経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

DV 毒親で育った経験

初めまして。過去や今、DVや毒親に苦しんでいる人、沢山いると思います。
今から記載するのは自分の実体験です。少しでも今苦しんでる人の共感や励みになればと思います。

実家には父親、母親、自分の3人で暮らしておりました。
父は私が小学校の低学年のころ、仕事をやめ、ずっと家にいるようになりました。

それだけならよいのですが、自分の応援する野球のチームが負けたり、
私や母親が父親の気に障ることをすると 怒鳴りつけ3時間正座、土下座、土下座中背中を踏む、ビンタする、灰皿を投げる、最も機嫌を悪くすると包丁を持ち出したり、子供や母親の大切なものを目の前で浸水させたり外に捨てるなどの行為を行われました。

自分のものが壊されること、自分のせいで母親が目の前で罵声を浴びせられ、叩かれたりすることがとにかく恐怖で
物音を立てずに階段を下りたり、テレビの前を通過しない、食事中目を父親に向けない、
食事中に父親が話したことに対してはとにかく共感する、父親の意思に逆らわないように
入学先、就職先、給与口座の提出など すべて父親のために行動せざるを得ませんでした。

自分は生きている意味があるのだろうかと小学校の時にずっと考えていたことをよく記憶しています。(今でも定期的に思います)

自分は実家のローンを支払うために働き続けないといけない。自分の未来はすべて親のために捧げなければならない。等、自分の意思を押し殺して生活しているうちに自我はいつの間にか無くなっていました。

小学校、中学の時にいじめを受けていたことも殆ど記憶がありません(旧友から聞きました)

大変つらかったです。家から出ることは不可能と思っていたのですが、
ネットゲームを行った際に顔も見えないし、直接的なかかわりもない人達だし
愚痴ろうと思い愚痴を口に出しました。愚痴のはずが、流石に親がおかしくないか?となり自分とは関係ないのにちゃんとどうするといいかもと意見を言ってもらえ大変参考になりました。
その後しばらくして、働いていた会社の寮長に事情を話しお金が貯まるまで住まわせてもらいました。会社に親が突撃してきてその後転職するなどありましたが、
今は実家に住まずに1人暮らしを行えております。

今でも後遺症として希死念慮や自己より他者を優先してしまうこと、自責思考、などが強く残っていますが、生きています。

もしも読者の方々に親のせいで自分は「親のための世間体のための道具だ」「自分の思ったことは誰も認めてもらえない」「自分がいなければ」「誰も理解してくれない」と
現時点で思っている方がいれば一度自分の気持ちを紙に書き出す練習をしてみるといいと思います。何もかけないかもしれません。沢山書きすぎてしまうかもしれません。
それを続けるうちにきっと少しずつ書けることが整理できて
自分の気持ちが理解できるようになると思います。
誰も助けてくれないかもしれませんが、自分だけは自分の味方になってあげてください。
嫌いな父親が今日夢に出てきたので書いてみました。

感想1

投稿ありがとうございます。
タイトルの通り、「DV毒親で育った」あなたの「経験」をしっかり受け取り、何度も読ませていただいたとお伝えしたくなりました。途中に「大変つらった」という言葉がありますが、きっと言葉では表しきれないつらさがあったことだろうと想像しています。そして、そうしたあなたの経験はあなただけの経験ではないのだとし、ここで共有してくれたことに敬意を表したい気持ちになりました。

あなたが父親からされてきた描写を読んで、私の頭の中に浮かんできたのは「生きながらの死」という言葉でした。この言葉を私は、強い力で支配(占領)され続けているパレスチナの人たちの暮らしを表すものとして耳にしました。父親を刺激しないためにという一点に集中して過ごしてきたあなたの暮らしは、まさに「生きながらの死」を想起させるもののように私には感じられます。
そうした生活をしていては「生きている意味があるのだろうか」と問わずにはいられなかっただろうと思いますし、「いじめ」という過酷な経験の「記憶」を失わせるほど、あなたを消耗させただろうと思います(もしかしたら、「いじめ」によってさらにつらい思いをすることから身を守るために、何も感じない・記憶しないモードにあなたがなっていたのかもしれないとも想像します)。あなたはそうした経験を「父親のために」と綴っていますが、私からすると「父親のため」ではなく、あなたは、あなたとあなたの母親が守られるために選択してきたのだと感じます。「自我はいつの間にか無くなった」ともありますが、これもまた、あなたは「自我」をなくさないために必死に闘ってきたということなのではないだろうかと私には思えました。もちろん「自己より他者を優先してしまうこと」をはじめ、あなたは「自我」を失ったと感じさせられていることと思いますし、実際そうした部分はあるのかもしれません。しかし、あなたは理不尽な暴言・暴力のある父親の世界に完全に屈することなく、あなたの人生を生きようとし、母親を守ろうと必死に生き延びてきたのではないだろうかと感じました。私はそのことを心から労いたいと思います。
あなたは「1人暮らし」という親のいない世界に出てから、これまでと全く違う生き方をしようとしてきたのかと思います。しかし、時折現れる父親の存在や、身についたこれまでの生き方・傷による後遺症があなたを苦しめているのだろうと感じました。それでもそのことすらあなたは理解し、確かに「生きている」ところに、そして、あなたの気持ちを「書く」姿とそのメッセージに、完全に屈したわけではないあなたの姿を勝手ながら感じる私がいます。それらはこれからもあなたを苦しめることがあるかもしれませんが、あなたが誰かやどこかの力を借りながら生きていくことを陰ながら応援したい気持ちです。ここでよければ、「何も書けない」気持ちでも、「沢山書きすぎる」ことでもまた書きに来てください。
最後に、「ネットゲーム」での出会いの話を共有してくれていましたが、そこでどんなことがあなたの力(参考)になったのかなどがあれば、いつかよければ教えてもらえたらなと思いました。「誰も助けてくれない」社会でも、少しでも助け合える社会にできたらなと思います。改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。あなたが幼少期から家庭内で感じていた恐怖や身につけなければいけなかった思考や対処法について、そして、大人になる中であなた自身が自分の状況を整理し理解してきた過程について教えてくれている経験談だと思います。
読者に対するメッセージが印象的で、それはあなたがあなた自身に対して意識的にかけ続けた言葉とも重なるのかなぁと思いながら読みました。
あなたにとってネットゲームでの知人という少し距離のある他者からの言葉は別の視点を与えてくれる、ある意味でとても新鮮なものだったのだろうと思います。また会社の寮長など、環境の中で実家から距離を置く選択肢ができたことは、実家で強いられていたことや怖かったことなど自体からも少し距離を置くことになったのかなと思いました。

