっている感じなのでしょうか…そのあたりはもう少し聞いてみたくなりました。
今は小学6年生ということで、まだまだ「学校」という場所での人間関係は続いていくと思います。自分自身にも学生時代がありましたが、その狭い人間関係の中でたくさん一喜一憂していたなと振り返りました。ただ一つ言えるとしたら、学校で出会う人は自分にとって本当にごくわずかですし、相手はあくまで他人で、自分の存在価値を決めるような力は全然持っていないですよ…!ということは、勝手にですが伝えたくなりました。すぐに何かが解決するのは難しいかもしれないですが、今後も死にトリで一緒にいろんなことを考えてみたいなと思っています。投稿ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
あなたが学校生活の中で感じた、嬉しい気持ち、モヤモヤな気持ち、後悔している気持ち、辛い気持ち、葛藤している気持ち…たくさんの感情が、読んでいて伝わってきました。
あなたにとっての親友さんは、その名の通り「親友」と呼べる、時には憧れる方なのだと推測しました。そんな親友さんにだけ「バイバイ」と言う姿を見たら、「なんで私は言われないんだろう」「親友ちゃんだけ羨ましいな」という気持ちに私だったらなるかも…と思いました。
また、「でも、生きていたい」「死にたくない」という思いが、なんだかあなたの心からの言葉のように感じて、あなたの辛い気持ちの中でギュッと絞って出てきたSOSなのかな…なんて勝手ながら頭の中でグルグルしていました。
自分語りにはなってしまいますが、私も「親友」と呼べる子がいました。その子がいつも周りの中心にいて、私は「すごいなぁ」と思うと同時に、「羨ましい」「私じゃダメなんだ」と感じるようになったんです。その親友の子は好かれていて、でも私は相手にしてもらえなくて…。こんな経験をした私ですが、もしあの頃の自分に何か言えるのであれば、「その気持ちは自然な気持ちだよ」と言いたいと思っています。(これが正しいか間違っているかは分からないですし、あなたと同じ経験をしたとも言えないですけれどね…)
なかなかモヤモヤが切り離せない中で、こうして言葉にして書いてくれてありがとうございます。また良かったらお話し聞かせてください。