私は昔から人を頼れないし信用してない、嘘つきな人間です。どうしてそうなってしまったのか自分でもよくわかりません。
小学から中学にかけて周りの人達に嫌がらせをうけました。何度も何度も顔を馬鹿にされました。ストレスで体重が10kg落ちゃって。いまさら容姿を褒められても、心から喜べません。
中学で大好きな友達がいました。でもある日から学校来なくなってしまって。どうして私は寄り添ってあげられなかったのかなあって思うんです。でもきっと周りと壁を作ってしまう私は、誰かを助けられるわけがないのかなっても思います。私はひどい人だから。自分のことを好きだって言ってくれた人のこと馬鹿にして、遊んだせいで不登校にさせてしまうような人だから。そんな自分が許せないし大嫌いです。
私本当はお姉ちゃんが2人いるんです。でも、周りの人には「お姉ちゃんは1人」ってずっと言ってます。違うんです。本当は、3年前に亡くなっちゃって。でもそんなこと言えないじゃないですか。だからずっと自分の首をしめるような嘘をつき続けてきました。お姉ちゃんの分まで最高に楽しく生きてやろうって約束したのに、想いを託されたのに、私はなにも上手く生きれてない。それどころか、どうして私が生きながらえてしまっているのかななんて、最低でしょ。本当に早く死ねばいいと思いますこんな人間。
その後すぐにお母さんががんで入院することになって。ああまたいなくなるのかなって思いました。幸い今は元気でいてくれています。大事な人を失うのが怖くて怖くて仕方がないんです。
最近は勉強も思うようにいきません。先生や友達は私のことを頑張ってるよってたくさん褒めてくれます。でも、私はそうは思わない。なにも結果が出てないから、それは頑張ってるなんて言わないです。期待してくれた人達に申し訳ない。いつがっかりされちゃうのかなって思います。私はもっと頑張らないといけないんです。いい大学行って、お金をたくさん集めて、家族とか、大事な人に恩を返したい。お金がないとなにもできないのは、十分学んできました。
私はきっと友人に恵まれています。話聞くでって言ってくれる人がたくさんいます。でも言えないですこんなこと。みんなが期待してるのは、普段何も考えてないふりしてばかみたいなことしてる自分だから。本当はこんな弱い人間だなんてこと知られたらがっかりされてしまうって怖いんです。
ふとした瞬間明日が怖くなる時があります。このまま消えてしまえたら楽なのにって思う時があります。どうしたら私は私を救えるのか、自分が分からなくなるんです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分が分からない
感想2
40代に突入した私よりも、ずっと若いと思われるあなたから「どうしたら、私は私を救えるのか」という言葉に、抱えてきた痛みと共にたくさん考えなきゃとぎゅっと濃縮した時間を感じました。学校でのからかいは、周囲が思っている以上に自分を傷つけ「自己否定」の始まりだったのかなと想像します。何となく自分はダメという思いにうっすらと支配され、どうやったらこのダメという気持ちが取れるのだろうと、あれをやったりこれをやってみたり、そんな試行錯誤が「自分のことを好きだって言ってくれた人のこと馬鹿にして、遊んだり」「普段何も考えてないふりしてばかみたいなことしてる自分」なのかなと思いました。3年前に亡くなられたお姉さんのこともご自身の痛みだけではなく、ご家族の悲しみもどうやって受け止めたらいいのだろうと、自分を責めることでその気持ちを収めたようにも感じます。そんな中でのお母さんの入院は、本当に辛かったと思います。あなたは人に優しく自分に厳しい、そうやって厳しくしていないと自分の居場所が危うくなると思っていたり・・?私自身も学生時代は、近しい友達ほど自分を追い込む(期待され)、椅子取りゲームに負けられないといつもゼイゼイと息を切らし焦燥感でいっぱいでした。
