経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

諦観、無気力

人生、もうどうでも良い。
あんなに頑張ろうと思っていた「人間関係」も「学校」も、どうでも良くなった。
なんかもう、全部だるい。
面倒くさい。調子が悪いときは、体を動かすのもすごく億劫だ。
最近、特に1人のとき、馬鹿みたいに腑抜けていた目つきが悪くなり、高かった声色も諦観や失望が滲み出ているような、低くてぶっきらぼうなものに変貌してしまった。
本当はもっと笑顔で明るく振る舞わなければいけない。親にも散々言われ、「どんな時も笑顔でいなさい」と約束したのに。こんな顔していたら、もっと皆に嫌われるのに。気づいたらこんな感じだ。自分でも気味が悪い。
どうしてこうなってしまったんだろう。
私は小1でちょっとしたいじめに遭った。物を盗られたり、プリントを汚されたり、呼び出されて『試練』という名目で校庭を追いかけまわされて、「やっぱりお前って足遅いよな笑」と馬鹿にされたり。でも別に、よく聞く暴力を振るわれたり、先生と一緒にいじめられるようなひどいものではない。校長が「これはいじめの範疇に入らない」と言うくらいに甘いものだった。しかも全部私が悪いのだ。私は昔から馬鹿正直な人間だった。だから、クラスメイトに「私って臭いのかな」と言われて、そうだったら迷わず「うん」と答えていた。どんな温厚な人間でも逆鱗に触れるような真似を平気でしていた。小1の子供にとっては、私はどれだけ風変りで気に入らない人間だっただろう。いじめられて当然だ。
そのせいか、悪い噂を広められたからか、私はそれ以降、どのコミュニティに属してもまともな人間関係を築くことができなかった。
でもやっぱり、そんなの嫌である。だから受験をして、新しい中学校で人間関係を1からやり直すことにした。
正直受験はつらいことの連続だった。当時から私は孤独とストレスから逃避するべくネットにのめり込んでいたので、ネット依存症になっており、なかなか勉強に集中できなかった。親にたくさんの学費を出させてしまった罪悪感も湧き上がる。おまけにこの頃から、母親が機嫌が悪くなるとヒステリーを起こし、私に泣いても怒鳴ったり、殴ったり蹴ったりするようになった。最も、当然の報いなのだが。父親は私に甘い方だったので、こんなドラ娘放っておいた方がいいのにわざわざ庇い、母親と喧嘩になるので、家ではたまに怒号が飛び交っていた。
そんな中、私は比較的頭の良い方だったので、学校に受かり、これでやっと友達ができると喜んでいた。
入学してから、初めのうちは良かった。死に物狂いで沢山の人に話しかけたからだろうか。とにかく悪い意味で「一生懸命」だった。
ただ、だんだんと弊害が出てきた。発端はクラスの中心にいる男子からの「〈私〉さんてキャラ薄いよね」という一言。正直本当に傷ついた。頭が冷え、目の前がどんどん真っ白になる感覚。これを「絶望」というのだろうか。とにかく怖かった。
また、私は俗にいう「ダメ人間」だった。提出物を期日までに出せなくて、未だに自由研究を終わらせていなかったり、どこでもみんなの足を引っ張ったり、よく遅刻したり。
こうなったら、もう最悪である。
今は先生方の尽力によって嫌がらせはなくなったが、あだ名をつけられたり、陰で馬鹿にされたり、舌打ちをされたりと、もうめちゃくちゃだった。
どうして私はこうも他人と関わることができないのだろう。
もう、諦めた。私はもう、ひっそりと生きていこう。幸い2、3人だけど友達はいる。
でも、余裕がなくなってしまった私には、そんな簡単なこともできなかった。
1番仲の良かった友達は、俗にいう完璧な人間で、よく私にアドバイスをしてくれた。でも、それがいつからか上下関係に変わってしまった。彼女はとにかく自慢話が多く、ただでさえ疲弊している私にとって、聞き流せるようなものではなかった。また、私のうじうじした性格をとにかく責める。もう関わるだけで疲れる。理由はよくわかる。毒親の元で生まれ育ったからだ。母親はネグレクトとモラハラ・暴力を繰り返し、父親は彼女にまったくもって関心がないらしいのだ。いじめ・教師からのセクハラも経験し、時には命も落としかけたらしい。私なんかよりもよっぽど苦労をしている。だからこそ、もう関わりたくない。
彼女と関わるのをあきらめてから、私には友達と呼べるような人がほとんどいなくなってしまった。というか、もう他人と関わるのが億劫になってしまった。
これでも私は恵まれている方だ。親だってヒステリー起こさなければ何だって私の為に尽くしてくれる。むしろ過保護なくらいだ。お金だって十分に持っている。
なのに私はどこまでも親不孝だ。
おまけに何もできやしない。
もう無理だ。
どうせ私は将来酒やタバコに溺れ、1人狭苦しいワンルームの一室で孤独死する運命なのだ。ここまで社交的になれない人間など、死んで当然なのだ。
私は、こんな小さな障壁にも立ち上がれない、一族の恥だ。失敗作だ。
もう、こんな自分のことを消し去ってみたい。
死にたい。

