経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気取ってる「 」

私は発達障害気取りで解離性同一性障害「気取り」のバカ野郎です。
なぜ「気取り」かと言うと診断されてないから。これだけです。
多分2つとも憧れてるからだと思います。本当に病気な人は辛いですが私は全然辛くないんです。親ガチャも当たりで兄弟もいい子で兄弟仲も最高です。小学生の頃は家族関係で悩んでて、虐待とか毒親とかを知ったけど絶対虐待でも毒親でもないんです。お父さんは私に暴力をふるいましたが、私が本当に最低なこと(物を壊す)をしたときや、弟とずっとテレビを見ていていつもお父さんと一緒に風呂に入っている弟が風呂に行かなかったとき、全部私が悪いときでした。ママも私に当たってくることはあるけど、ママはパートとか家事とかで疲れてるから。だから妥当ですよね。小4くらいのときには「自分はこの家の子じゃないんだ」と思ったこともありましたがそれも全部私が悪いんですよねー。話を戻すと、毒親を知った頃に発達障害も知ったんですよ。見たときに「すごく当てはまるな」と思いました。私は覚えることが極端に苦手(勉強に支障は出ていない)なので、親に「ものを忘れちゃう病気ってあるんじゃない?」と間接的に私は発達障害なんじゃないかと親に言ったのですが、返答が「そんな病気あるはずない。病気を理由に逃げるな」でした。まあ妥当ですよねー。私が努力してないせいなので。こんな感じで診断もついてないので発達障害気取りです。
解離性同一性障害気取りの方は、中1(かもっと前)のときくらいから自分がわからなくなりだしたんですよ。一人称も「僕」とか「俺」とか言ってました。イタいですねー。それで悩んでたときに解離性同一性障害を知って、これじゃないかって思ったんですよ。証拠ないのにですよ?アホですね。そしたらそのうち私を責める声が聞こえるようになりました。聞こえるっていうか脳内に響くみたいな感じなんですけど。あと記憶無くすのが激しくなって、私は今中3受験生なのですが今年の春の記憶ももうないです(当然その前の記憶もないです)。それで診断されてないんで気取りですね。
私は世界で一番生きていたらいけない最低なゴミクズです。こんな感じで病気の人達をバカにしてるんですよ。病名がほしいとか、くだらないと思いません?正直私は傷がある、病んでるのって可愛いと思い込んでる節があるので。最低ですよねー。リスカはしてるし深く切りたいとも思うけどまぁやらないんで。これも病んでる「気取り」ですね。きっしょ。
というわけでこんな社不は死んだほうが良いんですよ。早く死にたいなあ。

感想1

投稿文読ませてもらいました
“気取ってる“っていうと、本当はそうじゃないのに、そう思いたいとか、真似をするとかそう言う意味で使われる言葉ですね。あなたの文章からは気取ってるというよりも、言い換えるなら”気づいている“だと私は感じました。自分の変化や気持ちにとても気づいている人だなって思ったんです。例えば、短期記憶が苦手なことによって勉強以外の生活に支障がでたり、自分の性別がわからなくなることを気づいて「あれ?」とか「何なんだろう…?」って考え出したんだと私は想像します。同時にもしかしたら自分って何者??って考える思春期に入って「憧れなのか、これ?」と感じたことで、あなたは”気取り“って感覚を持ったのかなって私はさらに想像しました。(違っていたらとすみません)もしかしたらそれと同時に「医者から診断されたらよっぽど楽なのに…でも家族に原因はないよ、自分に原因があるんだよ」って自分に言い聞かせているあなたの声が私には聞こえてきそうです。
発達障がいかも?っていうことも性同一性障害かも?ということも誰しも最初は「あれ?何だろうこの感覚…」ということから始まると思います。そういう違和感やあなたの感覚は大事な証拠と言えるんじゃないかなって私は思います。
“リアルあなた”はしんどいって叫んでいるように私には映ります。でもそれ自体が気取りでしょっ?て、思い直して今を乗り越えているのもあなたの地力や生きる術かもしれません。
気取りでも気づきでもいいからあなたの言葉でここに投稿してくれたことで私はあなたという人を知れたし、こうやってつながれました。よかったら次はSNSで話ができるところであなたの感じていることを話してみるのもいいかもしれませんね。
こんなところもあるんですよ。https://comarigoto.jp/
死にトリにもあなたの声を届けに来てくださいね。投稿ありがとうございました。

感想2

何度も「気取ってる」という言葉がありましたが、自虐をするようなその表現の深いところに「自分のことをわかってほしい」という叫びのようなものを感じました。自分が何者なのかわからず、自分の姿を認められず、こんな自分ならいない方がいいと思ってしまう気持ちを強く感じました。自分を否定するような気持ちも大切なあなたの気持ちですから、そのまま受け止めたいと思っています。
ただ、あなたの周りに起こっていることを第三者の大人が推測してみると、違った見え方ができると思うので、少しお伝えします。あなたは虐待とか毒親ではないと思うかもしれませんが、子どもが自分らしくのびのびと育つような環境ではないように思いました。例えば、「親はあなたのそのままの姿を受け止め、感じていることや考えていることを認めてくれていますか?」という問いをした時の答えはどうなのかなと思いました。学校に行くお金を出してくれたり、食事が出てきたり、家があったり、何かを買ってもらったりすることも子どもを育てる上で必要なことですが、それは言ってみると親としては当たり前のことです。それ以上に、子どもにとって安心できて、自分の気持ちや意見を尊重されるような環境が保障されることが必要だと私は思っています。ただ、現実では親が子どもの好みや意見に必要以上に干渉したり、否定したり、「大人の言うことは聞くように」と過剰に大人が子どもをコントロールしてもいいような状況があるので、あなたも自分の親は大丈夫、自分がダメなだけだと思うのかもしれません。
でも、私は子どもが十分に認められてのびのびと育つ環境が今の日本の社会にかなり少ないと思っています(国際的にも日本は子どもの権利を守る取り組みが遅れていると何度も勧告を受けている実態もあります)。だから、私はあなたがダメなのではなく、子どもが育つ上でしんどい環境であることを身をもって感じ取り、つらくなってるように捉えました。そう感じることができるのは、とてもまともな心や感性の持ち主だと思います。私は一人の大人として、「あなたは、自分のためにどうしたい?」と問いかけて一緒に考えてみたいと思います。こうして、自分の意思で気持ちを表現して、誰かに届けたいと思って届けるという、とても大切なことをあなたはすでに知っているし、行動してるじゃないか、もうそれだけでいいよと伝えたい気持ちです。
また、いつでも死にトリに来てください。待っています。

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