とても無責任なことを言うようですが、たくさん考えて色んな経験をし誰かの気持ちを推し量ろうとしてきたあなたは、きっと明日の自分を救うための準備をしていて、ぐらぐらとしていた歯がポロっと抜けるようにあっさりと「自分は大丈夫」と、思える日が増えていくように思います。つれづれな返信を最後まで読んでくれてありがとうございます。投稿ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。あなたの経験談を読んで、あなたが二つの(あるいは、もっとたくさんの)世界線を生きなければいけなくなってしまって、その中で迷子になっているようなイメージを持ちました。なんだかすごく曖昧な表現ですみません。たとえば「お姉ちゃんは1人」の世界線と、亡くなってしまったお姉ちゃんのことを覚えているあなたの記憶には、きっとずれが生まれているのだと思います。それから、中学の大好きな友達になにか別のことができたかもしれない世界線。「何も考えていない」あなたが困ったり悲しんだり怖くなったりせずに生きている世界線。それはもちろん、現実の過去・現在・未来の事実に近いものもあれば、遠いものもあると思います。
でも、考えてみれば、私たちはいつも、そういうIFの世界や、あるいは「こうだったかもしれない」の世界をふらふらしながら生きているところがあるのかもしれないとも思いました。たとえば、ある人が亡くなったことを知らずに生きている間、私はその人が「生きている」ものだと思いながら生活しているということがあります。それは誤解といえばそうですが、そういうことは案外多いのかもしれないと思ったりします。
「嘘つきな人間」とあなたは自分のことを書いていましたが、私もけっこう嘘をたくさんついてきた気がします。どうでもいいことでも嘘をつくことがあるし、大事なことでも嘘をつくことがあります。自分にとって大事なことほど、人には言えないということも多いなぁと個人的には思います。あなたが亡くなった「お姉ちゃん」に対して感じてきたこと、覚えていること、思うこと…などは私にはわからないことがほとんどですが、きっと簡単に取り扱えないくらいあなたの人生に大きな影響を持つ存在・出来事だったからこそ、3年前に亡くなったことを周囲に説明するのが難しいという部分もあるのかなと思いました。(違っていたらごめんなさい。)
その喪失を経て、お母さんの入院もあったら、すごく心配になったり、いろいろ想像してしまったりすることもあると思います。また、学校では嫌がらせがあったこともあるなかで、勉強では成果をだして、がんばって…ということを続けるのも、色々な方向の努力が必要になってしまいそうです。文章から、あなたは元々努力家の人なのだろうなと思うのですが、そういう状況の中では考えることも気にしなければいけないこともたくさんあって、「自分」も一筋縄ではいかなくなってしまうのも無理はないのではないかと私は感じました。
最初に複数の世界線にいるあなた、ということを書いたのですが、そのどれかの側面だけがあなたというわけでもなく、重なり合いながら存在しているあなたでいても大丈夫なのではないか、とも思いました。「ばかみたいなことしてる」あなたもいれば、あなたが「弱い」と感じるあなたもいるし、怖い時もあれば、頑張れる時も、頑張れない時も、消えてしまいたい時も、疲れている時のあなたもいるし、それ以外のいろいろな瞬間のあなたがいるのだと思います。あなたにとってこういう自分は嫌だとか、よくないと思う瞬間のあなたもいるのだと思いますが、私はそれも含めて、生きてきて日々を過ごしているあなたと、こうやって言葉を交わせたことをすごくありがたく感じています。
最後に、あなたの文章の主題からは外れてしまうかもしれませんが、「お金がないとなにもできない」ということもないとは思いつつ、お金がとても重視されてしまう社会であることはたしかだな……と苦々しい気持ちでいます。私はたくさんの人が気持ちよく暮らせるためには、「お金がないとなにもできない」と多くの人に思わせている、お金が十分でないだれかが困ってしまうような社会自体を変えていかないといけないと感じています。そのためになにができるかと言われると、画期的な方法は思いつかないし、むずかしいですが……。
だれかを救う方法を私は見つけられていないし、自分の気持ちや体調をどうにかするのもとてもむずかしいまま生きているのですが、一人一人が困っていること、苦しいことを持ちより、すこしでも分かち合える場所が増えていくといいのかなぁ…とも思いました。経験談を投稿してくれてありがとうございます。また、あなたの感覚や思いを聞かせてください。