「今でも後遺症として」と書いている部分からも、自分が受けてきた影響や今の自分のしんどさなどについて、あなたが客観視することを試みてきたことを感じました。家庭環境は子どもにとってとても影響の大きいもので、しかも外側から関与することの難しい密室的な空間になりやすいことを、私の実体験としても、みなさんの経験談を読んでいてもよく感じます。孤立化しやすい「家族」というもの自体が構造的にリスクのあるものなのかなぁと思うのですが、どうしたら社会の中で、苦しい子どもや家族を減らせるのでしょうか……。あなたの経験談を読みながら、あらためてそんな疑問が頭の中に浮かんできています。そういう意味でも、ゲームを介したネットでの関係があなたの支えになったということは印象的でした。ネットにはまた別のさまざまなリスクがあることもたしかですが、私もネットがあることで知らない考え方に出会えたという面もあるなと思います。
あなたが「自我」と書いていたものを、あなたは紙に書いたり、もしかすると他の人の言葉を聞いたり、読んだり、過去を振り返ったりしながら、少しずつ探ってきたのだろうと思います。人によってどういうやり方が合っているかは色々違う部分もあるかもしれないですが、私も自分のことを言葉にしたり、過去の記録を読むことで変化に気づいたり……ということがあるので、「書く」ということの意味を改めて感じました。
「書く」にも、ただ吐き出したくて書くということもあれば、記録みたいに書くということ、ストーリーみたいに書くこと、時系列を整理すること、「こうかもしれない」という仮説を列挙すること……など、さまざまな方法や意味がありそうです。
あなたにとって「経験談」という形や、死にトリがなにか活用できそうなことがあれば、またきてもらえたらうれしいです。

お返事1

とても長い文となってしまい、読みにくい箇所も多かったと思います。そんな中、ご丁寧に感想も頂けまして大変嬉しく思います。読むうちに涙が溢れてしまい、少しずつ読み進めさせていただきました。もしかしたら誰かに理解して欲しかったのかも知れません。優しい言葉をありがとうございます。

いくつか感想に対して返信をさせてください

感想1に対して
・大変辛かったと言う記載について

仰る通りです。何がきっかけで、怒鳴られるかわからない恐怖が常に付き纏い、家でも学校でも居場所がなく、常に誰かの顔色を伺いながら、誰か考えに背かない人形のように行動しなければ嫌われてしまう捨てられてしまうと思いながら生活をしていました。「生きながらの死」は本当に適した言葉だと思います。

・ネットゲーム内での会話で参考になった意見、力になったこと

記憶している範囲ですと、「親のためにすることは立派だけど、自分のしたいことも出来ないのはおかしい」「子供に依存する親」「自分も親だけど子供に負担かけるの嫌じゃないのかな」「給与親に握られてるならタダ働きじゃん」など、現実では複雑な事情は関わらないように表面上当たり障りのないことしか言われないのですが、顔も年齢もしらない、そんな関係だからか皆、思ったことを考えながら書いてくれたのが嬉しかったです。後日、計画と言いますか進捗の相談や報告も出来たのも大きかったと思います。

感想2に対して
・読者に対するメッセージが印象的で、それはあなたがあなた自身に対して意識的にかけ続けた言葉とも重なるのか

実家を離れてから少しずつ自分にかけることが出来ていたのかも知れませんが、
当時の自分にかけたかった言葉だと思います。
毒親、自死についてネットで調べてもあまり良い記事が出てくることが少なく体験談として似たような境遇の方の目に止まって誰かの支えや、共感になれば良いなと思って記載しました。

・孤立化しやすい「家族」というもの自体が構造的にリスクのあるものなのかなぁと思う。どうしたら社会の中で、苦しい子どもや家族を減らせるのでしょうか……

親となる人によって理想の「家族」
が違うのでとても難しい問題だと私も認知しております。感想2を下さったスタッフさんも家庭環境で苦労されたのですね。
社会の中で苦しい子供や家族を減らせるのかはとても難しい問題に思います。
ただ、このように体験談や思ったことを吐き出せる場所があると言うのは今、苦しんでいる人や苦しんだ経験のある方の
痛みを和らげることは出来ると思います。
少なくとも私はお二方の感想を読んだ際や
記載している際にそう思いました。
ありがとうございました。

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