感想1

投稿、ありがとうございました。冒頭で、「あんなに頑張ろうと思っていた「人間関係」と「学校」がどうでも良くなった」と書かれていますが、あなたが「あんなに」と表現するほどのモチベーションすらもなくなってしまう、それもうなずけるような経験をされたんだなと感じながら読ませていただきました。

私が感じたのが、人と関わるなかで感じる難しさってどうしてこんなにも多いのだろうとこと。そして、人とうまく関われなかったときに生じる負荷みたいなものを、あなたは多く背負っておられるように見えたということでした。
あなたが親から受けた「どんなときも笑顔でいなさい」という言葉や、小学校のいじめ(「ちょっとした」と付け加えなくてもいいと私は思いましたし、いじめかどうかを校長先生が決めるのもうーむと思ったことはまた別の話です。)などによって、あなたらしさ・ありのままを受け止めてもらえなかった心細さや、上手くいかなかった場合は自分が変わっていかなければならないという感覚が生じたのではないかと勝手ながら想像しました。
とはいえ私としては、あなたの人と関わる際の行動には、実直さ・誠実さがにじみ出ているように見えたので、それを尊重したい気持ちにもなっております。そのため、どんな形でも人との繋がりのために一生懸命だったあなたへ男子がかけたという言葉には、読んでいるだけでも呆然としてしまいます…。正直不躾な発言だなと私は思いましたし、あなたのしてきたことを(その方がどのような意図であなたに言ったのか、分かりかねますが)あざ笑っているようにすら思えてしまって…。うまく言葉にできないのですが、あなたのことをそんな一言で片付けないでほしかった、せめてもっと知ろうとしてほしかったと思わずにはいられませんでした。

学校・家庭での経験をうかがったためか、あなたが人一倍「人と繋がること」への思いを持っておられることを感じています。同時に、あなたにとって人と関わるためには、相手に合わせてご自身を柔軟に変化させることが不可欠な要素として捉えておられるように感じます。そのためにずっと気を張っておられたのではないかと思えたので、その状態でいるところにご友人からのアドバイスが放り込まれるのはしんどかっただろうし、抱えきれなかったのではないかと私は思いました。私の感覚の話になってしまいますが、改善の余地がある、まだ頑張れるというようなことを人から言われるのは苦手です。自分にはまだ足りないのかと思わされてしまうのです(アドバイスを送る側としては、あなたなら可能だ、という気持ちから送りたくなるのかもしれませんが…)。傷つく言葉を受け、今ある人間関係を維持しようと舵を切った矢先、アドバイスが送られるというのは、相手の状況もあったからこそ、あなたがやり場のない気持ちを抱えることにつながったのだろうなと思いました。

読ませていただくにつれ、最初の文章から感じ取れる脱力感、空虚感が鮮明になっていくようでした。私自身、人間関係にいい加減疲れている自分と、誰かと繋がっていたい自分とで揺れる日々を送っており、近いものを感じておりますし、対等な関係性というものについても、より深く考えてみたくなる、そんな投稿でした。
最後に、今のあなたの心境に至るまでのお話を伺って、今のご自身を無理に変えずともいいと私は思ったこと、だけどしんどさはあると思うので、ゆっくり休んでほしい気持ちにもなったことを伝えておこうと思います。改めて、経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

「もっと笑顔で明るく振る舞わなければいけない」と親に何度も言われてきたのですね。「笑顔」はあなたをいじめなどから守るための盾や鎧みたいなものだと、あなたの親は捉えているということなのでしょうか?でも、笑顔でいたくないときも笑顔でいるのはとっても大変だと思います。私も人といるとき頑張って笑っていても、1人になった瞬間に無になったり涙が出てきたり……ということがありました。振り返ると、笑顔でいようとするのも、周りに合わせようとするのも、実はとても労力のいることだったんだなと思います。

読んでいて、文章全体からあなたが振り絞るように頑張って、頑張り続けるのが難しいくらいに疲れ果ててしまっていることを感じました。
学校で人間関係が大変で、受験のときにはその大きなストレスもあり、母親さんが怒って殴ったり蹴ったりをする状況の中であなたの逃げ場がどこにもないような日々が長く続いてきたのかなと思います。そんなにたくさんのことがあったら疲れるのも無理はないと私は感じています。

私も提出物が出せなかったり、やるべきことができなかったり、他の人に迷惑をかけまくりながら大人になったので(そして10代の頃はそういう自分をものすごく責めていたので)、あなたの感覚が少しだけわかるような感じがしました。

友達との関係も大変になって、関わらなくなって、少し楽になった部分もあるのでしょうか。個人的には友達はいてもいなくてもいいし、関わりたくないときには関わらなくてなにも問題ないと思います。社交的である必要もないし、「死んで当然」でもなく「失敗作」でもないと思います。

文章からはあなたのしんどさを正直に話せるような環境が家や学校など身近にないのかもしれないと思いました。それはとっても苦しいだろうし、袋小路にいるような気持ちになってしまうのではないかと思います。もし学校にスクールカウンセラーなどがいれば、そういう立場の人に話してみてもいいかもしれません。(この経験談に書いてくれたような文章を見せるというのもありかもしれません。)あまりだれかに言えそうな感じがしなければ、いつでも死にトリを使ってくださいね。待っています。

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