経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

よきお姉ちゃんという呪縛

Tさん (20代後半) インタビュー
家庭は典型的な「THE 日本のモデル」みたいな核家族世帯。忙しく働くサラリーマンの父と専業主婦を経てパート就労の母のもと、長女として生まれる。
本人曰く「引っ込み思案で、一人で何でもできなくて、自信がない。いつも大人の顔色をうかがいながら、びくびくして過ごすようないじめられ体質」。大人になってから、自身の発達にバランスの悪さも感じていて、発達検査をする予定。もともとの生きづらさに家庭、学校の環境のミスマッチが重なると…「死にたい」がどんどん膨らんでいった様子を聞きました。

死にたいと思い始めたころ

 中学2年生のときのクラスがほんとに相性悪くて、そこでいじめられて、無視されたり仲間外れにされたり一人になることが多くて。その時、初めて死にたいって思ったかな。でも、学校も休まなかったし、もう休むって概念がなくて、休み方がわからないっていうか。勉強は楽しかったんだけど、その休み時間とか移動教室とか一人になって、それいろんな人に見られて、「ぼっち」が嫌だった。
 学校の担任の先生に、一回相談したんだけど、保健室の先生に回されて、何もしてもらえなかった。これ以上いじめがひどくなるのが嫌だから何もしないでくださいって、介入を拒んだ。
 家族にも全く相談できなかった。無理だった。「よきお姉ちゃん」って役割ができていた。お母さんもけっこう情緒不安定だから、お母さんの助け役もしつつ、「お母さんを支えるお姉ちゃん」だった。「Tはいい子だね。Tは反抗期もないし、いい子だねー」みたいな。いい子だねーっていうか、強くあれみたいな。お前はもう強くいなきゃいけないって。本当は傷つきやすくて心が柔らかい子だったのにもかかわらず。全然わかってもらえてなくて私のこと。
 でも強がって、みんなの前でふざけたりもしてたから、自分が思ってる自分と家族とかから見られてる自分のギャップがすごくあったなーと思う。私がすごく仮面をかぶるから。

よきお姉ちゃんとして

 お父さんもお母さんも、弟をすごく溺愛してた。弟が競技のスポーツをやってて、今はやめてしまったけど、オリンピックの強化選手になるぐらい成績がよかった。日本の中でもいいところにいて。だからシーズンになると親も含めてほとんど家にいない。送り迎えしてたりとか、用具を買いそろえたり。ワンシーズンに何十万もかけて用具を買い替えたりするのに、いつも私は家にいて、家事を手伝っていた。
 弟の結果が良かったか悪かったかで、もう帰ってくるときのテンションが全然違くて。負けた日は、弟が全身でイライラして、お母さんもお葬式状態で帰ってきて。だからもういつもドキドキしながら待ってた。今日はどうだったかなーって思って。掃除して洗濯してご飯作ってって。それに勉強もして、家のことも忙しくって。それをやるのが普通だと思ってたからやってました。

たくさんの病名と自殺未遂

 大学進学を機に、親元から離れて自由になったから、いろんなことに頑張りました。でも、2年生の時、エネルギー切れになって倒れたんです。最初にかかったクリニックでお医者さんに「お父さんとお母さん連れてきてください。それですぐ解決すると思いますよ。」って言われました。でも、そのときは何が何だかわからなくて。でも今になってはお父さんとお母さんとの関係が大事だってことだとわかりますが、そのとき気づいてなくて。この生きづらさみたいなのが、家族関係にあるんじゃないかってアダルトチルドレンの本読んで気づいて、そこくらいから日記を書き始めました
 診断はいろいろ受けました。解離性障害、気分循環性障害。躁うつ病のちょっと軽いやつみたいなと、その後はすごく症状が悪くなって統合失調症もついて。あと、パニック障害、けっこう過呼吸発作が起きてたからパニック障害。
 21歳の時、自殺未遂をしました。そのときは本当にうつ状態がひどくて、死にたい気持ちが強くて、なんか1個ずつ、自分とつながっている綱を離してくみたいな感じがあって。アダルトチルドレンの自助グループ行っても、あ、なんか今日うまくいかなかった。じゃあもう死んでいいね。彼にフラれた。あ、もう死んでいいねっていう。どんどんなんか自分と社会とのつながりをドンドン手放してって、それがゼロになったら死んでもいいいかな、と思っていました。
 彼にフラれた夜に雪の中の公園で梅酒を買って、残ってるクリニックからもらってる薬全部持って、そこのベンチの雪よけて、座って、飲んで、薬とそのちっちゃい梅酒飲んで、記憶がなくなってたんだけど、気づいたらベッドの上で母親がいて…そう。そのときもお母さんに怒られた。
 何も解決しないし、誰も何も得しない自殺未遂だったと思う。

インタビューを終えて

 その後、Tさんは自分で本を読んだり、相談機関を調べて、いろいろな人たちに相談したりしながら、自分の生きづらさについて理解を深めていきます。また、記憶をなくすこともあるため日記をつけ始めたり、若者たちの自助グループの学びの場に参加したりするその中で、自分の気持ちを家族に伝えることを決意し、数年前には両親へ手紙を送りました。家族も理解を示してくれたことで、少しずつ前に進んでいます。また、生まれつきの見えにくい障がいがあるのではないかと、発達の検査を受けることにもなりました。自分を理解することは「死にたいのトリセツ」の上で、ポイントになりそうです。
 ただ、Tさんはその後も死にたい気持ちは消えることはなく、大学2年生で病気になってからもうずーっと低空飛行で死にたいなって思っているそうです。「マックスの時を100としたら、今は8ぐらい」と笑いますが、死にたい気持ちと共存している姿に見えました。

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